第三百六十三話楽しむことを忘れない
小柴昌俊(こしば・まさとし)。
星の終末期に起こる現象「超新星爆発」によって放たれたニュートリノを、小柴は世界で初めて、実験装置『カミオカンデ』で観測することを実現。
2002年、ノーベル物理学賞を受賞しました。
ニュートリノという小さな粒は、今、この瞬間も宇宙から降り注いでいますが、あまりに小さな粒子なので、電気や磁力には反応せず、私たちの体を通り抜けています。
小柴は、この原子よりも小さな素粒子の観測に情熱を傾けました。
ニュートリノを観測できれば、素粒子物理学の世界で予言された陽子崩壊が検出できる。
岐阜県飛騨市にある神岡鉱山に、地下1000メートルの観測装置をつくり、「超新星爆発で大量のニュートリノが宇宙に放出される」という仮説を証明しようとしたのです。
この小柴が開拓した「ニュートリノ天文学」は、1987年2月23日、奇跡のときを迎えます。
地球からおよそ17万光年離れた大マゼラン星雲で超新星爆発が起こり、見事、その観測に成功したのです。
小柴の研究者としての人生は、決して平坦ではありませんでした。
自らを「落ちこぼれ」と称する彼は、いくつかの障害をものともせず、ここまで来られたのはなぜかと後輩に聞かれると、こう答えたと言います。
「なんでも能動的に、なんでも楽しもうとしたからだよ」
科学は、楽しいものじゃない。
だから私の講演を、ただ、楽しいだろうと思って受け身で聴いていても、ちっとも楽しくない。
楽しむということ。
なんでも、楽しもうと思ったひとだけが、その道を歩き続けることができる。そう説いたのです。
日本物理学会に光を灯した偉人・小柴昌俊が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊は、1926年9月19日、愛知県豊橋市に生まれた。
父は軍人。豊橋の第18連隊に所属していた。
ほどなく東京に転勤。陸軍戸山学校の剣道の教官になる。
父は、躾(しつけ)に厳しかった。
2歳のとき、昌俊が味噌汁をこぼす。
叱られるのが怖くて、壁に立てかけてあったお膳の影に隠れた。
父は、烈火のごとく怒った。
「武士の子が、隠れるとは何事だ!」
母が必死にかばい、なんとかその場がおさまった。
大好きだった母は、3歳のとき、結核で亡くなる。
父は、母の姉と再婚するが、幼心に遠慮があり、新しい母になじまなかった。
小学生のときは、成績は優秀だが、やんちゃだった。
近所の古いビルの窓ガラスに、ガンガン石をぶつけて叱られる。
家では、手当たり次第に本を読んだ。
寝不足でいつも目を真っ赤にしていたので、「うさぎちゃん」と呼ばれた。
そんな小柴に、最初の試練が待っていた。
中学1年生の秋。小児麻痺にかかり、寝たきりの生活が始まった…。
小柴昌俊と、物理学の蜜月は、そう簡単には訪れなかった。
小柴が通った中学のエリートはみな、海軍兵学校か、陸軍士官学校に進む。
でも、小柴には小児麻痺の後遺症が残り、軍人にはなれない。
父の落胆は激しかった。
試験に何度か落ちて、なんとか、旧制第一高等学校に入学。
理科甲類だったが、将来は、ドイツ文学か、音楽を研究したいと思っていた。
進路を決めかねているとき、ある出来事に遭遇する。
住んでいた学生寮で、ひとり風呂に入っていた。
湯気の向こうに通りを歩くひとの声が聴こえる。
物理の教師と、物理が得意な同級生だった。
その教師は、右手があがらないために黒板で問題を解けない小柴に落第点をつけた。
二人は、こんな話をしている。
「小柴は、ダメだね」
「先生、いったい、あいつはどこに行くんですかねえ」
「どこに行くかわからんが、まあ、物理じゃないことだけは確かだね。ドイツ文学か、せいぜい哲学だろう、はははは」
湯船につかりながら、怒りで体が震えた。
そうか、ならやってやろうじゃないか。
物理が何ほどのものか知らないが、極めてやろうじゃないか!
寮の同室だった友人に頼み、物理学の特訓を受けた。
中学生のときに読んだ本が、よみがえってきた。
楽しんで読んだ、あの、物理学の本。
復讐のための勉強が、やがて、楽しむことに代わったとき、小柴は、言い知れぬ喜びを覚えた。
わからないことを解き明かす、こんなに楽しいことは、ないじゃないか。
自分を虐げた物理の教師に、感謝した。
こんなに楽しい「おもちゃ」を僕に与えてくれて、ありがとう!
物理は、一生を賭けるに値する学問です。
世界的な物理学者・小柴昌俊は、後輩の育成にも尽力した。
彼はたびたび、こんな質問をしたという。
「比べるのは違うのかもしれないけどね、モーツァルトとアインシュタイン、どちらが偉大だと思いますか?」
答えに詰まる学生に、彼は言う。
「どちらも天才です…ただ、アインシュタインがやったことは、彼がやらなくても、のちのひとがいつかは発見したことだと思います。
でもねえ、モーツァルトがやったことは、モーツァルトにしかできないんですよ。
どうせ、一生を賭けるなら、自分にしかできないことをやってみなさい。
そのためのコツはねえ、そう、楽しむことです。
これは私の想像ですが…モーツァルトは、曲を創ることが大好きだった。楽しんで創った。
だから…彼の曲を聴くと、幸せな気持ちになるんです」
鋭い感性と、絶えることがない情熱。
日本を代表する物理学者・小柴昌俊の笑顔は、今も私たちの心に残っている。
【ON AIR LIST】
SHOOTING STAR (Acoustic) / Owl City
SUMMER / WAR
交響曲第39番変ホ長調 K.543~第4楽章 / モーツァルト(作曲)、シカゴ交響楽団、サー・ゲオルグ・ショルティ(指揮)
★今回の撮影は、「豊橋市視聴覚教育センター・地下資源館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
営業時間など、詳しくは公式HPでご確認ください。
豊橋市視聴覚教育センター・地下資源館 HP
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