第百七十話それでも自分にyesを言い続ける
彼には絵本作家のほかに、児童文化研究者、化学技術士、工学博士、大学講師など、さまざまな肩書があります。
でも、おそらくかこは「そんな肩書なんかどうだっていいですよ」というに違いありません。
彼が生涯を通してしたことは、たったひとつでした。
未来ある子どもたちに、何かしたい、何か役に立ちたい。
『だるまちゃん』シリーズ、『からすのパンやさん』など、およそ700点あまりの作品を生み出し続けた彼には、科学をやさしく繙(ひもと)くというライフワークもありました。
亡くなる直前まで、ベッドに伏しながら筆を入れ続けたのが『みずとはなんじゃ?』という作品でした。
「水を総合的に捉えた集大成の作品をつくりたい」
そんな構想を2年あたため、かこは力をふり絞り、絵を画き、文章をつむいだのです。
体調が悪化して、どうしても絵を描き切ることができないと判断すると、彼は、鈴木まもるというひとに完成を託しました。
鈴木が、かこの意図をキチンと受け止めてくれる後継者であると信じていたからです。
「水は、循環するんです。海の水が蒸発し、雲になって雨を降らし、川に落ち、海に流れる。ぐるぐる、回るんです」
かこは、水の循環にこだわりました。
かこは、鈴木の手を握り、「頼みますよ」と三回言ったといいます。
『みずとはなんじゃ?』が、遺作になりました。
少年時代、戦争という荒波に翻弄され、自分の存在価値、存在理由を見失ったかこは、子どもの笑顔に救われます。
そして、こう思ったのです。
「未来ある子どもたちに、自分のような間違いを起こさせてはいけない。一度失った人生を、全て子どもに捧げよう」
それは優しくも激しい、自分にyesを言うための戦いでした。
かこの作品は、水のように、海になり雲になり雨になって、年代を越え、子どもたちに愛され続けています。
絵本作家・かこさとしが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
絵本作家・かこさとしは、1926年、福井県武生、現在の越前市に生まれた。
時代は戦争に向かって突き進んでいたが、北陸の小さな町は、のどかな空気に満ちていた。
武生で暮らした8年間を、かこは、宝物だという。
そこには、川が流れ、山をのぞみ、畑や田んぼがあった。
虫や動物と共存して、自然と生活が寄り添っていた。
かこは、幼稚園に通うころから道草するのが大好きだった。
木々に話しかける。メダカやおたまじゃくしをつかまえて遊ぶ。
あぜ道を、歌いながら歩いた。
兄から言われていたことがある。
「おい、川の向こうの大きな沼には近づいたらダメだぞ。とんでもない沼の主がいるからな」
行くなと言われると行ってみたくなる。
友達を誘って、橋を渡った。
沼は想像以上に大きい。
友達は怖気づいていなくなってしまった。
かこ、ひとり。
樹によじのぼり、とってきたクモの幼虫を沼にばらまいた。
小さな波紋が拡がる。シーンと静まりかえっている。
突然、何か黒いものがやってきて、「がぼっ」と言ってクモの子を飲み込んだ。
再びの静寂。
かこは生涯、そのとき聴いた「がぼっ」という音を忘れなかった。
絵本作家・かこさとしが7歳のとき、一家は東京に引っ越した。
長屋暮らし。
そこにはさまざまな境遇の子どもたちがいた。
ある家の父親は、酒癖が悪く、暴力をふるった。
ガシャン、大きな音がすると、その家の子どもたちがかこの家に逃げ込んできた。
兄弟の一番上、みんなから「あんちゃん」と呼ばれていた男の子は、かこの憧れだった。
あんちゃんは、石ころで器用に手品ができる。
面白い話をして笑わせてくれる。
何より、絵が上手だった。
チラシの裏に漫画を画いてくれた。
かこは、あんちゃんの一挙手一投足をじっと見ているのが好きだった。
どんなに辛くても、あんちゃんはいつも笑顔。
まわりのひとを喜ばせる。
かこが笑うと、うれしそうに、あんちゃんも笑った。
たった一枚の絵で、こんなにもひとを幸福な気持ちにしてくれる。
かこの描く絵本の世界に、あんちゃんとの日々が生きている。
「うつくしい絵は、みるひとが、絵をかいたひとの
うつくしい心をかんじるとき いちばん つよく
うつくしく ひびくのです」
絵本作家・かこさとしは、東京府立第9中学校、現在の都立北園高校2年生のとき、自ら志願して、航空士官を目指した。
しかし、視力の低下により、受験を断念。
自分の意志で戦争に参加しようと思ったことは、生涯、かこの心の傷になった。
ただ飛行機乗りになりたかっただけ。
でも、軍国主義に加担した罪を忘れることはできない。
さらに、軍人になれないとわかると手のひらを返したように、教師の態度が変わった。
「おまえは、ダメなやつだ」
そんな言葉の暴力に折れそうになる。
終戦後、生き残っても、「死にぞこない」と叩かれた。
大人なんか信じない、そう誓う。
自分の居場所がわからない。
自分の生きる意味が見いだせない。
彼は、こんな一文を書いている。
「ぼくの いま、いるのは、ここです。わたしの、いま、いる ところは、ここです。ここって どこでしょう?ここって それは どこに あるんでしょう?」
鬱々とする中、子どもたちに出会う。
川崎でのセツルメントへの参加。
セツルメントとは今でいう市民ボランティア。
工場地帯の子ども会を手伝った。
子どもは正直だ。
つまらなければ、あっという間にそっぽを向く。
面白ければ真剣に見つめる。
かこは、鼻をたらした泥だらけの子どもたちを相手に、必死に紙芝居をつくった。
一緒に笑い、一緒に遊ぶ。
子どもこそが先生だった。
川崎の子どもたちの中に、かつての自分がいた。
あんちゃんもいた。
笑いながら、かこは泣いていた。
ここにいていいんだ。
自分は、生きていてもいいんだ。
大切にしたのは、子どもたちの可能性。
大人の枠にあてはめてはいけない。
のびやかで、自由でなくてはいけない。
かこは、毎日毎日机に向かい、一枚一枚丁寧に絵本を画きながら、子どもたちに向き合った。
それは、贖罪であり、自分にyesを言う作業でもあった。
そうして、かこさとしの残した希望の一滴一滴が、雲になり雨を降らし、大きな海に返ってくる。
【ON AIR LIST】
Tomorrow (A Better You, Better Me) / Quincy Jones Feat.Tevin Campbell
STRAWBERRY FIELDS FOREVER / The Beatles
SMILE / Michael Jackson
TEACH YOUR CHILDREN / Crosby, Stills, Nash & Young
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