第八十七話自分を越える戦い
富士スピードウェイ。
全長4400メートル。創業は、去年50周年を迎えました。
標高およそ550メートルの場所にあること、すぐそばに富士山を抱くことで、天候に関しては決して安定したものではありません。
夕方から急に冷える。霧が深い。そして雨が多い。
0.1秒を争うドライバーにとって、過酷な条件での戦いになります。
富士山は、数々のレースを見守ってきました。
響き渡る爆音。歓声。あくなき挑戦への拍手。
そこには数々のドラマがありました。
5月1日は、日本を愛し、日本人が愛した、あるF1ドライバーの命日です。
音速の貴公子と呼ばれた男、アイルトン・セナ。
1994年5月1日、イタリア・イモラでのF1グランプリ決勝で、彼は開幕から3週連続のポール・ポジションでスタート。
ミハエル・シューマッハを後ろに従え、首位のまま、7週目を迎えていました。
超高速・左コーナー、タンブレロに時速312キロで突っ込む。
そこで悲劇は起こりました。
直進してコースアウト。コンクリート・ウォールに激突して、マシンは大破しました。
享年34歳。世界中が彼の死を悼みました。
彼のドライビングスタイルを危険、無謀というひとがいるかもしれません。
でも、彼は最後の最後まで、生きようとしていました。
コンマ数秒で5速にシフトダウン。わずか1.2秒で、100キロ近く減速していたのです。
この技術は神業としか言えません。
セナは、レースを始めた頃、雨が苦手でした。
でも、なんとか克服したい。
サーキットに水をまき、雨に強い自分を構築しました。
天才、と誰もが言う。でも、その影で、彼はもがき、苦しみ、自分の弱さと闘ってきたのです。
アイルトン・セナが強くなるためにつかんだ、明日へのyes!とは?
レーシング・ドライバー、アイルトン・セナは、1960年3月21日、ブラジルのサンパウロに生まれた。
父はやり手の実業家。
農場や牧場経営、自動車修理工場や商店を営む、地主であり、サンパウロでは有名な経営者だった。
長男として誕生したセナは、父親の寵愛(ちょうあい)を受けた。
車好きの父親が息子の4歳の誕生日のプレゼントに選んだのは、レーシングカートだった。
別にレーサーになってほしかったわけではない。
でも、セナはたちまち、のめりこんだ。
「学業をおろそかにするようだったら、カートはやらせない!」
父親の怒りを避けるように、セナは学業も頑張った。
好きなものを手放さないために。
10歳のときには、エンジンに興味を持ち、分解しては組み立て、最強のエンジンをつくるためにはどうしたらいいか、自分で学んだ。
13歳で初めてカートレースに、カーナンバー「42」で出場。
ぶっちぎりの優勝だった。そのドライビングテクニックには皆が驚嘆した。
「あのナンバー42は、すごいな!」
以来、彼は、ナンバー42と呼ばれた。
どんなに賞賛されても、セナは納得しなかった。
他人に勝っても、自分に負けたのでは、本当の勝利とは言えない。
ある雨のレース。コーナーリングを失敗して、コースアウトしてしまう。
許せない。弱い自分が、許せない。
翌日から同じコースに水をまき、練習に励む。
ダメだ、こんなんじゃダメだ。もっと、もっと速く。
オレは、まだまだ高みに行けるはずだ。
水しぶきをあげるレーシングカートは、唸り声をあげ、走り去った。
音速の貴公子と呼ばれたF1ドライバー、アイルトン・セナを、あるメカニックがこう評した。
「ああ、もちろん彼は天才だったよ。でもね、その才能っていうのはね、努力を惜しみなく続けることができる才能なんだよ。彼は速く走ることができるなら、なんでも捨てた。孤独もいとわない。みんなが酒場でよろしくやってるときにも、彼は、黙々とハンドルを握り続けていたんだ」。
セナは、忘れられなかった。
4歳の時、初めてカートに乗った時の高揚感。疾走感。
世界が変わった。
流れる風景の美しさに酔いしれた。
いつしか、生きることとレースで走ることが、ひとつになった。
彼はこんな言葉を残している。
「この世に生を受けたこと、それ自体が最大のチャンスなんだ。だから、生きるなら、完全で強烈な人生を送りたい。僕は、そういう人間なんだ。事故で死ぬのなら、一瞬で死にたい」。
不断の努力は、彼に、類まれな聴覚を与えた。
あるテスト走行で、彼はいきなりピットに戻り、マシンから降りた。
「これ以上走ったら、エンジンが壊れる」。
エンジニアたちは、首をひねった。
データには、全く問題がなかったから。
でも、後にエンジンテストをすると、白い煙を吐き出し、エンジンは壊れた。
セナは、聴いていた。
排気音、吸入音、回転音。
研ぎ澄まされた感性も、速く走るための集中が生んだ。
彼は言った。
「2位や3位じゃ意味がない。優勝するために走ったひとだけが、優勝できるんだ」。
1994年、第3戦サンマリノグランプリは、不穏な空気に包まれた。
予選初日に、セナと親しいルーベンス・バリチェロが大クラッシュ。
2日目にはローランド・ラッツェンバーガーが事故で亡くなる。
いつも自分を律し、自分を保っていたアイルトン・セナも、わけのわからない不安を待て余してしまう。
恋人のアドリアーナに電話する。
「どうしたの?様子が変よ」と聞かれ、「…走りたくないんだ」と答えた。
おそらく後にも先にも、セナがそんなことを言ったのは初めてだったに違いない。
でも、夜にはいつものセナに戻っていた。
もう一度、電話をする。
「アドリアーナ、大丈夫、心配しなくていい。君も知ってるだろう?僕はね、とっても強いんだ」。
セナの亡骸がイタリアからふるさとのブラジルに戻るとき、ブラジル空軍機が彼を迎えた。
地上で待っていた市民の数、およそ100万人。沿道に立つ誰もが泣いていた。
セナの墓には、こんな言葉が刻まれた。
「神の愛より我を分かつものなし」。
非業の死を遂げたアイルトン・セナ。
彼がなにゆえ、ここまでひとびとの心をとらえて離さないのか。
彼の敵は他人ではなかった。
弱い自分、怠ける自分、集中できない自分。
自分を越える戦いを続けたひとは、人生の勝利者である。
【ON AIR LIST】
Tristeza / Elis Regina
And It All Goes Round And Round / Mike Campbell
君が信じなくても / Lenine & Suzano
Travessia / Milton Nascimento
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