第二百四話優しさと哀しさで人生を生きる
宵待草の やるせなさ
今宵は月も でぬさうな』
この有名な詩『宵待草』を書いたのは、明治末期から大正時代にかけて、独特の女性画で異彩を放った叙情画家、竹久夢二です。
千葉県の銚子にある海鹿島海岸には、この詩の一節と夢二の文学碑がひっそりと建っています。
夢二は、この海岸で恋に落ちました。
彼女との悲恋を、夕方になって可憐に咲く宵待草に重ね合わせたのです。
夏の海岸も、陽が落ちるとぱったり人影がなくなります。
そんな夕闇の中、黄色い小さな花をけなげに開く、宵待草。
夢二の心は、彼女を想う気持ちであふれます。
彼の詩に曲がつき、大正時代の流行歌として多くのひとに歌い継がれました。
たったひと夏の恋が、永遠という時間を手に入れたのです。
竹久夢二は、恋多き男、というイメージがありますが、実は一途で傷つきやすく、恋で感じた優しさと哀しさを創作の礎にしました。
「僕は、あのねえ、くれぐれも勘違いしてほしくないんだが、自分が優しいから優しい絵を画くんじゃないんです。
ひとに、優しくされたいんです。ただ、それだけなんです。
でも、自分が思うほど、ひとはそうはしてくれない。
だから、哀しい。すごく、哀しい。その哀しさを絵に込めるんです。
そうすると、絵は、途端に生き生きとしていきます。
そうです、僕は、優しさと哀しさで絵を画いているんです」
美人画を画き続け、大正の浮世絵師ともよばれた竹久夢二が、49年の人生でつかんだ明日へのyes!とは?
竹久夢二は、1884年9月16日、岡山県に生まれた。
家は代々酒造業を営む商家。
夢二は、のちにこう記した。
『いざよいの晩、私は泣きながら生まれた。その時、みんなは笑った。死ぬ時には、私 笑ってゐたいとおもふ。そして、みんなを泣かせてやりたい』
目の前には、瀬戸内の穏やかな海。
その水面でキラキラ輝く、陽の光。
家の裏には、鬱蒼と茂った竹やぶがあり、深い草の匂いがした。
平屋の日本家屋。
子ども部屋からは、通りをいくひとが見えた。旅芸人、薬売りに、お遍路さん。
夢二は飽きる事なく、風景を、ひとを、つぶらな瞳で見続けた。
格子窓からやってくる風に、心躍らせながら。
「この窓の向こうには、いったいどんな世界が拡がっているんだろう」
両親は商売に忙しい。かまってもらえない。
夢二は親の気をひこうと、絵を画いた。
たまたま画いたいたずらがきを、たいそう褒められたから。
海を画く。ひとを画く。山を、花を画いた。
できあがった絵を見せにいっても、「ああ、向こうにいっていなさい」とたしなめられる。
利発な夢二は、幼くして悟った。
「そうか、ボクが思うほど、みんながボクを思うわけじゃないんだな」
大正ロマンの美人画で有名な竹久夢二は、学業に優れ、数え年16歳で神戸の中学に入る。
夢二は、神戸が気に入った。
異国情緒あふれる街並み。行き交う外国人。
スケッチをする。
異国のひとが寄ってくる。
「へえ、キミ、うまいじゃないか」
そんなふうに笑顔を返してくれた。うれしかった。
いつか、この港から外国へ行く船に乗りたい。
そう、心に刻んだ。
しかし…実家の家業が傾く。
先祖伝来の土地家屋を売り払い、仕方なく、九州に引っ越すことになった。
せっかく入った中学も、わずか8ヶ月で中退。
福岡の製鉄所で働くことになった。
このまま自分は、ここで我慢して生きていくのか…。
そう思うと、せつなさに眠れない夜を過ごした。
18歳の夏。家出する。
どんなに苦しくても、前に進む苦しさを選ぶ。そう、決めた。
つてを頼り、東京で暮らす。
親も諦め、わずかばかりの仕送りをくれた。
懸賞金を稼ぐため、絵や文章を雑誌に応募する。
いくつかは採用されて、生活費にあてた。
早稲田に入り、勉強も再開。
挿絵などが認められ、世に出るきっかけを得る。
「そうか、僕にはどうやら才能があるらしい」
初めて、自分を自分で認めた。
竹久夢二は、運命的な出会いをする。
早稲田鶴巻町で、ふと立ち寄った絵ハガキの店。その店主こそ、のちに結婚する、岸たまきだった。
たまきは夫を亡くし、二人の子どもを故郷 富山に残してきた未亡人だった。
店に通ううちに、優しさと哀しさがシンクロした。
「僕は、その、絵を画いているんです」
夢二が言うと、
「なんとなく、そうではないかと思っていました」
たまきは言った。
夢二は、ひとの弱さに敏感だった。
哀しさを愛した。
自分に何かひとより秀でたものがあるとすれば、それしかないと思っていた。
たまきは、初めて自分の頭を撫でてくれた。
「あなたには才能があります。どうぞ、頑張ってお励みください」
彼女には言わなかったが、涙が出るほどうれしかった。
生まれてから今日まで、いちばん欲しかった言葉だった。
人間は、みんな優しい。
でも、弱い。
だから裏切ったり、嘘をついたりする。
それが、哀しい。
夢二は、それを絵にした。
ほんとうは、父に、母に、褒めてもらいたかった。
【ON AIR LIST】
宵待草 / 高峰三枝子
THE VERY THOUGHT OF YOU / Natalie Cole
おしゃれ娘 / 淡谷のり子
LOVE ME TENDER / Elvis Presley
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