yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第八十七話 自分を越える戦い -【富士山篇】 レーシング・ドライバー アイルトン・セナ-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

閉じる

第八十七話自分を越える戦い

富士山の裾野に、モータースポーツの聖地があります。
富士スピードウェイ。
全長4400メートル。創業は、去年50周年を迎えました。
標高およそ550メートルの場所にあること、すぐそばに富士山を抱くことで、天候に関しては決して安定したものではありません。
夕方から急に冷える。霧が深い。そして雨が多い。
0.1秒を争うドライバーにとって、過酷な条件での戦いになります。
富士山は、数々のレースを見守ってきました。
響き渡る爆音。歓声。あくなき挑戦への拍手。
そこには数々のドラマがありました。
5月1日は、日本を愛し、日本人が愛した、あるF1ドライバーの命日です。
音速の貴公子と呼ばれた男、アイルトン・セナ。
1994年5月1日、イタリア・イモラでのF1グランプリ決勝で、彼は開幕から3週連続のポール・ポジションでスタート。
ミハエル・シューマッハを後ろに従え、首位のまま、7週目を迎えていました。
超高速・左コーナー、タンブレロに時速312キロで突っ込む。
そこで悲劇は起こりました。
直進してコースアウト。コンクリート・ウォールに激突して、マシンは大破しました。
享年34歳。世界中が彼の死を悼みました。
彼のドライビングスタイルを危険、無謀というひとがいるかもしれません。
でも、彼は最後の最後まで、生きようとしていました。
コンマ数秒で5速にシフトダウン。わずか1.2秒で、100キロ近く減速していたのです。
この技術は神業としか言えません。
セナは、レースを始めた頃、雨が苦手でした。
でも、なんとか克服したい。
サーキットに水をまき、雨に強い自分を構築しました。
天才、と誰もが言う。でも、その影で、彼はもがき、苦しみ、自分の弱さと闘ってきたのです。
アイルトン・セナが強くなるためにつかんだ、明日へのyes!とは?

レーシング・ドライバー、アイルトン・セナは、1960年3月21日、ブラジルのサンパウロに生まれた。
父はやり手の実業家。
農場や牧場経営、自動車修理工場や商店を営む、地主であり、サンパウロでは有名な経営者だった。
長男として誕生したセナは、父親の寵愛(ちょうあい)を受けた。
車好きの父親が息子の4歳の誕生日のプレゼントに選んだのは、レーシングカートだった。
別にレーサーになってほしかったわけではない。
でも、セナはたちまち、のめりこんだ。
「学業をおろそかにするようだったら、カートはやらせない!」
父親の怒りを避けるように、セナは学業も頑張った。
好きなものを手放さないために。
10歳のときには、エンジンに興味を持ち、分解しては組み立て、最強のエンジンをつくるためにはどうしたらいいか、自分で学んだ。
13歳で初めてカートレースに、カーナンバー「42」で出場。
ぶっちぎりの優勝だった。そのドライビングテクニックには皆が驚嘆した。
「あのナンバー42は、すごいな!」
以来、彼は、ナンバー42と呼ばれた。
どんなに賞賛されても、セナは納得しなかった。
他人に勝っても、自分に負けたのでは、本当の勝利とは言えない。
ある雨のレース。コーナーリングを失敗して、コースアウトしてしまう。
許せない。弱い自分が、許せない。
翌日から同じコースに水をまき、練習に励む。
ダメだ、こんなんじゃダメだ。もっと、もっと速く。
オレは、まだまだ高みに行けるはずだ。
水しぶきをあげるレーシングカートは、唸り声をあげ、走り去った。

音速の貴公子と呼ばれたF1ドライバー、アイルトン・セナを、あるメカニックがこう評した。
「ああ、もちろん彼は天才だったよ。でもね、その才能っていうのはね、努力を惜しみなく続けることができる才能なんだよ。彼は速く走ることができるなら、なんでも捨てた。孤独もいとわない。みんなが酒場でよろしくやってるときにも、彼は、黙々とハンドルを握り続けていたんだ」。
セナは、忘れられなかった。
4歳の時、初めてカートに乗った時の高揚感。疾走感。
世界が変わった。
流れる風景の美しさに酔いしれた。
いつしか、生きることとレースで走ることが、ひとつになった。
彼はこんな言葉を残している。
「この世に生を受けたこと、それ自体が最大のチャンスなんだ。だから、生きるなら、完全で強烈な人生を送りたい。僕は、そういう人間なんだ。事故で死ぬのなら、一瞬で死にたい」。
不断の努力は、彼に、類まれな聴覚を与えた。
あるテスト走行で、彼はいきなりピットに戻り、マシンから降りた。
「これ以上走ったら、エンジンが壊れる」。
エンジニアたちは、首をひねった。
データには、全く問題がなかったから。
でも、後にエンジンテストをすると、白い煙を吐き出し、エンジンは壊れた。
セナは、聴いていた。
排気音、吸入音、回転音。
研ぎ澄まされた感性も、速く走るための集中が生んだ。
彼は言った。
「2位や3位じゃ意味がない。優勝するために走ったひとだけが、優勝できるんだ」。

1994年、第3戦サンマリノグランプリは、不穏な空気に包まれた。
予選初日に、セナと親しいルーベンス・バリチェロが大クラッシュ。
2日目にはローランド・ラッツェンバーガーが事故で亡くなる。
いつも自分を律し、自分を保っていたアイルトン・セナも、わけのわからない不安を待て余してしまう。
恋人のアドリアーナに電話する。
「どうしたの?様子が変よ」と聞かれ、「…走りたくないんだ」と答えた。
おそらく後にも先にも、セナがそんなことを言ったのは初めてだったに違いない。
でも、夜にはいつものセナに戻っていた。
もう一度、電話をする。
「アドリアーナ、大丈夫、心配しなくていい。君も知ってるだろう?僕はね、とっても強いんだ」。
セナの亡骸がイタリアからふるさとのブラジルに戻るとき、ブラジル空軍機が彼を迎えた。
地上で待っていた市民の数、およそ100万人。沿道に立つ誰もが泣いていた。
セナの墓には、こんな言葉が刻まれた。
「神の愛より我を分かつものなし」。
非業の死を遂げたアイルトン・セナ。
彼がなにゆえ、ここまでひとびとの心をとらえて離さないのか。
彼の敵は他人ではなかった。
弱い自分、怠ける自分、集中できない自分。
自分を越える戦いを続けたひとは、人生の勝利者である。

【ON AIR LIST】
Tristeza / Elis Regina
And It All Goes Round And Round / Mike Campbell
君が信じなくても / Lenine & Suzano
Travessia / Milton Nascimento

音声を聴く

今週のRECIPE

閉じる

霜降りひらたけの甘酢炒め

F1ドライバー アイルトン・セナも走ったモータースポーツの聖地、富士スピードウェイ。今回は、その富士スピードウェイがある静岡・御殿場の特産、さつまいもを使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけの甘酢炒め
カロリー
240kcal (1人分)
調理時間
20分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【2人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1パック
  • さつまいも
  • 中1/2本
  • れんこん
  • 20g
  • 黒ごま
  • 適量
  • 片栗粉
  • 適量
  • 適量
  • 【合わせ調味料】
  • 大さじ2
  • 砂糖
  • 大さじ2
  • しょう油
  • 大さじ2
作り方
  • 1.
  • さつまいも、れんこんはいちょう切りにし、片栗粉をまぶす。
  • 2.
  • 中火のフライパンに1cm程の油を入れて(1)を揚げ焼きにする。
  • 3.
  • (2)の油を捨て、ほぐした霜降りひらたけを加えて炒め、【合わせ調味料】で味付けをする。
  • 4.
  • 強火にしてさっと炒め、最後にごまをふる。
  • recipe LIST

閉じる

ARCHIVE

閉じる

RECIPE LIST

閉じる

番組へのメッセージ

閉じる

PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

閉じる

NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

閉じる