yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第十一話 悲しみよ、こんにちは  -フランス文学者・朝吹 登水子-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第十一話悲しみよ、こんにちは 

軽井沢タリアセン。塩沢湖のほとりに建つ、こげ茶色の木造の別荘は、睡蓮の睡に、鳩と書いて、睡鳩荘と呼ばれています。
この建物は、W.M.ヴォーリズの設計によるもので、フランス文学者の朝吹登水子の命
により、この場所に移築されました。
旧朝吹山荘は、もともと小高い丘の上にありました。
帝国生命や、三越の社長を務めた朝吹常吉の別荘でした。
常吉の長女、朝吹登水子。
彼女は、軽井沢を愛し、この別荘を心から愛しました。
フランソワーズ・サガンの翻訳家、ボーヴォワールやサルトルと親交があった彼女の人生は、決して平たんなものではありませんでした。
日本とフランス。二つの国で生きた彼女が見つめた人生のyesとは?

フランス文学者・朝吹登水子は、1917年2月27日に、生まれた。父は実業家として名をはせた、朝吹常吉。まわりからみれば、何不自由ない、恵まれた生活を約束されていた。
16歳で結婚。夫は、家柄もよく、眉目秀麗な青年だった。新婚旅行で訪れたパリ。華やかであるはずなのに、なぜか、登水子には灰色に見えた。

「これが私の望んだ人生だろうか?」

夫との会話はない。まだまだ学びたい、もっともっといろんな世界を見たい!そう思う登水子にとって、カルチェ・ラタンの街並みは、あまりに遠い架空の街だった。
思えば父、常吉は、19歳でひとりロンドンに留学して西欧文化を学び、子供たちを男女別け隔てなく育てた。
幼い頃から向学心が強かった登水子にとって、家庭に入ることだけが人生ではなかった。
そんな登水子の想いに応えてくれたひとがいた。
兄の三吉(さんきち)。登水子は、三ちゃんと呼んだ。
三吉は、登水子に、パリである芝居を見せた。
名優ルイ・ジューヴェの舞台。
しびれた。フランス語が理解できないのに、体に電流が走った。彼の存在、彼の言葉が、美しいと思った。
「フランス語を学びたい!」心から思った。
物質的には満たされていても、心が裕福でないと、ひとは、幸せにはなれない。そんな単純なことが、彼の言葉から伝わってきた。
登水子は、夫に離婚したいと言った。当時、離婚は珍しかった。
19歳で、単身、フランスに渡った。

「私は、誰の人生でもなく、私自身の人生を歩く!」

フランス文学者、朝吹登水子は、19歳でパリに渡り、全寮制の女学校で勉強した。文字通り、歯をくいしばって2年間、頑張った。ソルボンヌ大学のフランス文化講座の試験に合格。彼女を支えたのは、ただひとつの想い。
「自分が生きている手応えがほしい」

せっかくつかんだ異国での暮らしも、戦争で帰国を強いられた。
鎌倉にいた、戦争最後の年。1945年。
鎌倉も艦載機(かんさいき)からの攻撃を受けるようになった。
登水子は、軽井沢に疎開している両親を訪ねることにした。
2月25日の切符が手に入る。その日は数千の敵機来襲とラジオで聴いた。登水子は、汽車に乗った。
品川や新橋のホームには、焼け焦げた頭巾をかぶる人たちが走り回っていた。上野駅について驚く。あたりは焼け野原。電信柱が燃えていた。夜9時。上野を出る汽車があることを知った。
雪が降ってきた。何度も汽車は止まる。そのたびに、体が震えた。
30数時間かかって、ようやく軽井沢駅に着いたとき、目の前は、一面の雪景色。でも、木々の間から、シジュウカラの声が聴こえた。

「ああ、ここには、平和がある」

安堵に、涙がこぼれた。

フランス文学者・朝吹登水子は、フランスへの想いを諦めなかった。1950年、33歳のとき、再びパリに渡った。
もう迷わない。誰にも邪魔されない。私は、私の道をいく。
登水子は、ひとに会い、自らを高めた。
貧しかった。でも、くじけなかった。
1955年、フランソワーズ・サガンの小説『悲しみよ、こんにちは』で、翻訳家として認められた。
ボーヴォワールの『娘時代』を翻訳したことで、世界的に有名なサルトルとも仲良くなれた。
サルトルに初めて会ったときのことは忘れられない。
ボーヴォワールのアパルトマンのドアの向こうにいたサルトル。
「ボンジュール、マダム」
優しい声だった。握手の手が、柔らかい。笑顔にホッとした。
彼と話す。フランス語が心地よく響く。
サルトルは、言った。
「知識人の仕事は、正しく物事を把握することだ」。
朝吹登水子は、その言葉を聞いて、あらためて思った。
「私は、正しく物事を把握したかった。だから世界を見て、さまざまなひとに会い、ぶつかって叩かれて、ここまできた。」

サルトルとボーヴォワールは、ニコニコと登水子を見た。
パリの街はもう、灰色ではなかった。
風景や心に色を灯すのは、際限なく続けた努力しかない。

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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