第二百九十五話自分にしかできないことを極める
その偉人は、高知が生んだ「日本の植物分類学の父」、牧野富太郎(まきの・とみたろう)。
彼が残したおよそ40万点とも言われる標本や観察記録は、野に咲く草花から野菜まで幅広く、世界中の植物学者から驚きと賞賛を得ました。
命名した植物も1500種類以上を数え、一生を植物学に捧げたのです。
牧野が94歳の生涯を閉じた翌年、1958年、彼のふるさとに高知県立牧野植物園ができました。
五台山の起伏を生かした、およそ8ヘクタールの園内には、3000種類以上の、牧野博士ゆかりの野生植物たちが四季を彩っています。
また牧野富太郎記念館も併設されており、遺族から寄贈された蔵書およそ4万5000冊や、直筆の原稿やスケッチなどがおさめられ、博士の功績を辿ることができます。
牧野は、小学校を中退でありながら、理学博士という学位を得ました。
その道のりは、決してたやすいものではありませんでした。
権威による研究妨害や、貧しさ。
どんな困難に直面しても、彼は、常に植物と向き合い、誰よりも植物を愛し、常に原点に戻ることで前に進みました。
彼は、こんな言葉を残しています。
「草木に愛を持つことによって人間愛を養うことができる。思いやりの心、私はわが愛する草木でこれを培い、その栄枯盛衰を観て人生なるものをも解し得た」。
牧野は、この世に雑草などという名の植物はないという思いにあふれたひとでした。
全ての植物の命に意味があるように、人間も誰一人、無駄な命などない。
慈しみの精神も、野に咲く草木が教えてくれました。
植物学の神様・牧野富太郎が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
「日本の植物分類学の父」牧野富太郎は、文久2年4月24日、土佐国佐川村、現在の高知県佐川町に生まれた。
まわりを山に囲まれ、春日川という清流が流れている。
ふつう、高知では川は太平洋を目指し南向きに流れるが、この春日川は、北に向かう。
逆さに流れる川。
そこから「さかわ」の地名がついたとも言われている。
牧野の家は、綺麗な水を生かした酒造りと雑貨店を営み、村ではかなり裕福な家柄だった。
富太郎、3歳のとき、父が病死。
あとを追うように、その2年後、母も亡くなった。
父と母の記憶はない。
祖母に引き取られる。
酒屋のひとり息子。
大切に育てられた。
体が弱いのを心配した祖母は、嫌がる富太郎に無理やりお灸をすえた。
酒男たちに手足を抑えられての、お灸の時間。
泣いた。泣き叫んだ。
後に牧野は振り返る。
「当時は本当に辛かったが、90歳を過ぎても研究に没頭できる健康を得たのは、あのお灸のおかげだと思う」。
寺子屋で、習字、算術、四書・五経を習い、郷校で地理や天文、物理を学ぶ。
小学校にあがるときには、同級生の誰よりも高等な学科を習得していた。
植物が好きで、山に登っては草花を採集。
絵に描いたりした。
小学校にあがってしばらくは勉学に励んだが、どうせ酒屋の主になるのだからと、早々に学校をやめてしまう。
これが、牧野をのちに苦しめる一因になるとは、そのときは思いもしなかった。
植物学者・牧野富太郎は、小学校を辞め、好きな本を読んだり、野山を散策して植物を眺めたりと、気ままな生活をした。
15歳で、佐川小学校の臨時教員になる。
植物を採集しているうちに、もっと研究がしたくなった。
そんな牧野の前に、ひとりの教師が現れる。
神戸から高知師範学校に赴任してきた永沼小一郎(ながぬま・こいちろう)。
外国語を話し、科学を専門にした先生で、植物学に詳しかった。
フィールドワークは牧野が上だったが、知識は圧倒的に永沼が長けていた。
牧野は、永沼から本を借り、豊富な知識を吸収し、やがてますます植物学にのめり込んでいった。
「私はきっと、植物の精だ。日本中の植物を、図鑑にしてまとめて本にしたい」
そんな夢が、彼の中で膨らむ。
ある日、山道を歩きながら、永沼が言った。
「牧野くん、人間はねえ、自分にしかできないことをやるのが、いちばん幸せなんだよ」
22歳で二度目の上京。
東京帝国大学の教授・矢田部良吉(やたべ・りょうきち)の植物学教室に出入りして資料や文献の閲覧を許される。
牧野は圧倒的な描画力で、草花を描く。
矢田部も最初は面白いやつだと可愛がるが、やがて、権威主義を全く理解していない牧野を疎んじるようになる。
父が残した遺産も研究費に使い果たし、貧乏暮らしが待っていた。
27歳で、新種の植物を発表。
ヤマトグサと命名した。
「日本植物志」の編纂(へんさん)に協力するが、牧野は、矢田部の教室の出入りを禁じられてしまう。
嬉しい時も苦しい時も、野山に出かけ、草花に語りかける。
どんな植物も、健気に一生を全うしていた。
励まされ、背中をおされ、牧野は研究を続けた。
牧野富太郎は、結婚し、子どもにも恵まれたが、お金がない。
文献や標本が多いので蔵のある借家が望ましいが、家賃が払えない。
年の瀬になると、いつも家を追われ、一家で引っ越した。
狭い部屋、本に囲まれながら、徹夜で研究に没頭。
夏の間はほとんど家には帰らず、山で植物を採集した。
蜂に刺されても、大雨で4日間ずぶ濡れでも、愚痴ひとつこぼさず、病気にもならず、野を駆け巡った。
大学の研究室では相変わらず冷遇されたが、めげなかった。
「好きなことを続けられているんだ。自分にしかできないことに出会ったんだ。こんな幸せな人生はない」
少しでも迷いが生じると、草花に向き合った。
彼等は、誰に褒められなくても、春には花を咲かす。
自身の命を全うする。
いつも草花に敬意を払う。
だから、名前をつける。名前で呼ぶ。
この世に、雑草という植物はない。
みんな名前を持っている。
たとえ小学校中退でも、自分には、牧野富太郎という名前がある。
ただの草だと、踏みつけられても、花を咲かせる。
高知県立牧野植物園には、多くのひとが訪れ、癒しの時間を過ごす。
牧野が愛した草花に囲まれて…。
【ON AIR LIST】
やさしくされると やさしくなれる花 / Kokia
ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ / 原田知世
さくら(独唱) / 森山直太朗
マリーゴールド / あいみょん
★今回は、高知県立牧野植物園にご協力いただきました。
ありがとうございました。
高知県立牧野植物園 THE KOCHI PREFECTURAL MAKINO BOTANICAL GARDEN
https://www.makino.or.jp/
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