第二百六十五話10年先を考える
大原孫三郎(おおはら・まごさぶろう)。
もともと父が倉敷の大地主だったこともあり、その財力をもとに教育、医療、福祉など、さまざまな分野で次世代につなぐ功績を残した孫三郎ですが、彼が今わの際で最も気に病んだのは、大原美術館のことでした。
1940年代、時代は軍国化を極め、西洋の絵画を観にくるひとなど、ほとんどいなかったのです。
それでも彼は、倉敷の地に、世界に負けない美術館を作り、守り続けることをやめませんでした。
「わしの眼は、10年先が見える」
というのが口癖だった孫三郎。
「おそらく10年後も、この美術館には、ひとがそれほど来ないだろう。だがなあ、ここを閉じてはいけない。文化の窓を閉じたら、心が死ぬ」。
戦後を待たずして、彼は62年の生涯を閉じますが、言葉通り、大原美術館の客足はいっこうに増えませんでした。
しかし、奇跡は起こるのです。
昭和7年、満州事変のために来日したリットン調査団の団員たちは、大原美術館を訪れ、そこに展示してあった名画に驚愕します。
「エル・グレコが、まさか、ここにあるとは…」
自国に戻った調査団は、すぐに報告書をまとめました。
「ニッポンの地方都市、クラシキに爆撃してはいけない。あそこには、世界的な美術品がある」
おかげで、倉敷の街は爆撃目標からはずされたと言われています。
また、孫三郎は、倉敷の地に軍隊の師団設営を拒否。
当時としては命を落としかねない一大決心でした。
「わしの眼が黒いうちは、倉敷に軍隊を置かない!」
連帯配置を免れたことも、倉敷の戦火が最小限で済んだ理由のひとつにあげられています。
常に先を見て、目の前のひとの幸せを守る。
明治・大正・昭和を駆け抜けた風雲児、大原孫三郎が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
実業家・大原孫三郎は、1880年7月28日、岡山県倉敷市に生まれた。
大原家は、もともと庄屋をつとめた豪農。大地主だった。
二人の兄が幼くして亡くなり、三男の孫三郎が大原家を継ぐことになる。
わがままし放題。どんないたずらをしても許された。
ただお金持ちであるということが、彼にはよくわからない。
小学生のときのこと。
彼の得意科目は習字と図画工作。
それ以外は、苦手だった。
ある日、教室で、教師が吐き捨てるように言った。
「どうせ、大原は金持ちの子だから、勉強なんかできなくていいだろ」
孫三郎は、カチンときた。
「先生、それどういうことですか? はっきり言ってください」
何も言わない教師にくいさがる。
「言わないなんて、卑怯じゃないですか!」
あとで級友から「おまえは先生に逆らって生意気だ!」といじめられた。
小学校を出て進学。
寮生活を送ったときも、同級生から袋叩きに合う。
「なんだ、その目つきは、生意気だ、金持ちだからっていばるな!」
この世は理不尽。他人とは理解し合えない。
殴られ、蹴られながら、彼はそう思った。
大原美術館をつくった実業家・大原孫三郎は、15歳のとき、東京に出たいと父に言った。
このまま狭い世界にいると、自分が壊れてしまいそうだった。
「孫さま」「若さま」と呼ばれることから逃げたい。
父を説得し、念願の東京暮らし。
しかし、状況は変わらないどころか、ますます悪くなった。
大金持ちの男、というレッテルは消えず、下宿先には絶えず、「知り合い」「友だち」を名乗る男女が押しかけ、食事をたかり、お金を無心した。
まだ見ぬ世界を教えてくれる彼等を、自分にとって必要な友人だと思った。
仕送りだけではどうにもならない。
高利貸しにお金を借りる。
気がつけば借金は、今の金額で数千万円を超えた。
せっかく入った東京専門学校、現在の早稲田大学も中退。
押し寄せる人間不信の波。
ひとが怖くなる。
そこから、最後に救ってくれたのは、義理の兄、12歳上の原邦三郎(はら・くにさぶろう)だった。
「孫さん、ひとを変えるには、自分が変わらなくちゃダメだよ。確かに孫さんはお金持ちだけど、それと人格は別もんだから」
孫三郎が金の工面をお願いしたその夜に、邦三郎は若くして他界。
大原孫三郎は、供養のため、倉敷に戻ることを決意した。
「僕は、生まれ変わる。そして倉敷とともに生きる」
倉敷に戻った孫三郎は、孤独だった。
友人がほしい。それも、親友と呼べるひと。
そんなとき、ある男の講演を聞いた。
岡山孤児院の院長、石井十次(いしい・じゅうじ)。
堂々として揺るぎない。
社会のために全てを投げ打つ覚悟があった。
孫三郎は、気づく。
「僕は人間不信だなどと甘えていた。邦三郎さんが言ったとおり、尊敬できる人間がいないと嘆く前に、自分が尊敬される人間になるべきだ」
さっそく石井のもとに通い、慈善事業や福祉活動を知る。
今、目の前にいるひとを守るには、10年先を見通す力が必要だ。
父の跡を継いだ彼の経営判断。
それは、こうだった。
「10人のうち、5人が賛成するようなことは、たいてい手おくれ。7、8人がいいと言ったら、もうやめた方がいい。2、3人ぐらいがいいという間に、仕事はやるべきものだ」
先を見越す力。
その底辺には、彼が青年期に味わった人間不信があった。
誠の関係は、時のうつろいに負けない。
まだ世に出ていない画家、児島虎次郎(こじま・とらじろう)の才能、人間性に惚れ、援助。友情を築く。
ヨーロッパ留学中に、気に入った絵を買い付けるよう頼んだ。
その絵画は、どれも素晴らしいものばかりだった。
児島が志半ばでこの世を去ったとき、孫三郎は、彼のためにも美術館をつくるべきだと考えた。
まわりからの猛反対をよそに、大原美術館が完成した。
倉敷の美観地区。
その奥に、孫三郎と児島の友情の証が鎮座している。
倉敷を守り続けた男は、最後までひとのあたたかい思いを信じた。
【ON AIR LIST】
聖母の御子(カタロニア民謡、セゴビア編) / 荘村清志(ギター)
OH WHERE OH WHERE IS LOVE? / The Kinks
YOU NEVER KNOW WHO YOUR FRIENDS ARE / Al Kooper
I CAN SEE FOR MILES / The WHO
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