第二百四十話コンプレックスと向き合う
アルフレッド・ヒッチコック。
『鳥』『サイコ』『レベッカ』『北北西に進路を取れ』など、ホラーやサスペンス映画の名作を次々と世に送り出した巨匠。
彼の作品は、全世界の映画人に影響を与えました。
若き日のスティーブン・スピルバーグは、ヒッチコックの撮影現場を見学、彼の映画哲学を目の当たりにして感動します。
フランス・ヌーベルバーグの奇才、フランソワ・トリュフォーは、当時、サスペンス映画がB級だと言われていた時代にあって、「ヒッチコックの映画は、まぎれもなく第一級の芸術だ」と賛辞を惜しみませんでした。
ヒッチコックは、自らが生涯大事にした3つの要素、「サスペンス」「スリル」「ショック」について、こんなふうに説明しています。
「汽車の時間に間に合うかどうかギリギリの所で駅に駆けつけるのが『サスペンス』。
発車間際にその列車のステップにしがみつくのが『スリル』。
ようやく座席に落ち着き、一息ついたところで、行先が違うことに気づく。これが『ショック』だ」。
サスペンスの神様は、実は極度の怖がり。
私生活では予期せぬ出来事を嫌い、生涯、妻、アルマを愛し続けました。
亡くなる前年、79歳のときに、AFIから生涯功労賞を授与されますが、そのスピーチでは妻への感謝を熱く語り、傍らのアルマは涙を流しました。
彼自身が映画にちょっと顔を出す、いわゆるカメオ出演が有名なヒッチコック。
でも、幼い時から容姿に対して、激しいコンプレックスをもっていました。
さらに、イギリスの片田舎出身。
訛りが気になり、友だちをつくることができませんでした。
孤独な少年は、いかにして世界に影響を与える巨匠になったのか。
自らのコンプレックスと向き合い、それを映画に昇華させた伝説の映画監督アルフレッド・ヒッチコックが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
アルフレッド・ヒッチコックは、1899年8月13日、イギリス・ロンドン郊外のレイトンストーンに生まれた。
父は、青果店を営み、のちに鮮魚店も始める。
家は代々、敬虔なカトリック。
まわりのほとんどはイギリス国教会に属していたので、孤立していた。
母・エマは、末っ子のヒッチコックを溺愛した。
毎晩、今日一日起こった出来事を息子から聞くのを日課にする。
この習慣は、ヒッチコックが成人しても続けられた。
幼心に、母を楽しませたくなる。
喜んでほしい。驚いてほしい。自分を褒めてほしい。
少年はやがて、誇張や脚色、伏線の回収や、よりよい構成を学んでいく。
それは、ヒッチコックが4歳のときのこと。
夜中に目が覚めた。
物音がいっさいしない。
「ママ!」叫んでみても、返事はない。
おそるおそる階段を降りる。
誰もいない。
キッチンテーブルの上に、冷えた鶏肉だけがあった。
恐怖が押し寄せる中、なぜか彼はその鶏肉を泣きながら食べた。
芝居を観て帰宅した夫婦は、ぶるぶる震えながら鶏肉にむしゃぶりつく我が子を見て、驚く。
ヒッチコックにとってこの夜の体験は、生涯、忘れられないものになった。
アルフレッド・ヒッチコックは、6歳の時、父に芝居に連れていってもらった。
舞台上で舞う、美しい女性。
優しい赤で照らされたヒロインは、子ども心にもワクワクした。
ところが一転、いきなり緑色の灯りが赤を凌駕し、悪役が現れる。
驚いた。怖かった。
ヒッチコックは、泣いてしまう。
照明によって、こんなにも不安な気持ちにさせられる。
光と影。赤と緑。
少年の脳裏に、灯りの魔法が刻まれた。
小学校に入ったヒッチコックは、孤独だった。
友だちはいない。
彼は二つのことに夢中になった。
ひとつは、壁に地図を貼り、イギリス全土、さらには海を渡りアメリカまで、空想の中で旅をした。
時刻表を熟読。
何時にどこを出ればどこに着くか、くまなく調べた。
もうひとつは、裁判の傍聴。
犯罪に興味を持った。
当時、ロンドンには猟奇殺人や不可解な事件が多く、新聞のゴシップ記事がひとびとの関心をあおっていた。
なぜ犯人は犯行に及んだのか。
自分で資料を集め、推理した。
怖がりだったが、気味の悪いもの、恐ろしいものから目をそむけることができなかった。
被告人席から殺人者が、じっと自分を見ているような気がする。
そんな夜はうなされて、怖い夢を見た。
ヒッチコックが全寮制の聖イグナチウス・カレッジに入学すると、さらなる恐怖体験が待っていた。
先生による体罰。
規律を破った生徒は、鞭(むち)で叩かれた。
ヒッチコックにとってのいちばんの恐怖は、叩かれるときではない。
折檻室に入れられ、教師の足音を聴くときだった。
コツコツコツ。
長い廊下を足音が近づいてくる。
のちに映画作りで、彼はこのときの体験を思い出す。
最大の恐怖は、ことが起きる瞬間にあるのではない。
ことが起きる、前。
恐怖とは、心を揺らせることだ。
ヒッチコックは、自らの少年時代の体験を全て映画にぶつけた。
怖がりだから、ひとを怖がらせる。
強いコンプレックスがあるから、あえてカメオ出演して自分をさらす。
心を不安にさせる元凶から逃げずに、真っすぐ対峙した。
彼は言った。
「恐怖を取り除く唯一の方法は、それを映画にしてしまうことだ。私の幸運は、私が本当の臆病者だったことだ。恐怖に対して敏感な臆病者でよかった。なぜなら、ヒーローは優秀なサスペンス映画を作れないからだ」
最晩年になっても、映画を撮り続けた。
記者会見で「ヒッチコックさん、いつ引退なさるんですか?」と聞かれ、彼はこう答えた。
「上映終了後です」
【ON AIR LIST】
ヒッチコック劇場のテーマ(シャルル・グノー「操り人形の葬送行進曲」)
ケ・セラ・セラ / ドリス・デイ(映画『知りすぎていた男』より)
ザ・スリル・イズ・ゴーン / パティ・ペイジ
フューチャー・ショック / カーティス・メイフィールド
サスピシャス・マインド / ファイン・ヤング・カニバルズ
閉じる