第百三十話自信は成功の鍵
太平洋戦争終結後、松江市の63連隊にいたイギリス人兵士・ジョージと日本女性はる子の、禁断の恋を描きました。
これは実際にあった出来事がモチーフになったと言われています。
父親にかくまわれるように暮らした八重山。
そこには、岸壁にへばりつくように建てられた神社があり、松江藩ゆかりの牛馬の守護神がまつられています。
その地で、ジョージは炭焼きを始めます。
小説の中の一節。
『最初の仕事場は、あの、牛の神さまと言うて諸国のお人に知られています、八重山神社の裏手を廻った奥山でございました』
宇野千代は、イギリス人兵士と日本女性の道行きを、おそらく新聞記事で読み、創作心をくすぐられたのでしょう。
何度も何度も、島根に足を運びます。
シーンと静まり返った山の奥深く。遠く聴こえてくるのは、滝の音だけ。
人里離れたこの場所で、世間から身を隠し、彼らは何を想い、どんな日常を過ごしたのか。
宇野の五感は解き放たれ、人物が動き出します。
彼女は常に「頭で考えるだけのことは、何もしないのと同じことである」と語っていました。
行動することが、生きること。
小説も、まずは現場に赴き、その場に自分を置くことで創造の羽を拡げる。
彼女は行動することで小説を書き、小説を書くために行動しました。
まずは動くこと。そして驚き、不思議に思い、知りたいと思うこと。
動いてする失敗は、財産になる。自信につながる。
作家・宇野千代が、その生涯で見つけた人生のyes!とは?
作家・宇野千代は、1897年、明治30年。山口県に生まれた。
実家は造り酒屋。大金持ちだった。
しかし、父親が道楽者。博打をうって金を使い、仕事にはつかなかった。
千代が2歳になるかならないかの頃、母親が亡くなる。
父親は若い娘と再婚。物心ついたときに自分を抱いてくれた継母を、千代は自分の本当の母親だと思って育った。
父親は、暴力をふるった。家の中では絶対的な権力を持つ。
怖かった。逆らえば容赦なく平手打ち。でも、継母は優しかった。
再婚後、四男一女をもうけるが、実子でない千代をむしろ可愛がった。
いちばん美味しいものを与える。いちばん最初に風呂に入れる。
この母の優しさに応えようと、千代は子守りを頑張った。
彼女の小さな背中にはいつも赤ん坊が背負われていた。
のちに千代はこう振り返った。
『5人のきょうだいを一人一人おんぶしてはお守をした。あ、温いな、と思うと、背中がぬうっとあったかくなって、またぺたっと冷たくなる。考えてみると私の小さい背中は、おしっこの乾く間がなかった。おかしなことだけれど私は自分のことを、小さいお母さんになったような心持でいる』
千代が14歳のとき、父の命令で、従弟の藤村亮一と結婚させられることになる。
嫌だった。そもそも結婚とは何かがわからない。
10日で逃げて帰った。父に激怒されたが、継母は胸に抱いてくれた。
「だいじょうぶよ、だいじょうぶよ」背中をさすってくれた。
千代は母の声を、生涯忘れなかった。
宇野千代が16歳のとき、厳格だった父が亡くなる。
哀しさと共に、解き放たれたような思い。文学にのめりこんだ。
もともと本を読むのが好きだった。空想癖もあり、小説を書き始める。
女学校を出て代用教員になるが、同僚の教師と恋愛事件を起こし、退職。逃げるように韓国に渡る。
帰国後、従弟の藤村亮一の弟・忠と恋仲になり、京都、東京と同棲暮らしが続く。
東京・本郷の洋食店で給仕のアルバイトをしているとき、さまざまな文豪たちに出会った。
特に芥川龍之介との出会いは、彼女の創作意欲をさらにかきたてた。
「なに、キミは、小説を書いているのかい?」
「はい。今度読んでください」
「はは、ボクはね、素人の作品は読まないことにしているんだよ」
「読んで損はさせません」
「はは、面白いことを言うじゃないか」
「芥川先生だって、昔は素人でいらしたでしょ?」
「いや、あのね、ひとつだけ教えておいてやろう。素人は永遠に素人なんだ。ひとの心に届く言葉を持っているやつは、最初から決まっているんだよ」
「最初から決まっているなんて、おかしい。私は努力して文章を磨きます。きっと先生をあっと言わせてみせます」
芥川龍之介は、美しく勝気なこの娘のことを『葱』という短編で描くほど、気に入った。
大正10年。宇野千代24歳のとき、書いた短編が懸賞で一等をとった。
宇野千代は、恋愛を繰り返し、書いた。
自らの心の声に従い、行動し、傷つき、それも小説の題材にした。
40半ばを過ぎようとしていたころ、書くことの壁にぶちあたる。
「ドストエフスキーのような傑作が書きたい。でも、まだまだ遠い。どうすればいいのか…」。
そんなとき、浄瑠璃の取材で徳島県である人形師に出会う。
天狗久、吉岡久吉。
10代に弟子入りしてから60年以上、人形を彫っている。
埃が舞い上がる店先の、板敷きの上。黙々とノミをいれる。
宇野千代は、その天狗屋久吉が座る座布団を見て、体が震えた。
ボロボロだった。擦り切れ、繕い、また擦り切れて、繕ったあと。何十年も休まずそこに座り続けた主の姿が見えた。
「ああ、私はまだまだ甘い」そう感じた。
休まないこと。手を動かし続けるということ。日々の見えない努力でしか、たどり着けない頂がある。
天狗屋久吉は、ひとことも語らず、その背中で教えてくれた。
人間は自分がやったことでしか、自信をつけられない。
でも、だからこそ、努力の先に勝ち取った自信は、必ず成功の鍵になる。
この後、宇野千代は、傑作『おはん』を世に出した。
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