第二百二十五話動くことを怖れない
メイ牛山。
脚本家の小川智子(おがわ・ともこ)が記したメイ牛山のノンフィクションのタイトルは、こうです。
『女が美しい国は戦争をしない』。
小川はその著書の中で、メイ牛山のこんな言葉を紹介しています。
「ちゃんと、鏡、見ている? 朝、出がけにちらっと見るくらいじゃだめよ。全身が映る姿見で、一度じっくり自分を観察してごらんなさいな。客観的になることが、おしゃれの、つまり礼儀の第一歩。自分の美点を発見して、磨きをかけるのよ」
トレードマークは、お団子ヘア。
愛くるしい笑顔と、ひとを包み込む優しさ。
96歳で亡くなるまで、現役の美容家として活躍しました。
物心ついたときにまず彼女が感じたのが、周りとの違和感でした。自分は他のひとと違う。
外国人のように濃い顔立ち。
友だちの心の声が全て聴こえてしまうほどの圧倒的な感性。
母の着物の帯をバッグにしてしまうアグレッシブな美的感覚。
でも、そんな孤独を彼女はバイタリティで押し流したのです。
晩年、彼女は言いました。
「若いうちは、体が働くんです。汗をかいて苦労してもいいんです。思いっきり働いたら身になるんです、将来。そして、ある程度成人して中年になったら、精神が働くんです。経験からくるもので、頭を使う年齢でしょうね。そして、私のような年寄は長年の経験から、霊がはたらくんです。霊感とか勘とかいうやつね。いいか悪いか考えるまえに、見えてくるんです、不思議とね。それぞれのポジションで、それぞれの年齢や責任にあわせてがんばってほしいですね」
前だけを見据え、絶えず走り続けた美容界のパイオニア、メイ牛山が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
美容界の先駆者、いち早く海外の美容法を取り入れた美のカリスマ、メイ牛山は、1911年1月25日、現在の山口県防府市に生まれた。
5歳のとき、父を亡くす。腸チフスだった。
弟も母も罹ったが、父だけが亡くなった。
父の不在を、どう受け入れていいのかわからない。
母は、女手ひとつで子どもたちを守った。
母が必死に働く姿を見て、幼いメイ牛山は思う。
「少しでもお母さんの役に立ちたい。お母さんを少しでも楽にさせてあげたい」
このときの思いが、彼女の心にしっかりと刻まれた。
誰かの役に立つ。
それがメイ牛山にとって「労働」の始まりであり、終着点になった。
姉は美人で、自分は少し変わった顔をしていると思っていた。
なので自分が前に出るより、誰かを綺麗にするにはどうしたらいいかを考える癖がついた。
友だちの髪型、着ている服が気になる。
ちょっとアドバイスすると、途端に輝きだす瞬間を体感した。
家の近所の寺で花嫁さんごっこをするときも、綺麗な顔立ちの友だちを飾り付けてあげると、幸せな気持ちになった。
自分の顔は、彫りが深く、目がギョロっとして、外国人のようだ。可愛くない。
鏡を見るたびに思った。
それでも絶望することはない。
ご先祖に外国人がいればいいのにと夢想してワクワクした。
「私は、私」「他のひとと違うから私がここにいる意味があるんだ」
そう、思った。
母は、そんな彼女に「おまえは働き者で器用だから、きっと農家のいいお嫁さんになるわねえ」と言った。
「案外、そういうものかもしれない」
幼いメイ牛山は、母の言葉をぼんやりと信じた。
日本美容界のパイオニア、メイ牛山の母は、なんでも手作りで与えてくれるひとだった。
へちまを絞って、美顔水をつくる。
着物はひと晩で縫ってくれた。
そんな母に裁縫を教わり、幼いメイ牛山は開眼した。
「手仕事って面白い! 自分が想像したものを作っていくのって楽しい!」
母の着物の帯で気になるものがあった。
牡丹の柄。
黒地に薄紅、だいだい、白の牡丹の花が咲き誇る。
派手な絵柄ゆえ、母がそれを締めることはなかった。
「あれを、ハンドバッグにしたら、どんなにか素敵だろう…」
そう思うと、居ても立っても居られない。
ハサミを取り出し、ジョキジョキと切り刻む。
柄のどの部分を中心に持ってくるかは、頭の中に構想ができていた。ハンドバッグは完成したが、布のきれはしを見て、祖父が怒鳴る。
「お母さんの大切な帯を! なにしてる! 高いんだぞ! これは大切な帯なんだぞ!」
しょんぼりして夕食の支度をした。
仕事から母が帰ってきた。
叱られるだろうと身構える。
でも、母は叱らなかった。
叱るどころか、褒めた。
「すごいねえ、素敵だねえ」
さらにどこに出かけるにも、そのハンドバッグを腕に抱え、こう自慢した。
「見てください、ウチの娘がつくったんですよ、誰にも教わらずにねえ、すごいでしょう。帯をハンドバッグにするなんて、いったい誰が思いつくと思います? 娘は、それをやってのけたんです。ねえ、すごいでしょう」
96歳まで現役の美容家として活躍したメイ牛山は、自身が経営する美容学校の若者に言った。
「とにかく、なんでもいいから思ったとおりにやってみなさい!」
ある10代の女の子が、ダチョウのような頭をして学校に来た。
同級生たちは笑った。
でも、メイ牛山は褒めた。
「いいじゃない、どんどんやんなさい。髪の毛なんて、すぐにまた生えてくるんだから。失敗したっていいの」
ダチョウ頭の女の子は、はにかむように笑った。
メイ牛山は、何も動かないこと、何もしないのに批判だけするのを嫌った。
「人生は一回きりなんだから。若いうちに試したほうがいいの。失敗をたくさんしたほうが、財産になるの」
誰だってひとに嫌われたくない。仲間外れになりたくない。
でも、周りに合わせるがあまり、せっかくの個性が失われていくことを、彼女は憂えた。
「もしあのとき、自分が作った渾身のハンドバッグを、母があんなふうに褒めてくれなかったら、私は今ここにいないかもしれない」
メイ牛山は、泣き言ひとつ言わずに自分を育ててくれた母のように働いた。
そして、母が、規格外の自分をひたすら褒めてくれたように、若いひとを褒めた。
「いいわねえ、そんな発想、あなたにしかできないんだから大事にしなさい」
「思い切り、切ってみればいいじゃない、髪の毛。ダメでもまた生えてくるから。私なんかね、若い頃、髪を切りすぎて丸坊主になったこともあるし、パーマを失敗して髪の毛が焼け焦げたこともあるわよ。でもね、やってみないとわからないから面白いのよ、人生は」
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