yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第二百六十六話 受けた恩を忘れない -【佐賀篇】電気工学者 志田林三郎-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第二百六十六話受けた恩を忘れない

今から130年近く前に、現代の高度情報化社会を予見した「電気の父」がいます。
志田林三郎(しだ・りんざぶろう)。
佐賀県多久市出身の彼は、まだ「電波」という言葉もない時代に、長距離無線電話、高速多重通信、海外放送受信、すなわち、スマートフォンやラジオ・テレビ放送を予見、録音や録画の技術も科学的に実証していました。
32歳で電気学会を創設し、その設立総会での講演は、今も歴史に残る名演説と言われています。
「電線を用いることなく、数里離れた海外とも、自在に通信、通話できる時代が必ず来る!」
当時は大胆な予測、果てしない夢の世界と思われていましたが、志田は確信していました。
日本は必ず、エレクトロニクス大国になれる、と。
ひとが歩んだことのない道を切り開くのは、並大抵の努力では足りません。
神童、天才ともてはやされた幼少期を経て、異例の抜擢を受け、電気工学の大家になったあとも、いばらの道は続きます。
権力闘争に巻き込まれ、思うように研究ができない。
ひとを説得し、調整するためには、理論を推し進めるだけではなく、柔軟でバランスのとれた人間力が求められました。
志田の心労がピークに達したのは、1891年1月に発生した国会議事堂の火災。
「電気のせいだ!」と矢面に立たされてしまったのです。
それでも、志田は逃げませんでした。
誤解を解くために奔走。
技術革新の芽を摘むような言動を、ひとつひとつ消して歩いたのです。
彼は36歳で亡くなりますが、結核のためと言われる一方で、過労死だったのではないかという説もあります。
何があっても、歩みを止めなかった賢人が夢みた未来とは、豊かなひとびとの暮らしでした。
電気工学の巨人・志田林三郎が人生でつかんだ明日へのyes!とは?

「電気の父」、日本の電気工学の礎を築いたレジェンド、志田林三郎は、幕末の1855年12月25日、肥前国多久邑、現在の佐賀県多久市に生まれた。
父は、武士階級ではなかったが、学問を重んじ、私塾を開いていた。
村人に、読み書き、そろばんを教える。
誰からも尊敬される人柄。
しかし、林三郎が生まれて間もなく、病でこの世を去る。
母は、子どもたちを育てるために出稼ぎや着物の仕立てをしたが、生活は苦しかった。
林三郎を養子にという話もあったが、母は気丈に断る。
「この子は、どんなことがあっても手放しません!」
村は石炭の採掘で勢いがあった。
有明海に運ぶための街道が通り、労働者が多くいた。
母は彼等に、饅頭を売る商いを始める。
「志田さん饅頭」は、飛ぶように売れた。
林三郎は、幼い頃から利発だった。
店で待っているだけではなく、炭鉱労働者のもとに出向いて売ったら、他のお店に負けないと提案。
さらに売り上げを伸ばす。
まわりの大人を驚かせたのは、彼の計算能力だった。
何人来ても、お釣りを間違えず瞬時に出す。
いじわるなお客がわざと複雑な勘定をよこしても、顔色ひとつ変えずに対応した。
「志田さん饅頭」には神童がいる。
その噂は地元の殿様の知るところとなった。
こうして、林三郎の未来への扉がひとつ開いた。

肥前国には、学問を重んじる風習があった。
志田林三郎の母は、頭のいい我が子にちゃんとした教育を受けさせてあげたかった。
でも、林三郎は、母のひび割れた手を知っている。
寝る間も惜しんで働き続け、夜中は破れた衣服を繕ってくれているのをわかっている。
少しでも母に楽をしてほしい。
母に止められても、饅頭売りを手伝った。
近所に住んでいた漢方医の尾形惟高(おがた・これたか)は、林三郎の才能にいちはやく気がつき、領主に直談判。
東原庠舎という学校で学ばせてもらうよう進言した。
しかし、当の林三郎が頭を縦に振らない。
「僕は、お母さんの手伝いがしたいのです」
尾形は、説得した。
「君の気持ちはわかるが、君自身、自らの定めを全うすることが、最大の親孝行になるんだよ」
ある日の夕暮れどき、尾形に深々と頭を下げている母の背中を見た。
「林三郎を、どうかよろしくお願いいたします。あの子には、将来、世の中を変えることができるような力があると思います。なにとぞ、林三郎をよろしくお願いいたします」
尾形が去っても、母は頭をあげなかった。
母の長い影が、林三郎の足元までのびていた。

日本に電気学会を創設した偉人、志田林三郎は、幼心に誓った。
「学問をやる以上は、とことんやろう。手を抜いたりしたら、僕に機会を与えてくれたひとたち、何より母に顔向けができない」
林三郎は、どんなに熱があっても、どんな厳しい天候でも、学校を休まなかった。
もともとの天分に、絶え間ない努力。
身分の高い子どもたちから遅れての入学にも関わらず、あっという間に首席になった。
その名は知れ渡り、佐賀鍋島藩の藩命により、弘道館への進学が許された。
長崎港の警備を担っていた鍋島藩は、外国の脅威を最も感じていた。
大砲に蒸気機関車。
科学技術の革新なくして、国は栄えないことを痛感。
先端技術による軍事強化も、急務だった。
弘道館で科学革新の機運に触れた林三郎は、思い出した。
夜なべする母が暗い手元で苦労する姿。
饅頭をひたすら作り続け、手がはれ上がっていく様子。
ひとびとの役に立ちたい。
ひとびとの暮らしを少しでも豊かにしたい。
その切実な思いが、彼の背中を押した。
苦しいときは、いつも思い出した。
自分のために働き、頭を下げ続けた、母の姿を。

【ON AIR LIST】
TELEGRAM SAM / T.Rex
“HEROES” / David Bowie
HERE COMES THE SUN / The Beatles
RADIO GA GA / Queen

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今週のRECIPE

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霜降りひらたけとなすの秋パスタ

今回は、多久市の特産野菜、なすを使った料理をご紹介します。

霜降りひらたけとなすの秋パスタ
カロリー
469kcal (1人分)
調理時間
20分
使用したきのこ
霜降りひらたけ
材料
【2人分】
  • 霜降りひらたけ
  • 1パック
  • なす
  • 2本
  • ブロックベーコン
  • 40g
  • ペンネ
  • 150g
  • バター
  • 20g
  • 500ml
  • 小さじ1/3
  • しょう油
  • 大さじ1/2
  • 黒こしょう
  • 適量
  • 大葉
  • 5枚
作り方
  • 1.
  • 霜降りひらたけは小房にほぐす。なすは1.5cm幅の輪切りにし、ベーコンは1cm幅の棒状に切る。大葉は千切りにする。
  • 2.
  • フライパンにバターを熱し、バターが溶けて泡立ったら、霜降りひらたけとなすを加えて焼きつける。焼き色がついたらひっくり返して同様に焼き、皿に一度取り出す。
  • 3.
  • ベーコンを加えて軽く炒め、水、塩、ペンネを加えて加熱する。沸騰後弱火にして時々混ぜながらペンネに火を通す。(煮詰まりそうになったら、少量の水を足す。)表記時間の1分前に霜降りひらたけとなす、しょう油と黒こしょうを加えて絡める。
  • 4.
  • 皿に盛り付け、大葉を飾る。
  • recipe LIST

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ARCHIVE

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番組へのメッセージ

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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