第二百八十六話未来を担う子どもたちのために
いわさきちひろ。
その優しく淡い水彩画が織り成す子どもの絵は、誰の心にも、すっと溶け込み、我が子のように愛おしく、日本のみならず、世界中のひとに愛され続けています。
武生は、かつて北陸の玄関口として古来より栄え、政治経済、そして文化の中心地でした。
「ちひろの生まれた家」記念館は、彼女の生家を復元。
大正期のたたずまいを、そのまま残しています。
高等女学校の教師だった母の部屋や、東京にあったちひろのアトリエも再現され、当時の様子がしのばれます。
記念館を一歩出れば、職人町の路地裏の風情が感じられ、タイムスリップしたような感覚を覚えます。
作品の淡いタッチとは対照的に、ちひろの人生は平坦なものではありませんでした。
望まぬ結婚、最初の夫の死、そして戦争。
幾多の試練を越え、彼女がデビューしたのは、27歳のときです。
55歳で亡くなるまで、彼女の生涯のテーマは「子どもの幸せと平和」でした。
ちひろの息子、松本猛(まつもと・たけし)が書いた評伝『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』は、繊細で映像的な記憶力と豊かな筆致で、ちひろの人生を描いています。
ちひろの表現は、我が息子を画くことで開花していきました。
かつて、猛と離れて暮らし、一か月に一度しか会えない日々を送ったとき、彼女は息子の絵を画くことで淋しさをしのぎ、愛情を伝えたのです。
最後に仕上げた絵本になったのは、『戦火のなかの子どもたち』。
ベトナムの戦地の子どもたちを描きました。
心を閉ざした子どもたちの表情から戦争の悲惨さが伝わってきます。
子どもたちが幸せではない世の中に、未来はない。
病魔と闘いながら、最後まで絵に向き合い続けた絵本画家・いわさきちひろが人生でつかんだ明日へのyes!とは?
絵本画家・いわさきちひろは、1918年、大正7年12月15日、福井県武生、現在の越前市に生まれた。
その日は雪が降り、1センチほど積もった。
父はシベリアに出征。
母は武生で教師をしていて、学校の近くの離れを借り、ちひろを生んだ。
翌年、父が戻り、東京・渋谷で親子三人の暮らしが始まった。
ちひろが生まれた年に、童話と童謡を収めた児童雑誌『赤い鳥』が創刊。
その4年後に登場した絵本雑誌『コドモノクニ』が、ちひろの愛読書になった。
隣に住んでいた子どもが、垣根越しに、一冊の絵本を渡してくれた。
見たことのない絵。
触ったことのない厚手の本。
ページをめくるだけで、幸せな気持ちになった。
ちひろは、活発な少女で、夕飯の時間になっても帰ってこない。
でも、母は心配しなかった。
家の前の道にロウセキで画かれた絵があり、それを辿っていけば、しゃがんで必死に絵を描くちひろに、必ず会えたから。
とにかく絵を画くのが、大好きだった。
東京から長野の松本に向かう列車の中。
曇った窓ガラスに、指で絵を画く。
自分の窓がいっぱいになると、隣に移る。
そのうち、乗客から「おじょうちゃん、こっちの窓はまだ画けるよ」と言われ、気がつくと ひと車両全部の窓が、ちひろの絵で埋め尽くされていた。
日本を代表する絵本画家・いわさきちひろは、絵を画くのが得意な子どもだった。
小学校では成績も優秀。
見事、母が教師として勤めていた、難関の東京府立第六高等女学校に入学した。
母もホッと一息ついたが、一学期の成績は惨憺たるものだった。
絵にかまけて、勉学をサボった。
しかし、神の助けがやってくる。
校長の丸山は、通信簿の撤廃を決めた。
もともと自由な校風だったが、丸山は、通信簿は生徒に無用な劣等感を覚えさせたり、必要以上の競争意識を持たせたりして、いいことがないと主張。
どうしても成績が知りたいひとは聞きにくればいいと言い放った。
丸山のおかげで、ちひろは絵に没頭できた。
人間として豊かになる。
そのためには誰かに価値基準を委ねるのではなく、自分で決めていかねばならない。
丸山校長のそんな教育方針に守られ、ちひろは、音楽や美術などの文化や、スキーや登山などのスポーツに大いに触れ、独自の価値観を形成していった。
あくまで、優しさや、しなやかさを持ちつつ、一本芯が通っている。
ちひろは後に、妹にこう評された。
「鉄の棒を真綿でくるんだような人」。
いわさきちひろは、美術学校への進学を両親に反対される。
ゆくゆくは、婿をとり、岩崎家を守る長女。
絵を画くことから遠ざかる日々が続く。
結婚、最初の夫の死、そして戦争。
特に、25歳のときに体験した、5月25日の山の手大空襲は、凄惨な体験として心に刻まれた。
500機近いB29。
死者 3651名。焼けた家屋 16万戸以上。
一面、火の海。
家族とはぐれたちひろは、川のほうに逃げ、空き地で水をかぶった。
泣き叫ぶ子どもの声が、耳から離れない。
再び絵が画けるようになったとき、彼女の思いは ひとつだった。
子どもが幸せではない世界に、未来はない。
復興を遂げ、発展していく日本社会にも警鐘を鳴らした。
彼女は、亡くなる2年前に、こう記した。
「どんどん経済が成長してきた代償に、人間は心の豊かさをだんだん失ってしまうんじゃないかと思います。…そのことに早く気づいて、豊さについて深く考えてほしいと思います。私は私の絵本のなかで、いまの日本から失われた いろいろなやさしさや、美しさを描こうと思っています。それをこどもたちに送るのが私の生きがいです」。
病に伏し、亡くなる直前まで、絵に向き合い、子どもたちの未来を憂えた。
絵本画家、いわさきちひろが描く子どもには、輪郭がない。
先に枠を画いて、そこに色を落とすのではない。
色そのものが無限の輪郭を作り、果てしない可能性を具現化する。
彼女は子どもへの愛に生き、55年の生涯を駆け抜けた。
【ON AIR LIST】
やさしさに包まれたなら / 荒井由実
CHILDREN CHILDREN / WINGS
TEACH YOUR CHILDREN / Crosby,Stills、Nash&Young
死んだ女の子 / 元ちとせ
●ちひろ美術館、松本猛さまにご協力いただきました。
ありがとうございました。
https://chihiro.jp/
●参考文献
松本猛 『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』(講談社)
閉じる