yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第二十一話 用なき人に用あり -実業家・鹿島岩蔵-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第二十一話用なき人に用あり

からまつの林を過ぎて
からまつをしみじみと見き
北原白秋の傑作、抒情詩『落葉松』には、軽井沢の美しい並木道の様子が描かれています。
かつては平原で、見渡すかぎりの湿地帯だったこの場所に、先人たちは樹を植えました。
鹿島組を創立、鉄道請負業に進出し、激動の明治を生きた日本が誇る実業家、鹿島岩蔵もまた、落葉松を植えました。
その苗木は百年以上を経て、ひとの心を癒す並木道となり、『鹿島ノ森』になりました。
旧軽井沢ゴルフクラブに隣接する『ホテル鹿島ノ森』。
その敷地内には、御膳水と呼ばれている湧水が涼やかな音を響かせています。
江戸時代から名水の誉れ高く、古くから大名や公家、明治天皇の御膳にも出されたと言われています。
清々しい水を育む、鹿島の森。
鹿島岩蔵の百年先を見越した想いがなければ、実現しなかった風景です。
軽井沢は、イギリスの宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーに見いだされ、日本唯一無二のリゾート地への道を歩き始めましたが、この地を一気に活気づけたのが鉄道でした。
横川、軽井沢間を結ぶ、碓氷線。
その建設工事を請け負ったのが岩蔵ひきいる鹿島組だったのです。
難関碓氷峠に挑み、8つのトンネルを開通した、不屈の男、岩蔵。
彼が大切にした人生のyesとは?

実業家、鹿島岩蔵は、1844年、天保15年に生まれた。
江戸時代から大工の棟梁、建築の請負業を営んでいた父、岩吉のあとを継ぎ、横浜や東京で西洋建築を手がけた。
1880年、36歳のとき、鉄道業に参入。鹿島組を創立した。
きっかけは、明治時代の官庁の一部署、工部省鉄道局長だった井上勝だった。
井上は長州藩士の三男に生まれた武士官僚。早くから岩蔵の才覚に着目していた。
「建築だけではなく、鉄道をやったらどうか」
そうすすめられた。
岩蔵は、生来の交遊家だった。
誰とも仲良くなれる。ひとに好かれ、ひとの助言に素直に応じた。
可愛がられる、それは誰もが真似できる特性ではない。
岩蔵は、後に息子や孫に、こんな言葉を残している。
「用なき人に用あり」。
意味はこうだ。
今は直接関係があまりない人でも、その人の家族や親類、知人に重要な人がいるかもしれない。
いつかめぐりめぐって、自分の仕事に関わる人になるかもしれぬ。
出会う全てのひとに、丁寧に接しなさい。
そうしていればそれがきっと思わぬ方向に拡がっていくから。

鹿島組を興した鹿島岩蔵は、60を越える事業に関係した。
鉄道開設はもちろん、王子製紙の創立、北海道の牧場経営、岡山県児島湾の干拓から、赤倉温泉の開発など、そのどれもが、人が人を呼び、声をかけられ、それに応じることで拡がっていった。
「今、目の前にいる人が、今後、自分にどんなふうに関わるか、誰がわかる?わからぬなら、丁寧に接することだ。誠意をつくせば、やがてどこかへつながっていく」。
鉄道局長だった、日本の鉄道の父、井上勝から鉄道請負業をすすめられたことも、岩蔵の交遊がなせるわざだった。
1891年に始まった横川、軽井沢間の鉄道開通は、困難を極めた。
海抜950メートルの碓氷峠がたちはだかる。26のトンネルと、18の橋をクリアしなくてはならなかった。さらに、急こう配。
岩蔵は、世界的に珍しいアプト式を採用して鉄道開通を実現させた。
工事のため、軽井沢に滞在するようになった岩蔵は、ここでも人付き合いの良さを発揮。
万平ホテルを創業した佐藤万平と親しくなった。
彼から、長野県が所有していた広大な土地が売りに出されるという情報を得る。
15万坪。東京ドーム15個分を越える敷地を購入した。
「あんな荒れた湿地帯を買ってどうするんだ?」
「東京の人は、知らないんだ、あんな土地を買って」
陰口をたたかれても、気にしなかった。

岩蔵はその土地に別荘を6軒建て、ひとつを自分のものして、残り5軒を外国人に貸した。いわゆる貸別荘の先駆けである。
別荘のつくりも、佐藤万平の助言を真摯に聞いた。
「外国人はプライバシーを大切にするから、寝室は2階がいいですよ」
家具や寝具、食器まで備え付けにした。
そうしてできた別荘は、絶大な人気を誇った。
やがて、岩蔵は、敷地に落葉松を植えた。
百年先の森を心に描いて。
人との一期一会を大切に生きることで、岩蔵は激動の明治を生き抜いた。
彼がつくった落葉松の道。それを外国人たちは、GROVE LANE、木立の道、と呼んだ。
新緑の季節、並木道を吹き抜ける風は、岩蔵の祈りを運んでくる。

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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