第百十九話自分の人生に決着をつける
海音寺潮五郎(かいおんじ・ちょうごろう)。
上杉謙信の魅力を世に知らしめた傑作『天と地と』は、1969年、NHK大河ドラマの初めてのカラー作品の原作になりました。
石坂浩二演じる謙信は、圧倒的な存在感を放ち、最高視聴率32.4%。
海音寺の歴史小説家としての地位も、不動のものと思われました。
ところがそんな絶頂期、「私は今後一切、仕事は受けません」と、突然の引退宣言をしたのです。
理由は、実にシンプルでした。
「自分の後半生は全て、郷里の偉人、西郷隆盛に捧げたい。彼の長編史伝の執筆に、全精力を使いたいんです」。
海音寺は、自分の作品のジャンルに、歴史の史に伝記の伝と書く、『史伝』という言葉を使いました。
史伝文学とは、歴史上の人物や出来事を作品にするとき、なるべくフィクションを捨て去り、厖大な資料と向き合いながら、真実に近づこうとする形態を指します。
自らの歴史小説が人気を博したとき、一度、西郷隆盛の生涯を書こうとしますが、1年あまりで新聞の連載を休止してしまいました。
小説形式の限界を見たのです。
どんなに売れても、どんなに周りから「先生!」とちやほやされても、彼の心は満たされなかったのでしょう。
だからこそ、筆力も経済力もついた晩年、あらゆるものを捨て去り、再び西郷隆盛に向き合うことを決めました。
まるで西郷に己を見るように、彼は、真実の追及を始めたのです。
残念ながら、76歳で突然この世を去り、『長編史伝 西郷隆盛』は未完となりましたが、彼の思いは、のちのひとに受け継がれています。
小説家・海音寺潮五郎が、西郷隆盛の中に見つけた明日へのyes!とは?
歴史小説家・海音寺潮五郎は、1901年、鹿児島に生まれた。
本名は、末富東作(すえとみ・とうさく)。
ペンネームの由来は、こうだ。
先生をしていた頃、小説のコンクールに応募する際、実名では学校にばれてしまう。
何かいい筆名はないかと考えながら、うつらうつらと眠ってしまった。
夢の中で、彼は紀州、現在の和歌山県の海辺にいた。
どこかで、声がする。
耳をすますと、「かいおんじちょうごろう」と声がしたという。
懸賞に応募した作品は見事、入選。
しかし、せっかくつけたペンネームだったのに、受賞の告知に本名も載ってしまい、意味がなかったらしい。
海音寺は、幼い頃から体が大きかった。
小学校には、1年繰り上げて入った。
しかし、ただ体が大きいだけで、何かに特別秀でていたわけではない。
ゆえに、勉強にはついていけず、イジメられた。
学校がイヤでイヤでたまらない。
それでも、なんとか日々を過ごせたのは、講談本があったからだった。
講談師が、張り扇で合いの手を入れながら、歴史上の出来事を面白おかしく語る、講談。
それをまとめた講談本は、当時、子どもが読んではいけないものだった。
でも、海音寺は、家にあった本をこっそり持ち出し、屋根の上でそれを読んだ。
面白かった。ワクワクした。
読んでいるときだけ、嫌なことを忘れられた。
特に大好きだったのは、西郷隆盛の話だった。
近所では屋根の上で、ケラケラ笑ったり、大声をあげる海音寺が評判になった。
彼はのちに語っている。
「私にとって、学校がたいそう辛く、耐えがたいものでなかったら、私は、小説家にはなっていない」
屋根の上にさえいれば、彼は想像力の王様だった。
歴史小説家・海音寺潮五郎は、中学を出て、伊勢神宮皇學館に入学。
しかし1年で退学した。
故郷、鹿児島に戻り、生涯をともにする、山川かづと結婚。
翌年には再び上京して、國學院大學高等師範部に入学し、大学を卒業後、地元、鹿児島指宿の中学校の先生になった。
ほどなくして、小説を書き始める。
かつて自分をワクワクさせてくれたものを、もし自分が書けたら、それは、物語への恩返しになるのではないか。
眠気と闘いながら、必死に原稿用紙を埋めていった。
やがて28歳のとき、懸賞に入選。
33歳で教職を辞めて、筆一本で勝負することを決めた。
2年後、直木賞を受賞し、順調な作家生活が始まると思っていた矢先、戦下のもと徴用を受け、大阪の部隊に配属される。
同じ部隊に作家仲間の井伏鱒二(いぶせ・ますじ)もいた。
マレー戦線におくられることが決まっていた。
大阪の部隊に到着した翌日。中佐が「オレの言うことを聞かんやつは、ブッタ斬る!」と脅した。
海音寺は、すっと立ち上がり、「ブッタ斬るとは、何事だ!」と大声をあげ、長さ四尺の日本刀を床に突きたてた。
その凄まじい迫力に、誰もが言葉を失ったという。
彼は力に屈しない。そのことを教えてくれたのも、西郷隆盛だった。
海音寺潮五郎は、『覇者の条件』という本の対談の中で、こんなふうに語っている。
「芸術の形式というものは、そう窮屈なものじゃないですからね。それは小説でもそうですが、芝居とはこうすべきもの、小説とはこうあるべきものとそのときの常識で考えられているものは、たまたまそういう形式の芝居や小説が多いというだけのことで、それに捉われる必要は全然ないのです」
言葉どおり、彼は、従来の歴史小説というジャンルにこだわらなかった。
大切なのは、真実に近づくこと。そして、面白いということ。
少年のころ、屋根の上でケラケラ笑い、励ましてもらったたくさんの本たちを、彼は忘れなかった。
気がつけば、『天を敬い、人を愛す』西郷隆盛のような人生を歩んだ。
仕事には厳しかったが、情に篤い。
酒はめっぽう強く、決してひとの前で乱れることはなかったが、一度だけ、正体をなくすほど酔った。
それは最愛の妻、かづを亡くしたときだった。
「ひとつぼの灰と汝はなりにしを」
いくつもの句を詠んだ。
自分の最後の仕事は、迷わなかった。
幼い頃の恩人。自分を励まし、救ってくれた郷土の英雄。
屋根の上で、何度思い描いたかわからないそのひとの名は、西郷隆盛。
海音寺潮五郎の、長い長いお礼の手紙は、天国に持ちこされることになった。
【ON AIR LIST】
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