第七十六話昨日の夕陽は見ない
徳川幕府が、箱館の港を開くことに伴い、防衛の意味で建てた、我が国初の西洋式城郭。
ここで、旧幕府軍、榎本武揚らとともに、新政府軍と闘った勇士がいます。
土方歳三(ひじかた・としぞう)。
彼は、冷酷無情、新選組の鬼の副長として知られています。
津軽海峡をはるかにのぞむ大森浜に、土方歳三函館記念館があります。
彼が亡くなった場所だと言われている、一本木関門が展示され、足を踏み入れれば、幕末の世界が拡がります。
引き締まった白い顔。涼し気で切れ長の目。
漆黒の髪を後ろになでつけ、颯爽と歩く長身の快男児は、京都で多くの芸者たちから惚れられたという伝説を持っています。
その一方で、厳しい戒律をつくり、規律を守れぬもの、歯向かうものには、容赦なく罰を与えた冷血漢として知られています。
彼は、幼少の時分、こう心に誓いました。
「われ、壮年武人となって名を天下に上げん」。
商人として仕えつつ、いつか武士になり、名をあげようとしていた少年は、未来のために日々修練に励みました。
幼い頃、彼が暮らした家の一本の柱は、稽古の相手でした。
柱に向かい、張り手をする。ぶつかる。投げを試みる。
そうしてできた汗のしみは、彼の思いの強さの象徴です。
ただ、黙って未来を待っていたわけではない。
土方歳三は、己を磨くために、日々の努力を厭(いと)いませんでした。
彼はこんな言葉を残しています。
「昨日の夕陽がどんなに素晴らしくても、今日は見ることができないらしい。それが人の世なら、一日過ぎたら、私はその一日を忘れる。過去は、私にとって何の意味もない。未来だけが、いやにはっきりとした姿で、私の目の前にある」。
幕末を駆け抜けた男、土方歳三が悟った、明日へのyes!とは?
新選組副長、土方歳三は、1835年、武蔵国多摩郡、現在の東京都日野市に生まれた。
土方家は、地元の豪農。さらに、万能薬をつくり、商いもやっていた。
歳三は、十人兄弟の末っ子。生まれる数か月前に父は亡くなり、母も、6歳のとき、この世を去った。
二番目の兄夫婦にひきとられ、育てられた。
村ではいちばんの暴れん坊。
見かけは色白の可愛い顔だったが、一度怒ると手がつけられなかった。
もともと多摩という土地は、徳川幕府以降、甲州の守り口として、武術が盛んな場所だった。
幼い歳三は、早々に自分の未来を決めた。
「俺は、将来、武士になる」。
武士になったらこれで矢をつくろうと、竹を植えた。
薬の商いで各地を回るときは、必ず剣術の道場をめぐり、稽古をつけてもらった。
背中に背負う薬箱も重いが、さらに剣術道具をたずさえ、歩いた。
横浜や甲府まで、2週間近く、家には帰れない。
でも彼は苦にならなかった。
強くなりたい。誰よりも強くなって、早く武士になりたい。
その想いだけが、彼の背中を押した。
彼は後に、こう言った。
「目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである」。
幕末の風雲児、土方歳三は、さすがに焦りを感じていた。
当時は、人生五十年。
20代後半になっても、なかなか武士として名をはせる機会はめぐってこなかった。
1歳上の近藤勇に出会い、同じ天然理心流に学ぶも、先が見えなかった。
そんな中でも、日々の修練は欠かさなかった。
一日になすべきことは、全てやり通した。
近藤に、
「いつ武士になるかわからないのに、土方、おまえは、よく続くな。バカのひとつ覚えみたいに」
とからかわれても、
「人生ってやつは、今日から先が大事なんだよ、近藤さん」
と笑って返した。
29歳のとき、将軍・徳川家茂警護のための浪士組の募集があった。
この機を逃してはいけないと、応募。
採用が決まり、京都に向かった。
初めての京の都。きらびやかだった。心が躍った。
「俺は、ここで、名をあげる」。
彼の目は、ここでも未来を見ていた。
土方歳三は、浪士組を母体にして、新選組を組織した。
局長は、近藤勇。右腕として指揮をとった。
厳しい規律をつくり、それを守れぬものを容赦なく罰した。
その冷酷ぶりから、「鬼の副長」という異名がついた。
「目的ははっきりしている、そのためにやるべきこともわかっている、あとは、それを守れるかどうかだ」。
きわめて単純明快な思想のなせる業(わざ)だった。
どんな時も最前線で戦った。
だからこそ、逃げるものが許せなかった。
戊辰戦争を経て、箱館に渡る。
ここでも、常に冷静沈着な土方がいた。
その一方で、不安げな部下に自ら酒をふるまい、「大丈夫だ、なんの心配もない」と落ち着かせた。
不思議なことに、箱館の土方を、まわりのものは、おだやかで優しいひと、と評した。
もしかしたら、迫っている死を覚悟していたのかもしれない。
1869年5月11日、新政府軍が箱館を攻撃してきた。
全面戦争。もはや勝ち目はない。
「我が兵は限りあるも、官軍は限りなし。いったんの勝ちあるといえども、そのついに必ず敗れんこと、必至なり。しかるに、われ、任じられて敗れるは、武士の恥なり。身をもって、これに殉じるのみ」
馬上で指揮をとっているとき、銃弾に腹部を射抜かれ、落馬。
この世を去った。享年 35。
どんなに勝ち目がなくても、前へ前へと進む土方の姿を見て、誰も逃げるものはいなかった。
志半ばだったかもしれない。
でも、土方歳三の名は、150年近く経った今でも、とどろいている。
彼が植えた竹は、今、どれくらい伸びているか。
彼が描いた夢は、どこまで天に届いたか。
土方に問えば、彼はこう答えるかもしれない。
「昨日の夕陽を見るな、明日のぼる、太陽を待て」。
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