第八十五話変化を見逃さない
19世紀中ごろの、ジャポニズム。
浮世絵に描かれた富士の山は、世界の芸術家の知るところとなりました。
印象派の巨匠、クロード・モネは、葛飾北斎の『冨獄三十六景』を見て、驚愕します。
「なんだ、この躍動感、ダイナミックな構図、音が聴こえるようだ、水しぶきが、飛んでくるようだ!」
荒々しく襲い掛かる海の向こうに、富士山がありました。
特に、モネの心をとらえたのは、連作という表現方法でした。
さまざまな角度から見える富士山は、時のうつろいを示し、観るひとの心情に寄り添う格好の対象でした。
連続して、同じものを描き続けること。そこから見えてくる、光と闇。
あるいは、時間や空間の流れと、人生が有限であるというテーマ。
やがてそれは前代未聞の大作『睡蓮』での結実に向かっていきます。
86年の生涯で2000点以上もの絵画を描いてきたモネにとって、晩年、最大の試練がやってきました。
両目がほとんど見えなくなったのです。
それでも彼は画くことをやめませんでした。
『睡蓮』は、彼にとってどうしても完成させたい連作。
あらゆる治療を試み、ようやく片方の目の視力が少し戻ると、寝食を忘れて、対象に向き合いました。
浮世絵に描かれた富士山から得たインスピレーション。
変化を見逃さず、変化から学ぶということ。
そこに、モネの神髄が隠されているのかもしれません。
印象派の巨匠、クロード・モネが、その戦いに満ちた生涯でつかんだ、明日へのyes!とは?
世界的に有名な画家、クロード・モネは、1840年11月14日、パリで生まれた。
5歳のとき、ノルマンディー地方のル・アーブルに引っ越し、モネはここで幼少時代を過ごす。
海が近くにあった。田園風景も豊かに拡がっている。
モネの原風景になった。
勉強には興味が持てない。学校が嫌いだった。でも、絵がうまい。
ノートには先生の似顔絵をせっせと画き、友達から賞賛を浴びた。
その似顔絵は特徴をデフォルメした、いわば風刺画で笑いを誘う。
ただ描写するのは誰もがやることだ。自分はひとと違うことをしたい。
正面から見た顔をゆがませる。
絵を画き、それを観て笑ってくれるひとがいるということ。
モネの心に、自分の役割が刻まれた。
「そうか、絵というのは、どうやらひとの心に訴えかけるものらしい」。
学校の中だけではなく、ル・アーブルの街のひとも画いた。
時にはお金をもらうこともあった。
自分は絵がうまい。
少し調子にのっていた頃、額縁屋で、ある絵に出会う。
浜辺の風景画。胸を打つものがあった。
画いたのは、ウジェーヌ・ブータン。
ブータンは幼いモネに言った。
「ねえ君、自分の才能を無駄遣いしちゃいけないよ。似顔絵ばかり画いていないで、風景画を描きなさい。観察することを覚えなさい」。
のちにモネは語った。
「ブータンこそ、私の師匠だ」。
対象にしっかり向き合い、観察すること。
変化を見逃す人間に、明日はない。
印象派の巨匠、クロード・モネは、屋外で絵を画く楽しさを知った。
光の移ろい、風の通り道、時々刻々と色を変えていく海の表情。
心が沸き立つ。と同時に、難しい。一瞬を留めることが、できない。手法を探求する。画き方だけではない。
絵の具、絵筆、試せるものは何でも試した。
サロンに入選を果たすも、モネの絵はさっぱり売れなかった。
ただ、彼は確信していた。なんでも吸収して自分の養分にしていけば、必ず自分だけの境地に達することができる。
大切なのは、好奇心。重要なのは、心にひっかかるものは全て取り入れてみるということだ。
心に貯えがないものに、創作などできはしない。
ただ、30歳を過ぎても、貧乏だった。金策に走る毎日。
妻や子にも苦労をかける。
セーヌ川に身を投げようと思ったこともあった。
それでも絵を画き続けた。
34歳のときに出品した『印象・日の出』が物議をかもす。
ここから印象派の名がついた。
屋外での制作。目の前の自然をただ眺め、変化を留める。
そんな制作姿勢は当時のパリでは珍しかったが、思わぬところで、モネは同志に出会う。
パリ万博。海を渡ってきた浮世絵。
葛飾北斎の富士山の連作は、彼の心を激しくゆさぶった。
「これだ、私がやりたかったのは、これだ!」
そこには、富士山のさまざまな変化をとらえる、鋭くて優しいまなざしがあった。
パリ、オランジェリー美術館は、その名のとおり、もともとは、1852年に建てられたオレンジの樹を守るための温室だった。
ガラス張り、飾り気の少ない凛とした造りが名残りをとどめる。
二つの楕円形の展示室に、クロード・モネの『睡蓮』が、壁中に広がっている。
水の鏡に映しだされる、朝から昼、夕方、夜までの睡蓮の陰影。
第二展示室は、柳と池の競演。モネの日本への憧憬がうかがえる。
モネは葛飾北斎の冨獄三十六景を見て、連作を思いついた。
自分の庭に池をつくり、日本風の橋を架けた。
晩年の課題に、睡蓮のうつろいを選んだ。
絵の完成を待たずに、モネは視力を失う。しかも両目。
絶望する。かすかな光を求めて、それでも絵筆を握った。
ようやく、片方の目だけ、少し視力が戻る。
焦る。なんとしても完成させたい。
彼は諦めなかった。
どうしたらうつろう光をキャンバスに留めることができるだろうか。それだけを考えた。
モネは、ひとが生まれてから死ぬまでを睡蓮にたくして描いた。
睡蓮は命、魂。それは華ではなく、祈りだった。
何度も繰り返される命の流れがそこにある。
それはまた死を受け入れる儀式でもあった。
変化をいとわない。見逃さない。
だからこそ永遠を手にすることができる。
一分一秒、ひとつとして同じものはない。
現状に安穏とあぐらをかかず、変化を見極め、変化を楽しむ。
そうすれば、必ず、明日が見えてくる。
【ON AIR LIST】
もし私が忘れるようなことがあったら / ZAZ
Free as a bird / The Beatles
おひさま~大切なあなたへ / 平原綾香
Say / John Mayer
閉じる