第二百七十五話自分の人生を支配する
そのあるミュージシャンとは、レイ・チャールズ。
日本では、1989年にサザンオールスターズの『いとしのエリー』をカバーしたことで話題になりました。
盲目の黒人。
サングラスでピアノを弾き、歌う、ソウル・ミュージックのレジェンド。
映画化にあたり、レイは、ハックフォード監督にひとつだけ、条件を提示しました。
それは、自分の影の部分も、ちゃんと描いてほしいということでした。
「君は、どんなふうにボクの物語を描いてもいい。でもね、いいかい、真実を語らないことだけは許さない」。
監督が主役候補のジェイミー・フォックスをレイの自宅に連れていくと、いきなりピアノに座らせ、一緒に弾き始めました。
3歳からピアノをやっていたジェイミーは、なんとかついていきますが、「もっともっと、さあ、もっと! 音はね、君の指の下にちゃんとあるんだ!」とレイに叱責されてしまいます。
なんとかくらいつくジェイミーに、最後は「君はできるじゃないか、主役は君しかいないよ」と、OKを出しました。
そうして、2004年に完成した映画『Ray』。
この映画で、ジェイミー・フォックスは、アカデミー賞主演男優賞を得るのです。
しかし、映画の完成直前の2004年6月10日、レイは、73歳でこの世を去ります。
極度の貧困に失明、人種差別に薬物中毒。
自分の闇の部分もさらけだしながら、彼が生涯大切にしたのは、「自分の人生を、自分で支配する」ということでした。
彼は若者に、いつも言いました。
「何度ノックダウンされても、立ち上がるんだ。自分の人生を、簡単にひとの手に渡すな」
ソウルの神様・レイ・チャールズが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
レイ・チャールズは、今からちょうど90年前の1930年9月23日、ジョージア州オルバニーで生まれた。
数か月後に30マイルほど離れたフロリダ州の小さな村、グリーンヴィルに引っ越す。
そこに住むひとはみな、グリーンズヴィルと呼んだ。
白人居住区と黒人居住区に分かれ、黒人たちは貧しかった。
そんな中でも、特に貧しい家庭に育つ。掘っ立て小屋。
電気も水道もなく、子どもはみな裸足だった。
レイには、二人の母がいた。
父は、ときおり家にやってくるオジサンという認識。
実の母は、リサ。
もうひとりの母は、メリー・ジェーン。
不思議に仲良く暮らしていた。
リサは、厳しく育て、メリー・ジェーンは、レイを甘やかし、可愛がった。
7歳で視力を失うまで、レイは、田舎町の風景を網膜に焼き付けた。
野山を駆け回り、いたずらをする、やんちゃな子ども。
3歳の頃から、彼には二つの秀でた才覚があった。
ひとつは、光に対する繊細な感性。
グリーンズヴィルの風景を神秘に照らす日の光や、夕立とともに空を切り取る雷に、心震えた。
ある夜、マッチ箱を丸ごと燃やし、その炎に感動した。
もうひとつが、音楽。
家の近くにあった雑貨屋「レッド・ウィング・カフェ」の主人、ピットが弾くアップライトピアノと、店のジュークボックスに魅せられた。
ピットは、膝の上にレイをのせ、鍵盤を叩く。
音楽が世界を変えることを、幼くして知ることになった。
レイ・チャールズが視力を失う、最後の時間。
不幸な事故があった。
その日、5歳のレイは、4歳の弟・ジョージと、家の裏庭で遊んでいた。
母親のリサは、家でアイロンをかけている。
のどかな夏の日。
ときどき爽やかな緑の風が吹き抜ける。
レイとジョージは、大きなたらいいっぱいにはった水をかけあっていた。
はしゃぐ声があたりに響く。
突然、弟のジョージが、たらいによじのぼり、中に入ろうとした。
ドボン!
ジョージはたらいに落ちる。
手足をバタバタとしているので最初は楽しんでいるのかと思った。
やがて溺れていることを知り、レイはなんとかしようと焦る。
でも、何もできない。
5歳の子どもには、ひっぱりあげる力もなかった。
「ママ! ママ!」
大声で叫びながら、リサのもとに走った。
大粒の涙を流しながら、リサは人工呼吸を施したが、ジョージは亡くなった。
弟の死。
激しい後悔は、のちにやってくる。
「あのとき、どうしてすぐに助けてあげられなかったのか…」
その罪の意識は、生涯、レイを苦しめ続けた。
弟の死から、レイの涙が止まらなくなった。
やがてその涙は、どろどろしたやにのようになり、目が開けられなくなっていく。
そうしてレイの瞳は、徐々に光を失っていった。
レイ・チャールズの実の母、リサは、強い女性だった。
7歳になり、完全に視力を失った我が子を憂うることなく、彼をいじめる子どもや偏見を持つ大人がいると、こう言い返した。
「この子は目が見えない、でも馬鹿じゃない! 視力は失っても、心は失ってないのよ!」
レイ自身、徐々に視力がなくなっていったことで、覚悟はしやすかった。
7歳までに見た光のキラメキ、空の色、レコードのジャケットやピアノのツヤを、心に刻んだ。
ただ、盲学校では孤独だった。
目が痛い。
誰かとどうつながっていいのか、わからない。
容赦ないいじめやいたずらに、心が折れそうになった。
そんなときは、弟のことを思い出した。
「ジョージの苦しみに比べれば、なんてことはない。ボクは、ボクから逃れられないなら、せめて、この自分という人間を愛してあげよう。他の誰も愛してくれなくても」
いま、自分がやれることを精一杯やろう。
手を抜くと、自分のことが嫌いになる。
ときに自分を甘やかし、大切なひとに迷惑をかけたこともあった。
でもレイ・チャールズは、最後まで自分から目をそらさなかった。
そうして彼は、音楽でひとの心に光を紡いだ。
【ON AIR LIST】
I CAN'T STOP LOVING YOU (Live) / Ray Charles
HALLELUJAH I LOVE HER SO (Live) / Ray Charles
DROWN IN MY OWN TEARS / Ray Charles
LET THE GOOD TIMES ROLL (Live) / Ray Charles
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