第百九十話目に見える全てのものから学ぶ
この春で第24回、4月28日から5月19日まで行われます。
名立たる演奏家が出演する中、ピアニスト・辻井伸行が奏でるのは、フレデリック・ショパン。
同時期に東京では、彼の師匠・横山幸雄が、ショパンの全240曲を3日間に渡って演奏する特別公演を開催します。
この春は、没後170年のショパンのムーブメントが、日本中を駆け抜けることでしょう。
わずか39年の生涯をピアノ曲の作曲に捧げた、ショパン。
彼の作曲には、彼自身の人生が色濃く映し出されています。
その一生のほとんどが、病との闘いと言っても過言ではありません。
晩年、痩せ細り、外出もままならない状態でも、曲を作ろうという情熱だけは失いませんでした。
友人の画家、ドラクロワの前での即興演奏。
先が続かず、途中でやめてしまったときのこと。
「どうした、フレデリック、続けてくれよ」
そうドラクロワが言うと、
「ダメだ、この世はこんなに色であふれているのに、僕には、光と影が同時に見えるだけなんだ。音で色を表現したいのに…」
と返します。
ドラクロワは、ショパンに言いました。
「光と影は、常に同時にあるものなんだ。それでいいんだ。その両方をいつも見つめていれば、必ず色彩はやってくる。そういうもんだ」
この言葉に励まされたショパンは、曲の続きを演奏しました。
見つめること。
この世のあらゆる出来事を、あるいは自分に起こった全てのことを、見つめて、見つめて、その中に色彩を探すこと。
それこそが、ショパンの音楽を裏打ちしているのです。
ピアノの詩人、フレデリック・ショパンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
フレデリック・ショパンは、1810年、ポーランドのワルシャワに生まれた。
父は、16歳のときにポーランドに移住してきたフランス人。
文学をたしなみ、理知的で繊細。
貴族の家庭教師としてフランス語を教えた。
ある貴族の娘と恋に落ち、結婚。
フレデリックを授かった。
両親は、音楽をたしなんだ。
父は、バイオリンとフルート。
母は、ピアノを巧みに演奏した。
ショパンは、4歳の頃から姉や母にピアノを習う。
始めてすぐに、一度聴いた曲を完全にコピーできる能力で、まわりを驚かせた。
ピアノの下にもぐりこみ、母の演奏を聴くのが好きだった。
「ああ、体中に音楽が響く。一音一音が、ボクをふるわせる」
母は、寝る前にポーランド民謡を歌ってくれた。
その子守歌が彼の心の奥底にゆっくり積もっていく。
夜遅く、どこかの家からマズルカが聴こえてくると、窓に近寄り、いつまでも聴いていた。
彼の心に、ふるさとの音楽が沁みていった。
大事に育てられたショパンは、音楽だけではなく、文学、絵画にも才能の片鱗を見せた。
ショパンの父は、あらゆるジャンルにおいて教養を持つことが真の知識人の条件であり、将来、要職につくことができる最善の道だと信じていた。
息子がどんなに音楽で「神童」だともてはやされても、音楽だけに偏ることを良しとしなかった。
「いいか、フレデリック、大切なのは、いまおまえの目の前に見えているものを、公平に、正確に把握する力があるかどうかなんだ」
フレデリック・ショパンは、父の教えを守り、自分の才能をひけらかしたり、自慢するようなことはなかった。
8歳にして、演奏会でピアノを弾く。
会場は割れんばかりの拍手に包まれる。
その場に行くことができなかった母に、
「演奏はどうだったの? みなさんの反応は?」
と聞かれると、こう答えた。
「着ていたジャケットの、イギリス製の襟の評判がよかったよ」
学校では、快活でユーモアのセンスにあふれ、みんなに慕われた。
物まねがうまく、先生の特徴をとらえ、クラスメートを笑わせた。
似顔絵を上手に画くことができることでも有名だった。
ある日、授業中に落書きを画いていたのが見つかり、校長室に呼ばれた。
ひどく怒られるだろう…覚悟して部屋のドアをノックする。
校長は、ショパンが画いた担任教師の似顔絵を見て、こう言った。
「今度は、あれだ、私の似顔絵を画いてくれないか」
14歳の夏休みは、特に忘れられない思い出になる。
ワルシャワ郊外の、ある村にショートステイした。
初めて親元を離れる。
しかし、心細さはすぐに吹き飛んだ。
農民の子どもたちが大声で歌を歌っている。
大人たちも何世代も歌い継がれてきた民族音楽を楽しそうに演奏している。
深い緑の香りをかぎ、降り注ぐ陽の光を浴びて、ショパンは心の底から音楽を楽しむことを知った。
彼は即興でピアノを演奏して、地元の子どもたちと一緒に歌った。
彼は父に手紙を書いた。
「お父さん、僕は全く勉強などしていません。でも、音楽を楽しんでいます。僕は幸せです。そして、僕は祖国ポーランドの音楽が大好きです」
フレデリック・ショパンは、15歳にして本格的な音楽活動を始めた。
作曲は、常に聴くひとの気持ちを考えた。
聴衆が何をのぞみ、どんな気持ちになりたいか。
飽きさせない工夫は、彼の技術を高めていった。
作曲と即興演奏。
聴衆はその旋律に驚き、喜び、拍手を送った。
そんな絶頂の最中、病魔は少しずつ彼の体をむしばんでいった。
肺結核。
もっともっとたくさん学びたい。
自分にしか作れない曲を書きたい。
そんな情熱に水をさすように、病は執拗につきまとう。
でもショパンは、焦らなかった。
「いま、目の前にあること、見えるものを大切にしていけば、必ず道は開かれる」。
大学では文学と歴史の講義をとる。
ある教授は言った。
「創造とは、霊感によるものだ!」
ショパンは、思った。
「そうでもあり、そうでもない。確かに霊感は芸術の核になるものかもしれない。でも僕は、自分に起こる全てのことから学び、それを五線譜に置く。」
真摯に見つめることで湧き上がる独創性。
それこそが、彼を高みへと引き上げた。
フレデリック・ショパンの音楽が今もなお世界中のひとに愛されるわけは、彼の世界を見つめるまなざしが、ひときわ優しいからなのかもしれない。
【ON AIR LIST】
子犬のワルツ / ショパン(作曲)、横山幸雄(ピアノ)
「4つのマズルカ作品24」より マズルカ第15番ハ長調 / ショパン(作曲)、辻井伸行(ピアノ)
幻想ポロネーズ / ショパン(作曲)、横山幸雄(ピアノ)
華麗なる大円舞曲 / ショパン(作曲)、横山幸雄(ピアノ)
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