第百九十八話自分の人生にけじめをつける
大河ドラマ59作目にして、初めての主役。
光秀は、天下の謀反人と言われながら、実はその多くが謎に包まれています。
今回再び、脚光を浴び、新しい史実や研究の成果が次々と発表されました。
その多くが、謀反を起こした理由についてです。
最近発見された『石谷家文書(いしがいけ・もんじょ)』によって、織田信長は四国攻めを計画しており、それを阻止するために、明智光秀が変を起こしたのではないかという説も浮上しました。
謀反を起こした悪人としてのみ印象づけられた光秀ですが、たとえば、京都の福知山市では、御霊神社に光秀が祀られています。
由良川の堤防をつくり、ひとびとを水害から救い、町を守ったことを、地元のひとは忘れなかったのです。
岐阜県可児市は、光秀が生まれ、およそ30年過ごしたとされる、彼の故郷です。
北を流れる木曽川。中央には可児川。
豊かな自然と、名古屋エリアのベッドタウンとしての利便性を併せ持つ、可児市。
いまも戦国時代の名残をとどめるように、リクリエーションとしてのチャンバラ合戦が多く開催され、大人から子どもまで笑顔で参加しています。
その平和な景色を眺めたら、光秀はどう思うでしょうか?
もしかしたら、彼ほど戦を嫌い、平和を望んだひとはいないかもしれません。
幼い頃から古今東西の書物に触れ、また、自らの足で諸国を巡り歩き見識を広めた才人としての一面は、あまり知られていません。
城を築く才覚は、並外れたものがあったといわれています。
「天王山」で秀吉に負け、「三日天下」と揶揄(やゆ)された謀反人、光秀は、何を思い、何を考え、50年あまりの生涯を終えたのでしょうか。
彼が私たちに問いかけるものとは…。
そして、明智光秀が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
明智光秀は、1528年、現在の岐阜県可児市に生まれたといわれている。
生まれた年については、諸説あり、定かではない。
明智家は、室町時代に美濃国の守護を務めた名門、土岐氏の流れをくむ一門だったが、身分は低く、いつも戦乱に巻き込まれ、翻弄される運命を背負っていた。
可児郡にあった明智城での暮らしも長くは続かない。
斎藤道三の失脚によって、城を追われる。
夜の山道を一家で惨めに歩きながら、幼い光秀は思った。
「なんで逃げなきゃいけないんだろう。いったい、何から逃げているんだろう」
誰にきいても、答えてくれる大人はいなかった。
雨が降ってきた。夏のはじめとはいえ、寒い。
ずぶ濡れになりながら歩く。みんな無言で歩く。
越前の朝倉氏を頼り、称念寺という寺に住まわせてもらうことになる。
初めて寺に着いた日の朝。
光秀は、驚いた。
木々の間からこぼれる光が、幾筋も境内を照らす。
濡れた葉に、陽光がきらめく。
鳥たちは高らかに鳴き、それがかえって静寂を深くした。
ふっと、息をつく。
そこに、戦の影はなかった。
「なんて、綺麗なんだろう…」
光秀は、刻々と変わる朝の風景を、ただじっと見ていた。
幼い明智光秀にとって、称念寺での暮らしは楽しかった。
戦から遠い世界。
寺には、絵画があり、書物があり、説法があった。
ふすまに描かれた鳥の絵に、心ひかれる。
古い書物の手触りにぞくぞくした。
誰も答えてくれないのであれば、自分で知るしかない。
この世のしくみ。この世の成り立ち。
和尚に頼み込み、書物の読み方を教わった。
称念寺での10年間が、光秀の根幹をつくった。
戦が起こる経緯を聞けば聞くほど、人間というものが見えてくる。
城を追われるきっかけとなった、斎藤道三と息子、義龍との争い。
名もない一介の油売りが、才知を尽くして成り上がり、美濃国を治めたが、結局自分の息子に殺されてしまう…。
「ひとは、ひとを欺く生き物である」。
同年代の子どもと遊んでいても、いつも冷静な自分がいた。
「いまはニコニコ笑っているこいつも、やがて、ボクを裏切ることがあるに違いない」
幼いうちに、城を追われ、一族離散に追い込まれたことを忘れなかった。
「二度と、あんな惨めな思いをしたくない。ならば、自分で自分を守るしかない」
明智光秀は、16にして元服した。
叔父から城を譲り受ける機会を得るが、「まだ、そのような器ではありません」と断る。
20歳になっても城を持たず、諸国をめぐり、神社仏閣を訪ね、城を眺めた。
じれる叔父に彼は言った。
「人間には、学ぶべきときと動くときがあるのです。いま、私は学ぶべきとき。とにかくこの目で見ておきたいものが山ほどあるのです。責任を負うべきは、もう少し待っていただけませんか」
初めて織田信長に会ったとき、その眼力の強さに圧倒されながらも、思った。
「どこか、自分に似ている」
果てしない野心を持っているところ、ひとを疑い、決して信用しないところ、ひとたびこうだと決めたら決して躊躇(ちゅうちょ)などしないところ。
信長に比叡山延暦寺焼き討ちの話を聞いたときも、自分でも同じことをするかもしれないと思った。
でも、後処理を任され、惨状を見るにつけ、深い悲しみと怒りが沸き起こった。
寺が…好きだった。
自分は、寺に救われた人間だった。
人間は、こんなに残酷なことができるのか…
我が身を振り返り、絶望した。
「終わりにしなくてはいけない。こんなことを続けていて、天下をおさめられるわけがない…なんとしても、とめなくては」
光秀は、思い出した。
幼い日、寺の境内に降り注いでいた、幾筋もの幸福な光を。
「自分の人生を完結できるのは、自分しかいない」
1582年6月2日、朝早く。
明智光秀は、京都の本能寺に向かった。
【ON AIR LIST】
HE'S A REBEL / The Crystals
YOU BABY / The Ronettes
GOOD TIMES, BAD TIMES / The Rolling Stones
SHELTER FROM THE STORM / Bob Dylan
閉じる