第二百六十六話受けた恩を忘れない
志田林三郎(しだ・りんざぶろう)。
佐賀県多久市出身の彼は、まだ「電波」という言葉もない時代に、長距離無線電話、高速多重通信、海外放送受信、すなわち、スマートフォンやラジオ・テレビ放送を予見、録音や録画の技術も科学的に実証していました。
32歳で電気学会を創設し、その設立総会での講演は、今も歴史に残る名演説と言われています。
「電線を用いることなく、数里離れた海外とも、自在に通信、通話できる時代が必ず来る!」
当時は大胆な予測、果てしない夢の世界と思われていましたが、志田は確信していました。
日本は必ず、エレクトロニクス大国になれる、と。
ひとが歩んだことのない道を切り開くのは、並大抵の努力では足りません。
神童、天才ともてはやされた幼少期を経て、異例の抜擢を受け、電気工学の大家になったあとも、いばらの道は続きます。
権力闘争に巻き込まれ、思うように研究ができない。
ひとを説得し、調整するためには、理論を推し進めるだけではなく、柔軟でバランスのとれた人間力が求められました。
志田の心労がピークに達したのは、1891年1月に発生した国会議事堂の火災。
「電気のせいだ!」と矢面に立たされてしまったのです。
それでも、志田は逃げませんでした。
誤解を解くために奔走。
技術革新の芽を摘むような言動を、ひとつひとつ消して歩いたのです。
彼は36歳で亡くなりますが、結核のためと言われる一方で、過労死だったのではないかという説もあります。
何があっても、歩みを止めなかった賢人が夢みた未来とは、豊かなひとびとの暮らしでした。
電気工学の巨人・志田林三郎が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
「電気の父」、日本の電気工学の礎を築いたレジェンド、志田林三郎は、幕末の1855年12月25日、肥前国多久邑、現在の佐賀県多久市に生まれた。
父は、武士階級ではなかったが、学問を重んじ、私塾を開いていた。
村人に、読み書き、そろばんを教える。
誰からも尊敬される人柄。
しかし、林三郎が生まれて間もなく、病でこの世を去る。
母は、子どもたちを育てるために出稼ぎや着物の仕立てをしたが、生活は苦しかった。
林三郎を養子にという話もあったが、母は気丈に断る。
「この子は、どんなことがあっても手放しません!」
村は石炭の採掘で勢いがあった。
有明海に運ぶための街道が通り、労働者が多くいた。
母は彼等に、饅頭を売る商いを始める。
「志田さん饅頭」は、飛ぶように売れた。
林三郎は、幼い頃から利発だった。
店で待っているだけではなく、炭鉱労働者のもとに出向いて売ったら、他のお店に負けないと提案。
さらに売り上げを伸ばす。
まわりの大人を驚かせたのは、彼の計算能力だった。
何人来ても、お釣りを間違えず瞬時に出す。
いじわるなお客がわざと複雑な勘定をよこしても、顔色ひとつ変えずに対応した。
「志田さん饅頭」には神童がいる。
その噂は地元の殿様の知るところとなった。
こうして、林三郎の未来への扉がひとつ開いた。
肥前国には、学問を重んじる風習があった。
志田林三郎の母は、頭のいい我が子にちゃんとした教育を受けさせてあげたかった。
でも、林三郎は、母のひび割れた手を知っている。
寝る間も惜しんで働き続け、夜中は破れた衣服を繕ってくれているのをわかっている。
少しでも母に楽をしてほしい。
母に止められても、饅頭売りを手伝った。
近所に住んでいた漢方医の尾形惟高(おがた・これたか)は、林三郎の才能にいちはやく気がつき、領主に直談判。
東原庠舎という学校で学ばせてもらうよう進言した。
しかし、当の林三郎が頭を縦に振らない。
「僕は、お母さんの手伝いがしたいのです」
尾形は、説得した。
「君の気持ちはわかるが、君自身、自らの定めを全うすることが、最大の親孝行になるんだよ」
ある日の夕暮れどき、尾形に深々と頭を下げている母の背中を見た。
「林三郎を、どうかよろしくお願いいたします。あの子には、将来、世の中を変えることができるような力があると思います。なにとぞ、林三郎をよろしくお願いいたします」
尾形が去っても、母は頭をあげなかった。
母の長い影が、林三郎の足元までのびていた。
日本に電気学会を創設した偉人、志田林三郎は、幼心に誓った。
「学問をやる以上は、とことんやろう。手を抜いたりしたら、僕に機会を与えてくれたひとたち、何より母に顔向けができない」
林三郎は、どんなに熱があっても、どんな厳しい天候でも、学校を休まなかった。
もともとの天分に、絶え間ない努力。
身分の高い子どもたちから遅れての入学にも関わらず、あっという間に首席になった。
その名は知れ渡り、佐賀鍋島藩の藩命により、弘道館への進学が許された。
長崎港の警備を担っていた鍋島藩は、外国の脅威を最も感じていた。
大砲に蒸気機関車。
科学技術の革新なくして、国は栄えないことを痛感。
先端技術による軍事強化も、急務だった。
弘道館で科学革新の機運に触れた林三郎は、思い出した。
夜なべする母が暗い手元で苦労する姿。
饅頭をひたすら作り続け、手がはれ上がっていく様子。
ひとびとの役に立ちたい。
ひとびとの暮らしを少しでも豊かにしたい。
その切実な思いが、彼の背中を押した。
苦しいときは、いつも思い出した。
自分のために働き、頭を下げ続けた、母の姿を。
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