第四十七話泥をかぶる
かつて土佐を治めていた、長曾我部家の最後の居城、浦戸城の本丸跡地に建てられた、龍馬の銅像に会いに来るひとは、後を絶ちません。
でも一説によれば、彼は桂浜に来たことがないのではないか、と言われています。
当時、海水浴、という風習はありませんでした。
桂浜からおよそ13キロ離れた場所に生まれ育った龍馬が、わざわざこの海岸に来る理由はなかったのではないか。
でも、この地に彼の銅像は似合っています。
龍馬は、姉、乙女とともに、何度も浦戸湾を船で渡り、父の後妻の関係で知った川島家を訪れました。
そこで聴いた、長崎や下関の話は、若き龍馬にとって刺激的でした。
まだ見ぬ世界を知り、ワクワクして話の続きを待つ。
今、目の前にある世界だけが全てではないという思い。
人間形成に、幼少期の風景の記憶は多分に影響する、と言われています。
外国につながる海の傍で暮らしたことは、坂本龍馬のスケールの大きさを決定づけたと言ってもいいでしょう。
慶応3年、龍馬が暗殺された年に撮影された最後の写真。
そこには、縁台に座り、彼方を見据える龍馬の姿がありました。
きゅっと結んだ口。彼は何を思い、何を目指していたのか。
司馬遼太郎に英雄として書かれた彼は、実は歴史を大きく動かした立役者ではなく、むしろ縁の下の力持ち、黒子として暗躍した、脇役だったという説もあります。
ただ彼の周りには、いつもひとが集まりました。
彼を慕うひとが、彼を押し上げ、彼と行動を共にしたのです。
激動の時代に痕跡を残した、坂本龍馬が人生で見つけた明日へのyesとは?
坂本龍馬は、1836年、天保6年、土佐の国に生まれた。
父は、郷士、いわゆる下級武士だったけれど、161石を持つ、裕福な家柄だった。
坂本家の家紋は、桔梗。
これは明智光秀と同じで、家臣ではなかったかという説もある。
大柄で大声、豪放磊落なイメージの龍馬だが、幼少期は、貧弱で気弱だったとされている。
ワンパクな子供たちの中にあり、ひとりだけ臆病。
崖の上から川に飛び込むことにも尻込みした。
勉強ができず、いじめられた。
ひとと同じようにできないことが恥ずかしかった。
母を早くに亡くし、寂しさも重なった。
そんなとき、いつも龍馬を支えてくれたのが、姉、乙女だった。
彼女は言った。
「ひとがどう言おうが、関係ないきに。龍馬は龍馬らしく、我が道を行けばいい」
彼は後に、周りとの軋轢に悩む後輩たちにこう言った。
「世の人は、我を何とも言わば言え!我がゆく道は、我が知るなり」
いつも姉が見ていてくれる。
その安心感が、彼を大らかに変えていった。
ひとは絶大な信頼を得ると、たくましくなる。龍馬は、剣術の向上に励んだ。
「オレは、いつか江戸に出る。江戸に出て、未知なるものに触れてみる。人生は短い。生きているうちに、己の本分を知りたい」
坂本龍馬は、わずか30数年の生涯で、130通あまりの手紙を書いた。
特に姉、乙女への手紙には彼の本心があふれていた。
1863年、文久3年、龍馬27歳のときに書いた手紙には、こう書かれていた。
「姉さん、この手紙には大事なことを書いたので、噂好きのひとに見せてはいけません。
この頃、たいへん芽が出てきました。
ある大きな藩の殿様に僕の考え方や人物を非常に見込まれ、期待を寄せられています。
もしも今、何か一大事が起こったら、僕の下には2、300の者がおり、僕は彼らを自由に使える立場にあります。
ところで、まことに嘆かわしいことは、長州で、外国軍との戦争が始まり、日本にはほとんど勝ち目がありません。
しかも呆れてしまうのですが、長州で戦った外国軍の軍艦を幕府が手伝って江戸で直しているのです。
なんだか腹立たしい。
姉さん、龍馬は同志を集め、この神の国を守る、と誓いました。
理不尽な役人をけちらして、この日本を今一度、洗濯したい、そう、洗い流したいのです。
僕がきっと長生きするとは思わないでください。
ただ、並みのひとのように、めったなことでは死にません。
これでなかなか僕は悪賢くて、嫌なやつなのです。
もしも、土佐の芋ほりのような身分の低い郷士の出が、ひとりの力で天下を動かすとしたら、それは天の意志。
安心してください。つけあがっているわけではありません。
ますます潜り込み、泥の中のしじみ貝のように、常に鼻先に土をくっつけ、頭から砂をかぶっております」
文字通り、坂本龍馬は、泥をかぶる仕事を厭(いと)わなかった。
生きるとは、格好悪い。
生きるとは、土にまみれる。
彼には、どんなときも、同志と散る覚悟があった。
坂本龍馬の手紙には、誤字脱字が多かった。
ひらがなやカタカナを混ぜて使い、土佐弁やイラストも駆使した。
彼の手紙には、ユーモアがあり、強い意志があり、優しさがあった。
緻密に将来を見据えた生き方、というよりも、その場その場で臨機応変に対応する能力が、手紙にも感じられる。
彼は知っていた。
自分が決して頭脳明晰でも、何かの能力に恵まれているわけでもないことを。
ただ、その都度出会う出来事に、その場所で出会う人間に、誠実に寄り添った。
ペリー来航を知れば、世界の中の日本を意識し、薩摩や長州の人間に出会えば、どのひととも仲良くなった。
己が優秀でないと思うからこそ、ひとの話に耳を傾け感心し、こうべを垂れて勉強した。
彼の笑顔には屈託がなかった。
誰もが「自分がなんて小さなことに囚われていたのか」と反省した。
そんなふうに思わすことができたのは、彼こそが、何かに囚われていなかったからだ。
ひとは自分を規制し、抑制する。
でも、龍馬には、自分の枠を拡げること以外に、関心がなかった。
龍馬は姉への手紙にこうしたためた。
「姉さん、人間というのは、小さな牡蠣の殻の中で生きているようなものですね。外の世界も知らずに生きているとは、なんともおめでたいことですなあ。では、さようなら」
【ON AIR LIST】
明日に向かって走れ / エレファントカシマシ
We Can Work It Out / The Beatles
Changes / David Bowie
Waiting On The World To Change / John Mayer
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