第五話響き合う奇跡の場所
並木道に、森の香りをふくんだ風が吹き抜けていきます。
池にかかった木造の橋から、同時に見える、浅間山と、離山。
池の水面に映る、五角形の建物があります。
『軽井沢大賀ホール』。
ソニーの元名誉会長であり、声楽家、指揮者としても知られる、大賀典雄(おおがのりお)が寄贈した、音楽堂。
今年10周年を迎えました。
「五角形にすれば、平行壁面がなくなる。どの席で聴いても、音が均一に届き、美しく反響する」。
彼は退職金の全てをなげうって、理想のホールを、創りあげました。
「若い人が、良質の音楽に、安い価格で触れることができるように」。
そんな彼の想いは、時間を越え、受け継がれ、軽井沢の地に、あらたな文化を根付かせました。木のぬくもりに包まれた音楽堂は、年々、音の深みを増していくように感じられます。
ホールに置かれたピアノは、スタンウェイ&サンズ社が誇る、世界最高峰の名器。
20世紀最高のピアニストのひとり、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリが来日した際、持ちこんだものです。
その音色を今も空の上で、大賀典雄は、聴いているでしょう。
軽井沢の豊かな自然と、音楽の手紙は、この地を訪れる全てのひとに優しく語りかけています。
「yes。あなたはそのままで大丈夫」
大賀典雄は、1930年、静岡に生まれた。
幼い頃、姉のオルガンをおもちゃがわりにして、遊んだ。
音楽には和音というものがあることも、自分で見つけた。
奏でる。響かせる。共鳴し合う。
オルガン、ピアノ、蓄音機。音楽をひとりで学ぶには不自由しなかった。
ある意味、生意気な生徒だった。先生のオルガン演奏を聴いて、「それは違うと思います」と揚げ足をとったらしい。
小学四年までは良い成績がとれなかった。
でも、五年生になって出会った高林先生は、大賀の才能を見出してくれた。
ブラスバンドをやった。ますます音楽にのめりこむ。
中学3年のときには、音楽家になりたいと思っていた。
敗戦が色濃く、戦禍が厳しさを増していた時、沼津の松林に爆弾が落ちた。炎が家を焼く。
必死で食い止める。火を消し、気が付くと、右手首の甲から血が噴き出していた。焼夷弾の破片が当たったらしい。
その傷は、生涯残り続けた。
音楽には国境も人種もない。全てを越え、全てを包む。
誰の耳にも、平等に降り注ぐ。
そういうものに、一生を捧げてみたい。
芸術には、使命がある。文化には、ひとが生きるために必要な祈りがある。
あらゆる文化の源。それは「人生は生きるに値するということ」。
大賀は、東京芸術大学を目指す。声楽家になりたいと思った。
幼い頃から、「声がいい」と褒められた。
中学2年のとき、肋膜炎を患い、寝たきりを
強いられる。「寝る子は育つ」を体現するように身長は伸び、180センチ近くになった。
体格の良さも声楽家には、好条件に思われた。
声楽家として世界をめぐり、いつかオーケストラの前で、指揮棒を振りたい。そんな夢が彼の背中を、押した。
大賀典雄は、29歳のとき、縁あって、ソニーという会社に入った。
入るきっかけも、「音」だった。
ソニーが出したテープレコーダーの音が悪いとクレームを言った。
「声楽家にとってテープレコーダーは、バレリーナの鏡のように、大切な存在。それがこんな音では、勉強にも使えない!」
そんな大賀を、面白いと思ったのが、盛田昭夫。
「ウチに、来ないか。バリトン歌手と二足のわらじでいいから」
でも、34歳で取締役に就任。会社をまかされ、それどころではなくなった。52歳でソニーの社長になった。
太く、よく通る声で「お前なんか辞めてしまえ!」と部下を震えあがらせた。信条は、リーダーシップと、言葉が明瞭であること。
会社はオーケストラ。指揮する人間の決断と、音を響かせることの大切さを誰よりも知っていた。
そして、誰もが音楽を奏でる大切な楽員だと思っていた。
叱ったあとのフォローを忘れなかった。
この世に、無駄なものはない。意味のない人生などない。
60歳で、念願の指揮者になる。
実業を離れて、さあ、これからは音楽に身を捧げよう、そう思っていた矢先、北京で倒れた。
オーケストラを指揮しているときに、床に伏した。
生死をさまよいながら、彼は思ったのかもしれない。
「このままでは、終われない」。
奇跡的に助かった大賀典雄。長期療養の地が、軽井沢だった。
軽井沢の風が、森が、空が、彼を包み込み、再び呼吸することを教えた。
ソニーを辞するとき、妻と話した。
退職金の使い道。
「お世話になった軽井沢に、音楽ホールがない。音楽堂を建てましょう!」
もちろん、音にはこだわった。
どこにいても、均一に響き渡るということ。
その五角形の建物は、大好きな軽井沢に似ていた。
誰にも等しく優しい景色。誰の心にもすっと届く清廉な風。
やってくる全てのひとの心に共鳴する音楽のような、森の声。
音楽はいい。音楽には、わけへだてがない。
誰をも癒す、そんな音楽堂は、池のほとりに建っている。
大賀典雄が戦争を知り、死線をさまよってたどりついた場所。
そこには、誰にも等しく響く、音だけがあった。
彼は風とともに、語りかけてくれる。
「どんな人生にも、意味がある。そして人生は生きるに値する」
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