yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第五話 響き合う奇跡の場所 -実業家・大賀典雄-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第五話響き合う奇跡の場所

軽井沢駅から歩いてほど近い、矢ケ崎公園。
並木道に、森の香りをふくんだ風が吹き抜けていきます。
池にかかった木造の橋から、同時に見える、浅間山と、離山。
池の水面に映る、五角形の建物があります。
『軽井沢大賀ホール』。
ソニーの元名誉会長であり、声楽家、指揮者としても知られる、大賀典雄(おおがのりお)が寄贈した、音楽堂。
今年10周年を迎えました。
「五角形にすれば、平行壁面がなくなる。どの席で聴いても、音が均一に届き、美しく反響する」。
彼は退職金の全てをなげうって、理想のホールを、創りあげました。
「若い人が、良質の音楽に、安い価格で触れることができるように」。
そんな彼の想いは、時間を越え、受け継がれ、軽井沢の地に、あらたな文化を根付かせました。木のぬくもりに包まれた音楽堂は、年々、音の深みを増していくように感じられます。
ホールに置かれたピアノは、スタンウェイ&サンズ社が誇る、世界最高峰の名器。
20世紀最高のピアニストのひとり、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリが来日した際、持ちこんだものです。
その音色を今も空の上で、大賀典雄は、聴いているでしょう。
軽井沢の豊かな自然と、音楽の手紙は、この地を訪れる全てのひとに優しく語りかけています。
「yes。あなたはそのままで大丈夫」


大賀典雄は、1930年、静岡に生まれた。
幼い頃、姉のオルガンをおもちゃがわりにして、遊んだ。
音楽には和音というものがあることも、自分で見つけた。
奏でる。響かせる。共鳴し合う。
オルガン、ピアノ、蓄音機。音楽をひとりで学ぶには不自由しなかった。
ある意味、生意気な生徒だった。先生のオルガン演奏を聴いて、「それは違うと思います」と揚げ足をとったらしい。
小学四年までは良い成績がとれなかった。
でも、五年生になって出会った高林先生は、大賀の才能を見出してくれた。
ブラスバンドをやった。ますます音楽にのめりこむ。
中学3年のときには、音楽家になりたいと思っていた。
敗戦が色濃く、戦禍が厳しさを増していた時、沼津の松林に爆弾が落ちた。炎が家を焼く。
必死で食い止める。火を消し、気が付くと、右手首の甲から血が噴き出していた。焼夷弾の破片が当たったらしい。
その傷は、生涯残り続けた。
音楽には国境も人種もない。全てを越え、全てを包む。
誰の耳にも、平等に降り注ぐ。
そういうものに、一生を捧げてみたい。
芸術には、使命がある。文化には、ひとが生きるために必要な祈りがある。
あらゆる文化の源。それは「人生は生きるに値するということ」。
大賀は、東京芸術大学を目指す。声楽家になりたいと思った。
幼い頃から、「声がいい」と褒められた。
中学2年のとき、肋膜炎を患い、寝たきりを
強いられる。「寝る子は育つ」を体現するように身長は伸び、180センチ近くになった。
体格の良さも声楽家には、好条件に思われた。
声楽家として世界をめぐり、いつかオーケストラの前で、指揮棒を振りたい。そんな夢が彼の背中を、押した。

大賀典雄は、29歳のとき、縁あって、ソニーという会社に入った。
入るきっかけも、「音」だった。
ソニーが出したテープレコーダーの音が悪いとクレームを言った。
「声楽家にとってテープレコーダーは、バレリーナの鏡のように、大切な存在。それがこんな音では、勉強にも使えない!」
そんな大賀を、面白いと思ったのが、盛田昭夫。
「ウチに、来ないか。バリトン歌手と二足のわらじでいいから」
でも、34歳で取締役に就任。会社をまかされ、それどころではなくなった。52歳でソニーの社長になった。
太く、よく通る声で「お前なんか辞めてしまえ!」と部下を震えあがらせた。信条は、リーダーシップと、言葉が明瞭であること。
会社はオーケストラ。指揮する人間の決断と、音を響かせることの大切さを誰よりも知っていた。
そして、誰もが音楽を奏でる大切な楽員だと思っていた。
叱ったあとのフォローを忘れなかった。
この世に、無駄なものはない。意味のない人生などない。
60歳で、念願の指揮者になる。
実業を離れて、さあ、これからは音楽に身を捧げよう、そう思っていた矢先、北京で倒れた。
オーケストラを指揮しているときに、床に伏した。
生死をさまよいながら、彼は思ったのかもしれない。
「このままでは、終われない」。

奇跡的に助かった大賀典雄。長期療養の地が、軽井沢だった。
軽井沢の風が、森が、空が、彼を包み込み、再び呼吸することを教えた。
ソニーを辞するとき、妻と話した。
退職金の使い道。

「お世話になった軽井沢に、音楽ホールがない。音楽堂を建てましょう!」

もちろん、音にはこだわった。
どこにいても、均一に響き渡るということ。
その五角形の建物は、大好きな軽井沢に似ていた。
誰にも等しく優しい景色。誰の心にもすっと届く清廉な風。
やってくる全てのひとの心に共鳴する音楽のような、森の声。
音楽はいい。音楽には、わけへだてがない。
誰をも癒す、そんな音楽堂は、池のほとりに建っている。
大賀典雄が戦争を知り、死線をさまよってたどりついた場所。
そこには、誰にも等しく響く、音だけがあった。
彼は風とともに、語りかけてくれる。
「どんな人生にも、意味がある。そして人生は生きるに値する」

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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