yes!~明日への便り~presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

第十八話 シニカルという希望 -作家・評論家 正宗白鳥-

yesとは?

  • 語り:長塚圭史
  • 脚本:北阪 昌人

『自分にyes!と言えるのは、自分だけです』
今週あなたは、自分を褒めてあげましたか?
古今東西の先人が「明日へのyes!」を勝ち取った命の闘いを知る事で、週末のひとときをプレミアムな時間に変えてください。
あなたの「yes!」のために。

―放送時間―
TOKYO FM…SAT 18:00-18:30 / FM大阪…SAT 18:30-19:00
FM長野…SAT 18:30-19:00 / FM軽井沢…SAT 18:00-18:29

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第十八話シニカルという希望

軽井沢、矢ケ崎川のほとり、室生犀星文学碑から、さらに坂をのぼり山道を行けば、やがて十字架をかたどった石碑が見えてきます。
作家にして評論家の正宗白鳥の文学碑です。
スウェーデン産と言われる黒い御影石には、彼が好んだギリシャの詩が刻まれています。
『花さうび 花のいのちは いく年ぞ
時過ぎてたづぬれば 花はなく
あるはただ いばらのみ』
花さうびとは、薔薇のこと。白鳥が愛した歌には、彼のニヒリズムが色濃く表れています。
軽井沢を愛した正宗白鳥の小説には、全編に、世の中をシビアに見つめる冷徹とも思える鋭い視線があります。
でも、その眼差しには、むしろ希望を、愛を感じざるを得ません。
晩年の彼は講演会でこんなことを語っています。
「例えば、芸術に殉ずるという、そういう人もある。自分の仕事に、芸術でなくっても、ある仕事に全力を挙げて、一生を安んずるという。それは、僕らの尊い所。ところが、僕はそれほど自分の書くものに対して、何の信仰もない。自分のしていることにも何の信仰もない。と、ともに、そういうふうの信仰も、一方のあらゆる困難にあっても十字架につくという信仰もない。どっちもないで、ぐらぐら一生を終わったということになったんです。第一、自分のものを、自分はやろうと思ったんじゃなしに、今だって、できゃしないし、どうにか今日まであったのは、もっけの幸いだと思っている。それで、元来、遊戯だと思っている。小説なんてものは」

小説なんてものは、遊戯。遊び。
でも、その遊びをとことん突き詰めた男の、yesとは?

作家にして評論家、正宗白鳥は、1879年、岡山県の現在の備前市に生まれた。
正宗家は江戸時代からの財産家。
高祖父は林業を営んでいた。
1896年に、のちの早稲田大学に入学。
在学中に内村鑑三らの影響でキリスト教の洗礼を受けた。
卒業後は早大出版部を経て、読売新聞社に入社する。
担当は文芸。25歳のときには、自ら、小説を書くようになった。
29歳のときに書いた『何処へ』が評判となり、文壇にその名を示した。
『何処へ』の主人公、健次は、いつもシニカルな笑みを口元に浮かべる27歳の雑誌記者。愛にも、仕事にも、熱心ではない。その姿はまるで、人の群れの中で安穏としている大衆への抵抗にも思えてくる。
小説の中に、こんな一説がある。
「わずかな命だけれど、人間は何かで誤魔化されなくちゃ、日々がおくれないんですね」
明治、大正、昭和と生き抜いた正宗白鳥の視線は、いつも冷ややかで、核心をついている。
彼は、こんな言葉を残した。
「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれで尽きている」。

作家、正宗白鳥が、初めて軽井沢の『つるや旅館』に泊まったのは、1912年、明治45年のことだった。
それは作家としては最も古い客人だった。
以来、自身が別荘を構える1926年まで、毎年、定宿として『つるや』を訪れた。
彼は、あまり放浪を好む作家ではなかったが、軽井沢にいれば、空想に心をあずけることができた。
外国人たちの文化、それを真似る日本人の若者たち。
キリスト教の香り、人道会や動物愛護の活動。
最も正宗白鳥が気に入っていたのは、街に貼りだされた外国船出航の貼り紙だった。
メルボルン、シンガポール、ボンベイ、シドニー。
横文字で書かれたその地名に、旅の匂いをかいだ。
船の汽笛が鳴る。港でのたくさんの出会いと別れ。軽井沢の清廉な風に吹かれながら、彼は思いをはせた。
戦時中、東京の自宅と軽井沢を何度も往復した。
冬には軽井沢の厳しい寒さも体験した。
のちに彼は、一年中、軽井沢で過ごすことを選んだ。
夏の二か月があるのは、きつい冬があるおかげだと言わんばかりに、この地をまるごと愛した。
彼のともすれば厳しい言葉、シニカルな側面は、実は優しさの裏返しではなかったのだろうか。

正宗白鳥は、島崎藤村らと日本ペンクラブを設立して、4年間会長を務め、文壇の後進の育成に尽力した。
写真を撮られるのを嫌ったが、撮られた写真は笑顔が多かった。
晩年の講演会では、いつもの辛口なものいいで会場を沸かせ、人間の心の本音に迫った。
嘘が嫌いだった。本心を隠し、芸術を語り、人生と向き合わない作家連中を許さなかった。
「なにをえらそうに!作家がそんなにえらいのか?文学がそんなに上等なのか?違う、大切なのは、苦しむこと、もがくこと。目をそむけないことだ」
軽井沢にある、彼の文学碑。
薔薇は、散ってしまい、あとに残るのは、いばらだけだという詩が刻まれている。
彼は知っていた。
残されたいばらにこそ、人生の真髄がある。ほとんどいばらに囲まれた命だからこそ、人の愛が愛おしく、奇跡なのだ。
口元にシニカルな笑みを浮かべながら、彼はこう言うかもしれない。
「私は悲しみや苦しみに裏打ちされていないものを、信じない」。
彼のニヒリズムは、諦めではなく、希望だった。

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PROFILE

  • 長塚 圭史

    語り:長塚 圭史

    1975年生まれ。東京都出身。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を旗揚げ、作・演出・出演の三役を担う。08年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を始動、三好十郎作『浮標(ぶい)』を上演する。近年の舞台作品に、『鼬(いたち)』、『背信』、『マクベス』、『冒した者』、『あかいくらやみ~天狗党幻譚~』、『音のいない世界で』など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。
    また、俳優としても、NHK『植物男子ベランダー』、WOWOW『グーグーだって猫である』、WOWOW『ヒトリシズカ』、CMナレーション『SUBARUフォレスター』など積極的に活動。

  • 北阪 昌人

    脚本:北阪 昌人

    1963年、大阪生まれ。学習院大独文卒。
    TOKYO FMやNHK-FMなどでラジオドラマ脚本多数。
    『NISSAN あ、安部礼司』(TOKYO FMなど全国FM37局ネット)、『ゆうちょ LETTER fo LINKS』(TOKYO FMなど全国FM38局ネット)、『世界にひとつだけの本』(JFN)、『AKB48の私たちの物語』(NHK-FM)、『FMシアター』(NHK-FM)、『青春アドベンチャー』(NHK-FM)などの脚本・構成を担当。『プラットフォーム』(東北放送)でギャラクシー賞選奨、文化庁芸術祭優秀賞受賞。『月刊ドラマ』にて、『ラジオドラマ脚本入門』連載中。
    主な著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)、『えいたとハラマキ』(小学館)がある。

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NEWS

特別版『オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!』
常盤貴子さん長塚圭史さん
風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。
誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。
YESとNOの狭間で。
あなたは、自分に言っていますか?
YES!ささやかに、小文字で、yes!
毎週土曜日、明日(あした)への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語を朗読でお届けしている番組『yes!明日への便り』。 1月8日は、その特別版「オードリー・ヘップバーンが教えてくれる、明日へのyes!」をお送りいたします。
2018年に没後25年を迎える稀代の大女優オードリー・ヘップバーンの波乱万丈な人生―女優になるまでの波乱に満ちた半生、輝かしい女優時代、ユニセフ親善大使として世界中の子どもたちに尽くした晩年までを、 女優の常盤貴子さんが演じます。
長塚圭史は「語り」の部分やオードリーの夫、また彼女の人生に影響を与えた映画監督の役を担当します。女優、オードリー・ヘップバーンが、私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?

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