第六十九話弱点を武器に変える
もし彼が小津監督に出会うことがなかったら、名優・笠智衆は存在しなかったと言われています。
熊本弁は、終生治らず、彼のデビューを遅らせる要因になりました。
派手な演技で大衆をわかせることもありませんでした。
史上最高の大根役者とまで言われました。
ほぼ10年間に渡る松竹での大部屋ぐらし。
口下手で、アピールするのが苦手。
でも、笠智衆は、唯一無二の役者になり、映画史に刻まれる名演技で記憶に残る存在になりました。
小津作品以外にも、黒澤明、木下恵介、岡本喜八、山田洋次など、巨匠と呼ばれる映画監督から熱烈なラブコールを受け、出演しました。
朴訥(ぼくとつ)であること、熊本弁が抜けないこと、ある意味、弱点とも思える特質を、全て武器に変えたことにいちばん驚いているのは、笠智衆、本人かもしれません。
随筆家の山本夏彦は、こんなコラムを書いています。
「笠智衆がゆっくり語るというが、あれはゆっくりの「ほど」を越えている。笠は朴訥を売り物にして、人格者好きの女の見物をとりこにした。役者に修身の権化を求めるのは戦前にはなかったことだ」。
そんな揶揄(やゆ)も、時間が払拭します。
今もまだ、彼の演技の深みには誰もが共感し、驚愕します。
そんな名優・笠智衆が、人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
俳優、笠智衆は、1904年、熊本県玉名市に生まれた。
生家は、浄土真宗のお寺。父は住職だった。
5つ上に兄がいたが、気性が荒く、父と喧嘩ばかりしていた。
なんとなく、寺を継ぐなら自分なんだろうと思っていた。
でも、信心が足りない自分を知っていたので、住職になる適性はないと判断した。
「とにかく、住職以外なら、どんな職業でもかまわない」
そう思った。
地元の旧制中学を卒業すると、大学進学を理由に、熊本を出た。
東洋大学のインド哲学科に入学。
入ったはいいが、授業はサボり続けた。
学校というものがそもそも気性に合わない。
みんなで学ぶという雰囲気が辛かった。
熊本時代からの友人と早稲田界隈に部屋を借り、毎日、だらだらと過ごす。
ある日、友人が、新聞広告を笠に見せた。
「松竹キネマ・俳優研究生募集とある、おまえ、これ、受けてみんか?」
笠は、即座に答えた。
「俳優なんて、馬鹿なこつ」
友人は畳みかけるように続ける。
「ぬしは、坊さん以外なら何になってもよかと言うたじゃろうが。どうせ落ちるんじゃ、社会勉強のつもりで行ってみれ。それに、笠もなかなかええ男だし」
笠は、その言葉に背中を押され、受験する。結果は合格。
こうして、俳優・笠智衆の試練の日々が始まった。
偶然を必然に変える力、ひとはそれを奇跡という。
でも、奇跡ではない。
それは、血のにじむような努力が裏打ちしているのである。
大正13年、松竹・蒲田撮影所の所長に就任した城戸四郎(きどしろう)は、映画会社自らの手で役者を育てるという強い思いから、俳優研究所を創設した。
その一期生、笠智衆は、学校嫌いにも関わらず、研究所に足しげく通った。
撮影所に出入りする役者の変わったいでたちが刺激的だった。
ただ、座学は面白くなかった。
講師が教壇に立ち、拳を突き上げて、こんなふうに言う。
「ここに幸福がある。これが幸福だ。さあみんな、嬉しい顔をしてみろ!」
わけがわからない。
それがいったい何のたしになるのか、理解できなかった。
研究所に慣れた頃、父親の訃報を受け取る。享年、61。
ふるさと熊本に帰った。
このまま、自分は寺の住職になるしかないのかな、そう考えた。
でも、蒲田の撮影所に戻りたい。
別に心からなりたいと思ったわけでもないのに、俳優への未練が沸き上がってきた。
結局、兄に住職を押し付け、自分は東京に戻った。
出席日数は足らなかったはずなのに、笠は卒業生に名を連ねていた。
そうして彼は晴れて、松竹・蒲田撮影所の正式社員に採用された。
俳優になったとはいえ、笠智衆は、大部屋に所属した。
大部屋とは、いわゆるエキストラ的な役回りや、その他大勢の役者の集団。
毎日、その日の撮影の予定表を見て、指定された現場に行く、その日暮らしの名のない俳優だった。
しかも給金は安かった。
笠智衆は、大部屋を辞める決意をする。
結婚して所帯を持ったからだ。
やがて子供も生まれ、毎月の給金の大切さを知る。
基本は九州男子。男は家族を養っていかねばならない。
笠は、役者を辞めて、再び熊本に帰り、真綿づくりの仕事に従事する。
せっかく叔父さんに紹介してもらった仕事だったが、所詮、武士の商法。うまくいかない。
しかも、離れれば離れるほど、役者への想いが膨らむ。
またしても、蒲田に舞い戻った。
ただ、この転職が、笠に覚悟をもたらした。
「もう迷わない。オレは、役者で一生やっていく!」
小津安二郎監督に見いだされたが、今度は熊本弁が抜けない。
周囲から、方言が抜けないのは、耳が悪いからだと怒られる。
どんなに治そうと思っても、治らない。
小津も笠にダメだしを続けた。出演する誰よりも厳しくやり直し。
NGの王様と言われた。それでも、小津は笠を使い続けた。
もしかしたら、小津も自らの不器用さを、笠に重ね合わせていたのかもしれない。
笠智衆は、小津にくらいついた。彼の覚悟が、弱点を不思議な味に変えていった。
へこたれても、何度もはいあがる覚悟。それこそが弱みを強みに変えることに、笠は気づいた。
俳優、笠智衆は、そうして映画史に残る名演技を刻んだ。
【ON AIR LIST】
懐かしき恋人の歌 / Dan Fogelberg
ニューヨークの夢 / The Pogues & Kirsty MacColl
Wonderful Christmastime / 羊毛とおはな
Hallelujah / Leonard Cohen
閉じる