第三百六十四話工夫をする心を持つ
山内一弘(やまうち・かずひろ)。
現役時代は、毎日オリオンズ、阪神タイガース、広島東洋カープでプレーし、「打撃の職人」、「シュート打ちの名人」、「オールスター男」などの異名を持ったレジェンドです。
19年間の選手人生で、打点王4回、首位打者1回、ホームラン王2回を獲得。
引退後は、巨人や阪神でコーチを歴任。
ロッテオリオンズ、中日ドラゴンズで監督を務め、2002年、野球殿堂入りしました。
山内の名が再び注目を集めたのは、昨年夏の文春オンラインの記事でした。
文春野球コラムでは、山内と、阪神の若きスラッガー・佐藤輝明(さとう・てるあき)との共通点が論じられました。
二人とも外野手で、背番号「8」。
出身高校は、決して野球強豪校ではなく、打率、本塁打、盗塁など、全体のバランスが酷似しています。
現役の4番打者、佐藤の成績から、あらためて山内の凄さが再評価されたのです。
さらに山内の注目すべきは、RCWIN。
RCWINとは、勝利数を基準として打撃貢献を測る指標です。
平均的な打者と比べて、打撃でチームの勝利数をいくつ増やしたかを示します。
山内はその値が、王貞治、張本勲、長嶋茂雄に次いで、歴代第4位なのです。
この成績は、彼の非凡な努力の賜物だと言われています。
山内は、自分が天才でも野球エリートでもないことを、早い段階で認識しました。
それでも大好きな野球で生きていくためには、どうしたらいいか。
同僚が遊ぶ時間、飲みにいく時間を、全て自主練に捧げたのです。
「腕で打たず、腰で打つ」
たったひとことで済んでしまう打撃の神髄のために、手を血だらけにしてバットを振り続けました。
「平凡な人間が非凡なことをするには、ひとが休んでいる間、練習するしかない」
生涯、最高のバッティングのために練習と研究を欠かさなかった賢人・山内一弘が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
「打撃の職人」と言われた元プロ野球選手・山内一弘は、1932年5月1日、愛知県一宮市に生まれた。
初めて野球に触れたのは、小学2年生のとき。
近所の学校の校庭で、大人たちが野球に興じていた。
外野で、時々転がってくるボールを拾う。
不器用に投げ返すと、「坊主、ありがとう!」と言われた。
大人たちが、子どものようにはしゃぎ、投げ、打ち、走る姿が面白かった。
よく見ていると、必ず、すごい打球を打つオジサンがいるのがわかった。
「ああ、きっとボクのところまで飛んでくるな」
そう思うと、ボールが自分の足元まで来た。
毎日球拾いをしていると、ある大人に声をかけられた。
「坊主も、ちょっとやってみるか?」
グローブを借りて、キャッチボールをした。
楽しかった。
自分の思い通りの場所に投げられたとき、「うまい!」と褒められる。
そのうち、バッティングもやらせてもらうようになる。
バットにボールが当たる瞬間。
その音。しびれる感触。体中に喜びが走った。
「坊主、なかなか筋がいいじゃないか」
笑顔の大人たちは、知らなかった。
その少年が、十数年後にプロ野球選手になることを。
山内一弘は、旧制中学の起工業学校に入学した年の8月15日、終戦を迎えた。
軍需工場に勤労動員として駆り出されることもなくなる。
再開した野球部に入った。
グローブを買うお金はないので、友だちに借りた。
練習場は、木曽川の河原。
グラウンドがデコボコでも、雑草が生えていても、かまわない。
野球ができる喜びをかみしめる。
監督は、玉腰忠義(たまごし・ただよし)。
野球では無名だった起工業学校には、破格の指導者だった。
阪急ブレーブスの元プロ野球選手。
結核になったため、30歳を待たずして引退。
療養のため、ふるさと一宮に戻ってきた。
野球が好きで好きでたまらない玉腰は、地元の学校の監督を引き受けた。
玉腰は、最初から山内の才能に気づいていた。
粗削りだが、走攻守、まんべんなくこなす。
何より、野球に向き合う姿勢がよかった。
キャッチャー、サード、ショート、いろんなポジションをやらせてみる。
打撃では、たったひとつのことを教えた。
「いいか、山内、バッティングは腕で打つものじゃない、腰で打つんだ!」
腕と腰、体全体がひとつになるまで、バットを振り続けた。
その隣には、青い顔をして、ときおり咳き込む玉腰の姿があった。
人生で最初にして最高の指導者、玉腰が36歳の若さで亡くなったとき、山内は思った。
「監督、野球、もっとやりたかったでしょうね。もっと試合に出たかったでしょうね。その無念、僕が引き継ぎます」
山内一弘は、野球に専念した。
17歳のとき、中日ドラゴンズの入団テストを受ける。
一次テストは、合格。二次で落ちた。
ふつうは落胆するが、彼は違った。
野球の強豪校でもない、我が母校にあって、自分の実力がどれほどかわからなかったが、一次を通るということは、すごいことだ。
もっと頑張れば、きっと道は開ける。
ひとが休んでいるとき、休まず練習。
ひとがここまでだと思うとき、さらに工夫して先を目指す。
バットでボール打つとき、ボールに5つの打点があることを知る。
ボールの内側、外側、上、下、真ん中の5か所。
5つを意識することで、さまざまな球を打ち分けることができるようになる。
練習に疲れて、もうやめようと思うとき、玉腰監督の面影が浮かんだ。青白い顔に、輝く瞳。
「山内、腰だ、腰で打て!」
戦時中、そして病気や怪我。
野球をやりたくて、やれなかったひとがいる。
自分は今、いくらでも野球がやれる。
だったら、最大限工夫して、やってやろうじゃないか!
永遠の野球少年・山内一弘は、生涯、成長するために努力を惜しまなかった。
【ON AIR LIST】
ビリーヴ・イン・ラヴ / ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
ABC / メイシオ・パーカー
テイク・イット・トゥ・ザ・トップ / クール&ザ・ギャング
サヨナラホームラン / スガシカオ
★今回の撮影は、「愛知県立一宮起工科高等学校」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
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