第三百三十七話決して後ろを振り返らない
加藤和彦(かとう・かずひこ)。
始まりは、1960年代後半に加藤が結成したフォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズ。
京都の龍谷大学在学中、雑誌『MEN'S CLUB』に、加藤がこんな投稿をしてメンバーが集まりました。
「フォーク・コーラスを作ろう。当方、バンジョーと12弦ギター有。フォークの好きな方連絡待つ。」
真っ先に自転車で駆け付けたのが、当時、京都府立医科大学の学生だった北山修(きたやま・おさむ)でした。
ザ・フォーク・クルセダーズは、解散記念に北山が親から借金をしてアルバムをつくりました。
その中の一曲が、まさかの大ヒット。
それが、世間をあっと驚かせた『帰って来たヨッパライ』です。
この曲ですでに加藤和彦は、今まで聴いたことのない音楽への挑戦を試みるのです。
自分の声をテープに吹き込んで早回し、北山の語りも取り入れ、斬新なアレンジをほどこす。
ザ・フォーク・クルセダーズ解散後も、加藤は、常に新しい音楽を追い続けます。
『あの素晴しい愛をもう一度』という、音楽の教科書に載る名曲をつくったかと思うと、サディスティック・ミカ・バンドを結成し、『タイムマシンにおねがい』をヒットさせ、ロンドンポップ、グラム・ロック、レゲエなど、あらゆるジャンルを導入したサウンドを構築。
作曲家としてヒット曲を連発し、その活動は世界にもとどろき、映画音楽、スーパー歌舞伎など、多岐にわたっていったのです。
加藤が亡くなる前の貴重なインタビューをもとに編集された、松木直也(まつき・なおや)著『加藤和彦 ラスト・メッセージ』という評伝は、彼の人生が世の中の流行と共にあり、あるときは、彼自ら流行を牽引したことが、精緻な文体で語られています。
加藤の流儀は、ただひとつ。
「後ろは振り返らない」
同じことを繰り返すのを、極端に嫌いました。
新しい、まだ歩いたことのない豊潤な大地に出会うために、前へ前へと進んでいったのです。
唯一無二のアーティスト・加藤和彦が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
作曲家で音楽プロデューサーの加藤和彦は、1947年3月21日、京都市伏見区に生まれた。
父は京都に本社がある、創業1700年の老舗会社のサラリーマン。
母は、生粋の京都人だった。
京都に実家を置いたまま、父の転勤で各地を転々とする。
逗子、鎌倉、日本橋。
住む場所が変わり、転校を繰り返した加藤に、友だちはできなかった。
しかも、ひとりっ子。
自分で自分の時間を埋めるしかない。
彼は、京都に暮らす祖父に会うのが楽しみだった。
祖父は、仏像の彫刻家。
三十三間堂の仏像も修復した名人。
祖父が仏像を彫るのを、傍らで見るのが好きだった。
しなやかで繊細な手つきと、真剣なまなざし。
子ども心に、「なにかすごいことをしている」のがわかった。
そこに妥協はない。
一度、間違ってノミを入れてしまえば、取り返しはつかない。
今、目の前にある木に対峙する。
過去でも未来でもなく、今、ノミを入れる瞬間だけに魂を込める。
のちに加藤は、アーティスト、という言葉を聞くと、必ず祖父の横顔を思い出して、居住まいを正した。
凛とした空気の中、木の香りとノミの音に包まれた世界。
祖父の傍らにいる時間は、たくさんのことを教えてくれた。
日本の音楽シーンを牽引した作曲家・加藤和彦は、小学生時代を鎌倉で過ごす。
終戦から10年あまりの鎌倉には、まだ英語の道路標識が残り、ときおり進駐軍のジープが走っていて、進駐軍払下げの品物がマーケットで売られていた。
ひとりっ子で友だちもいない加藤は、自転車に乗り、ひとりでそのマーケットに立ち寄る。
ある青年に出会った。彼はジーンズを売っていた。
何度も通う加藤を可愛がってくれる。
ラッキーストライクを吸いながら、ファッションについて教えてくれた。
「いいか、リーバイスのジーンズは、裾をこうやって折らなきゃいけない。新品はダメだから、タワシでゴシゴシこするんだ。洗濯しないでずっとはいて体になじませる、それからやっと洗えばいい」
レコードから流れる、ジャズやアメリカンロック。
加藤にとって、そこは、もうひとつの「学校」だった。
父も母も映画が好きで、よく映画館に行った。
母は読書も好きで、イギリスのミステリーにはまり、朝ご飯はパンにスクランブルエッグ。
紅茶を飲んだ。
純日本の京都と、欧米の香りがする鎌倉。
この二つを行き来しながら、吸収していった。
加藤和彦が、中学、高校と進む間に、最も興味を持ったのはファッションだった。
雑誌『MEN'S CLUB』を愛読。
少年の頃の、鎌倉でのアメリカ体験が生きていた。
洗いざらしのボタンダウンのシャツにVANのジャケット。
アイビー・ファッションにはまる。
ファッションの先に、まるでおまけのようにアメリカン・フォークがあった。
ボブ・ディランを聴いて、心にズシンと響く。
それは音楽的な感動というより、ボブ・ディランがまとう、ボヘミアンな空気感だった。
漠然と、サラリーマンにはならない、なりたくないと思っていた。
心のどこかにずっとあったのは、祖父の横顔。
ひとつのものを自分の手で作り上げていく工程を見ていた時間。
大学は、京都に行こう。
仏を彫っていた祖父に近づくため、龍谷大学を選んだ。
大学が決まったとき、12弦ギターとバンジョーを買った。
ずっと友だちがいなかったので、誰かと関わりたいと思うようになり、大好きな雑誌に投稿した。
「フォーク・コーラスを作ろう」
加藤和彦は、幼い頃から孤独と暮らしてきた。
孤独から逃げなかったので、心の引き出しにたくさんの宝物が増えていった。
その宝物をたずさえて、彼は旅に出かけた。
二度とかつての岸には戻らない、唯一無二のアーティストという船に乗って。
【ON AIR LIST】
帰って来たヨッパライ / ザ・フォーク・クルセダーズ
悲しくてやりきれない / ザ・フォーク・クルセダーズ
あの素晴しい愛をもう一度 / 加藤和彦と北山修
タイムマシンにおねがい / サディスティック・ミカ・バンド
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