第二百八十三話憧れの気持ちを大切にする
三木稔(みき・みのる)。
昨年生誕90年、今年没後10年を迎える三木の真骨頂は、日本文学や日本史をモチーフにしたオペラの数々です。
45歳にして初めて作曲した『オペラ春琴抄』は、ジロー・オペラ賞を受賞、国際的にも高い評価を得ました。
その後、『あだ』『じょうるり』『ワカヒメ』など連作に挑み、『源氏物語』は、さらに三木の名を世界に轟かせました。
1976年の大島渚監督作品『愛のコリーダ』では映画音楽を作曲。哀しさとせつなさに彩られた楽曲は世界中のファンを魅了しました。
『オペラ「源氏物語」ができるまで』という三木のエッセイ集は、1996年から2000年にわたって、徳島新聞に連載された随筆をまとめたものですが、彼の心の軌跡がわかる貴重な一冊です。
その本の最後には、こんな記述があります。
―― 音楽を志して以来「憧れ」は私の創作の基本であり続けて来た。
美や真理への憧れなくして創造のエネルギーは得られるはずがない ――
三木は、若いひとに、「憧れ」を持つことの大切さを説きました。
三木自身、はじめからオペラが好きだったわけではありません。
自分で作曲するまで、見たオペラは、5つほど。
正直、どれも退屈なものという認識しか持てませんでした。
日本独自の歌、日本古来の楽器で、もしオペラが創れたなら…そんな「憧れ」が彼を引っ張り、世界的に有名な作曲家に押し上げたのです。
経済が不況になると、真っ先に切られてしまうのが、芸術。
彼は、そんな日本の実情を憂い、そんな風潮が若者の芸術への「憧れ」をつぶしてしまうのではないかと危惧しました。
ふるさと徳島を愛し、日本の文化を世界に知らしめた芸術家・三木稔が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
世界的に有名な作曲家・三木稔は、1930年3月16日、徳島市に生まれた。
幼い頃から才気煥発。勉強も運動もできる子どもだった。
旧制徳島中学の頃から、連合艦隊司令長官に憧れる。
理数系に秀でた頭脳と並外れた身体能力が求められる海軍兵学校に合格した。
しかし、入学後半年で終戦を迎える。
目標を失いかけるが、理論物理学者を目指し、岡山の旧制六高理科に入る。
ここで、運命的な出会いが待っていた。
入学と同時に知った合唱。ひとの声が織り成すハーモニーに、感動した。
「なぜだろう、なぜこんなにも心が沸き立つんだろう」
そこには、頭では分析できないプリミティブな痺れがあった。
哀しい、せつない、うれしい、たのしい…。
感情が沸き起こる。
これが芸術か。これが音楽の凄みか。
男子校だったが、合唱部は近くの女学校など、女性も公募により集まり、混声合唱団の活動が始まっていた。
男性と女性の声で紡ぐ響きに、ワクワクした。
ベートーヴェンという作曲家の存在を知り、憧れる。
「ボクも作曲家になりたい」
青年の胸に、灯りがともった。
徳島が生んだ偉大な作曲家・三木稔は、21歳のとき、東京藝術大学音楽学部作曲科に入学した。
ここで将来を決める二人の先生に出会う。
ひとりは、池内友次郎(いけのうち・ともじろう)。
池内は、俳人・高浜虚子の次男。
日本人として初めてパリ音楽院に学んだ、西洋音楽の具現者だった。
もうひとりが、伊福部昭(いふくべ・あきら)。
『ゴジラ』の映画音楽でも有名な伊福部は、北海道出身。
アイヌの文化に触れた幼少期を大切にして、独学で音楽の道を切り開いた。
伊福部は、三木に語る。
「芸術は、その民族の特殊性を通過して、共通の人間性に到達しなくてはならないんだ」。
池内が持ちこんだ西洋の音楽と、伊福部が大事にした民族性。
そのどちらも、三木には大切なものに思えた。
23歳の時、NHK藝術祭管弦楽曲の公募で、入賞。
順風満帆な未来が開けたと思った矢先、父が亡くなる。
生計を立てるため、映画音楽や放送の劇伴を次から次へとこなした。
じっくり自分の作品を製作したい。
同期の仲間が長編に挑むのを横目で見ながら、目の前の仕事に真摯に向き合い続けた。
初めて合唱を聴き、音楽に触れた瞬間の「憧れ」を忘れないかぎり、自分は大丈夫だ。
そんな三木に、あらたな転機が訪れたのは、30歳になる頃だった。
世界的な作曲家・三木稔が、和楽器、特に箏の音に、音楽的価値観を揺さぶられたのは、30歳の頃だった。
同時代の作曲家は、西洋に欧米に心を向けた。
「でも」と、三木は思った。
「芸術家は時として、同時代性を拒否して、全く新しい時代にひとびとを導く使命がある」
もう一度、合唱に戻る。
昔の仲間に頼み、男声合唱団に入れてもらった。
編曲だけではなく、作曲もした。
愛する故郷、徳島を思い、『合唱による風土記「阿波」』を作る。
好評だった。海外公演も果たす。
いつも原点に帰ればいい。
いつも自分の「憧れ」に戻れば、道に迷うことはない。
初めてオペラを書いたのは、45歳。
遅咲きだと言われたが、気にしない。
オペラを書いたときから決めていた。
「9連作にしよう」。
それはベートーヴェンの第九が大好きだったから。
まだ日本人が海外からオペラの作曲を依頼されることなど、ほとんどない時代に、二作目の『あだ』は、イギリスオペラ界が実に153年ぶりに外国人作曲家、三木稔に委嘱した作品。
1979年のロンドンでの初演は、大成功。
アメリカ、ドイツでも絶賛を浴び、彼の名声は、世界を駆け巡った。
一見、遠回りと思われた映画音楽や劇伴の仕事が、彼の音楽性を高め、箏との出会いが、自らの民族性に結び付いた。
「憧れ」は彼の背中を押し、三木稔は81年の生涯を芸術に捧げた。
徳島では彼が作った校歌が今も歌われ、彼の合唱曲は、今も日本のどこかで歌い継がれている。
【ON AIR LIST】
マリンバ・スピリチュアル / 三木稔(作曲)、エヴェリン・グレニー(パーカッション)
交響曲第9番ニ短調 作品125<合唱>第4楽章より / ベートーヴェン(作曲)、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団、カール・ベーム(指揮)
<芽生え>筝譚詩集~筝と弦楽合奏のための第二集<春>より / 三木稔(作曲)、オーケストラ・トリプティーク、水戸博之(指揮)
華やぎ(筝譚詩集 第二集より) / 三木稔(作曲)、野坂恵子(二十絃筝)
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