第百八十一話何度でも絶望から這い上がる
フランツ・カフカ。
「ある朝、嫌な夢から目覚めると、自分が一匹の虫に変身しているのを発見した」という有名な書き出しで始まる、『変身』という小説の作者です。
彼の40年あまりの人生は、苦悩の連続でした。
ユダヤ人という宿命、父との確執、サラリーマンと作家という二足のワラジ生活。
婚約者とは何度も破局を迎え、生涯独身。
晩年の数か月を除けば、ほとんどをプラハという街で過ごし、小説は売れず、生前は自分の作品が100年後も全世界のひとに読まれ続けているとは、夢にも思わなかったでしょう。
それでもカフカは、書くことをやめませんでした。
寝る間を惜しんで、会社勤めをしながら、ペンを握り続けました。
ここ数年、彼の生き方が話題になっています。
「絶望の名人」と称されるカフカ。
なぜ彼が、苦悩の果てに絶望しても再び這い上がることができたのかを繙(ひもと)けば、混迷する現代社会を生き抜くヒントになるのではないかと考えられたからです。
彼の名言は、一風変わっています。
「寝て、起きて、寝て、起きる。みじめな人生」
「君と世の中が戦うとしたら、迷わず、世の中に賭けたまえ」
「神はクルミを与えてくれる。でも、それを割ってはくれない」
ひとは言います。
ポジティブに生きろ! ポジティブこそ人生を幸せにする魔法だ。
でも、絶望の最中にあって、簡単にポジティブと言われても、動けないときがあります。
そんなとき、カフカのどこか飄々(ひょうひょう)としたペシミズムが心地良いのです。
不条理を愛した小説家 フランツ・カフカが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
孤高の小説家 フランツ・カフカは、1883年、現在のチェコ共和国の首都プラハに生まれた。
父も母もユダヤ人。父はたたき上げの苦労人だった。
若くして行商に出かけ、財を蓄え、プラハで雑貨を扱う小さな店を出すまでになる。
父はチェコ語しか話せず、母はドイツ語を話すことができた。
学はないが、生きるバイタリティに満ちた、激しい気性の父。
本を読みクラシックを聴く、芸術に明るい、穏やかで知的な母。
チェコとドイツ、生活と文化。
カフカは、幼くしてアイデンティティの分裂を余儀なくされる。
弟が2人生まれたが、早くに他界。
そののち、妹が3人生まれた。
母は妹の世話に追われ、父は金儲けに奔走していたので、カフカは、孤独な少年時代を過ごす。
よく、カレル橋に行った。ひとりで。
ヴルタヴァ川の流れを見下ろす。
ただ、意味もなく、わけもなく、見下ろす。
時間とともに、川の色は変化していく。それが面白かった。
橋の近くでは、ユダヤ人の芝居、いわゆるイディッシュ劇を上演していた。
特に人形劇が盛んだった。
カフカは、勝手に忍び込み、人形劇を見た。
無表情に見えたロバや農夫が生き生きと歌い、喜び、泣いている。
幼い彼は、思った。
「創っていいんだ。今の生活がキツければ、楽しい人生を勝手に創っていいんだ」
フランツ・カフカの父は、息子を、チェコ語の学校ではなく、裕福な子どもが通うドイツ語の小学校に入学させた。
それは、父の見栄であり、息子に賭けた夢だった。
学校での居心地は、すこぶる悪かった。
カフカは人一倍、敏感な子どもだったので、毎日毎日小さく傷ついた。
着ている服、持っている文具、本、バッグ。
話す会話も、自分の家では想像もできない話題が飛びかっていた。
彼は、認識せざるをえない。
「この世の中には、明らかに格差がある。しかもそれは、理不尽なまでに手のうちようがない。ひとは、そこに在るのではなく、そこに属している。大事なのは、どこに属しているかだ」。
ある日、クラスメートに言われた。
「ねえカフカ君、キミのその奇妙な靴、どこに行けば買えるんだい?」
勉強は、頑張った。誰よりも一生懸命やった。
父は成績優秀な息子を周りのひとに自慢したが、カフカは、それが嫌だった。
ゴツゴツした大きな手で頭を撫でられると、背筋がぞっとした。
「ボクは、ほんとうにこのひとの息子なんだろうか?」
フランツ・カフカは、父を怖れ、時に父を軽蔑しながらも、父に従った。
ギムナジウムに合格。
ラテン語、ギリシャ語が、何の役に立つかわからなかったが、父に褒められるためにだけ頑張った。
その一方で、読書に夢中になる。
想像の世界では、自分が王様だった。
絶望すれば、すぐに逃げ込む。
嫌なことを言われれば、忘れるために駆け込む。
彼は想像の世界で父を裏切り、先生を罵倒し、世の中を呪った。
ある日、それを紙に書いた。
唯一の友達、フーゴに読ませると、
「カフカ君、すごいよ、面白いよ。君、もしかしたら小説家に向いているんじゃないか?」
そう言ってくれた。
小説家…初めて、世の中と重なった気がした。
こうして、彼のスタンスは決まった。
『書くことは、生きること』
書いているうちは、世の中とつながっていられる。
書いているうちは、自分は自分らしくいられる。
そうか…
どんなに絶望しても、書くことに戻れば大丈夫なんだ。
逃げていいんだ、向き合わなくていいんだ。
現実がキツければ、想像の世界に逃げていいんだ。
フランツ・カフカは、亡くなる前、ほとんどの自分の作品を焼いてくれと友人に頼んだ。
彼は誰のためでもなく、自分のために書いたから。
それでも彼の言葉は、多くのひとを勇気づける。
自分自身を救えないひとは、ひとを救えない。
【ON AIR LIST】
モルダウ / 連作交響詩「我が祖国」より スメタナ(作曲)、イジー・ビエロフラーヴェク(指揮)、プラハ交響楽団
BAD BAD NEWS / Leon Bridges
僕はもういない / ぼくのりりっくのぼうよみ
Despair (Acoustic Version) / Yeah Yeah Yeahs
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