第三百二十四話自分から目を離さない
中でも、ある画家の『闘牛』を描いた銅版画の連作は、全国でも類を見ない貴重な展示になっています。
その画家とは、ディエゴ・ベラスケスと並び、スペイン最大の画家と言われる、フランシスコ・デ・ゴヤ。
ラ・タウロマキア、闘牛を、ゴヤは生涯、愛しました。
彼は、闘牛の歴史を辿りつつ、過去の名場面を思い出し、膨大な素描にしたためました。
目の前の決定的なシーンを、さっと描く素描。
もともと宮廷画家としてエリート街道を歩いていたゴヤにとって、素描は無縁のものでした。
しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いだった46歳のとき、彼は、重病に倒れ、ベートーヴェンのように聴覚を失ってしまうのです。
コミュニケーションをうまくとれない歯がゆさや苛立ちを、彼は素描することで解消していきました。
素描は、彼に自由な発想をもたらし、さらに時代や風俗を写し取る魔法を授けました。
代表作『裸のマハ』『着衣のマハ』や、数多くの肖像画、時代の目撃者として戦争を描く冷静な視線が有名ですが、一貫して彼が心を砕いたのは、美しいものだけではなく、悪や人間の醜さ、黒い部分から目をそむけない、ということでした。
その真骨頂が、晩年の『黒い絵』シリーズ。
『我が子を喰らうサトゥルヌス』という絵の凄みは、発表当時からセンセーショナルを巻き起こし、今もなお、私たちの心に、人間の業について、生きるということについて問いかけてきます。
もし彼が聴覚を失うことがなかったら、これほどまでに自由で奥深い領域に辿り着けなかったのではないか、そう考える見識者もいます。
ゴヤは、じっと見つめました。
時代を、人間を、そして、自分を。
革命と動乱のスペインを生きた伝説の画家、フランシスコ・デ・ゴヤが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
スペイン最大の画家、フランシスコ・デ・ゴヤは、1746年3月30日、スペイン北東部の村、フェンデトードスで生まれた。
父は代々の職人家系。
鍍金師、メッキを生業としていた。
母は、下級貴族の末裔。
教養こそ大切だと思い、我が息子には、それなりに立派な教育を受けさせようと思ったが、父は反対。
手に職さえあれば、生きていけると考えていた。
ゴヤが7歳のとき、父の工房があるサラゴサに移り住む。
サラゴサは、農業や灌漑事業の発展がいちじるしく、活気にあふれた街。
12歳で、修道会が経営する学校に入学。
勉学より、野山を駆け回る狩猟を好んだ。
母は、ゴヤを落ち着かせるため、画家ジョセフ・ルサンの画室に入門させる。
幼い頃から絵を画くのが好きだった。
しかし、来る日も来る日もデッサンばかり。
窮屈だった。自由に絵が画きたい。
3年間、修業して悟った。
「絵は、誰かに教わるもんじゃない、自分を見つめ、感じたままを写すものだ」
スペインの画家、ゴヤの少年時代は、貧しさの中にあった。
父が破産。
家を追われる日々も体験した。
なんとかひとりで生きていかねばならない。
16歳で職業画家として活動を始める。
聖堂の扉絵の修復。
教会の壁画の手伝い。何でもやった。
当時、画家としての成功は、宮廷画家になることだった。
そのためには、王立美術アカデミーに入ることが先決。
17歳で奨学生試験を受けるが、不合格。
20歳のときに再度挑戦するが、これも失敗に終わる。
2回とも、実技審査で、審査員が誰ひとり、ゴヤに一票を投じなかった。
その結果には深く傷ついたが、そんなときは、自画像を描いた。
自分を見つめ、自分の心と対話する。
ゴヤには、父親に似た、外に向かう攻撃性もあったが、母親に似た、内省的で思慮深い一面もあった。
自画像を画いていると、すっと心が落ち着いた。
濁った川の水が、やがて透明度を取り返すように、彼は再び、自分を信じることができた。
「誰も認めてくれないなら、自分で自分を高めるだけだ」
ゴヤは、内装の仕事を掛け持ちして、必死にお金を稼ぐ。
そのお金で、イタリアを目指した。
ローマ、ヴェネツィア、ナポリ、フィレンツェ。
古代彫刻やルネッサンス、バロックの名作を片っ端から模写した。
膨大なデッサンは、スケッチブック83冊にも及ぶ。
やがて彼は、パルマの美術アカデミー主催のコンクールで、選外ながら佳作を獲得。
手応えを感じた。
イタリアの風が、ゴヤの心を解き放った。
イタリアでのわずか1年半の滞在で、ゴヤは自信を得た。
スペインに戻ると、意欲的に仕事に精を出す。
ピラール礼拝堂のフレスコ画。
魂を込めた。
絶賛され、次にアウラ・デイ修道院の内壁にマリアとキリストの連作を描く。
これも大好評。
やがて、宮廷画家フランシスコ・バイユーに認められる。
バイユーの妹と結婚。
ついに、サラゴサから憧れの街マドリードへの進出が叶った。
最初の仕事は、王家の離宮を飾るタピスリーの下絵を画くこと。
63点の下絵を、完璧に描き切る。
ゴヤには、野心があった。
スペインでいちばん有名な宮廷画家になること。
自分を認めなかったアカデミーに復讐したい。
そんなときも、自画像を画く。
ぎらついた眼差し。
これが自分だ、なんとしても名声を手に入れたい、自分の姿だ。
目を背けない。
全ての自分を確認しながら、前に進む。
それが流儀だった。
やがて注文が殺到。
マドリードで最も忙しい宮廷画家になった。
金と地位、名誉。
もう少ししたら、全て手に入る。
そう思っていた、46歳のとき、突然、病に倒れた。
聴覚を失う。
そのときも、自画像を画いた。
「オレは、何か間違っていた…。名声のために画いたんじゃない、画くことが好きだっただけだ」
彼は、なけなしの金でイタリアを廻ったときのように、素描を大切にするようになった。
聴覚を失ったばかりのときの自画像。
そこには、少年のように輝く瞳があった。
【ON AIR LIST】
闘牛場に吹く風 / ジプシー・キングス
フランシスコ・ゴヤ・イ・ルシエンテス、画家 / マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(作曲)、山下和仁(ギター)
デッサン / 安全地帯
人生を忘れて / フリオ・イグレシアス
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