第三百七十九話自分の気持ちに嘘をつかない
市川房枝(いちかわ・ふさえ)。
彼女は、企業からの献金に頼らず、全国の支持者からの献金だけで政治資金をまかないました。
大音量の拡声器による演説を拒み、理想選挙を掲げた上での快挙でした。
惜しくも翌年、議員在職のまま、病でこの世を去りますが、彼女が生涯を賭けた「女性の地位向上のための活動」は、今も引き継がれ、多くの女性たちを励ましています。
全ての始まりは、幼い頃に見た家庭内の光景にあります。
気の短い父が癇癪を起し、母に暴力をふるっている…。
幼い市川は、必死で母をかばう。
「お母ちゃんを、ぶたないで!」
怒りの矛先を見失い、やがて家を飛び出す父。
決まって母は、言いました。
「女に生まれたのが、因果だから…」
家事、育児、出産、介護に、さまざまな労働。
働き続けて一生を終える女性たちが多かった時代でした。
幼いながらに、市川は思いました。
「女性に生まれたことが因果だなんて、おかしい」
理不尽さへの怒りと悲しみが、彼女の原点になったのです。
大正時代初期は、参政権どころか、女性は、政治的な集会に参加、傍聴することすら禁止されていました。
治安警察法第5条です。
1919年、大正8年。
市川は、平塚らいてう(ひらつか・らいちょう)らと、日本で最初の婦人団体、新婦人協会を設立。
治安警察法第5条の改正を求める運動を開始しました。
さまざまな妨害や弾圧にも屈することなく、前に進む市川。
でも、彼女はいつも強く、いつも失敗をしない、完璧な女性だったわけではありません。
笑顔を絶やさない、人間味あふれた、ごくごくフツウの人間でした。
ただ、何かおかしい!と、ひとたび感じると、こう言いました。
「私は、憤慨しとるんですよ!」
自分の心が間違っていると叫べば、間違いだと言い続けたのです。
女性の地位向上のために奔走した政治家・市川房枝が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
女性解放運動に生涯を捧げた政治家・市川房枝は、1893年5月15日、愛知県中島郡明地村、現在の一宮市に生まれた。
この年は、日清戦争の前年にあたり、そして、女性の政治活動を禁止する法律が公布されてから3年後だった。
家は、木曽川沿いの農家。
地主とまではいかないが、食べるものには困らない自作農。
幸せな子ども時代だった。
ただ、父が母を怒るときだけは、つらい。
父は短気で癇癪持ち。
ふだんは優しく子煩悩で、真面目に働いていたが、何かにつけ、母にあたる。
その背景には、農家をやっている自分の境遇に対する恨みつらみがあった。
学問がしたかった。できれば海外に行きたかった。
でも、農家を継ぐはずの兄がいきなり家を出てしまう。
仕方なく継いだ家。
「オレには、もっと違う人生があった…」
そんな思いが、いつも爆発してしまう。
母を殴る父を、房枝は必死でとめる。
房枝が小さな両手を広げれば、父は母への暴力をやめた。
母は母で、自分の無学や教養のなさを恥じていた。
だから、文句ひとつ言わずに働く。
「女だから、仕方ない…」
いばる男と、虐げられた女性。
この構図が世間では当たり前であることに、房枝は違和感と憤りを覚える。
「母のように女性に生まれたことが哀しいなんて、思いたくない」
市川房枝の父は、自分ができなかった学問を、子どもたちには受けさせてあげたいと願った。
それは、息子だけではなく、娘たちに対しても同じだった。
長女はのちに奈良の師範学校に進学、房枝の妹は名古屋の女学校を出てアメリカに渡ることになる。
房枝も、岡崎市の師範学校女子部に入学した。
近所では、笑いものだった。
「女の子に学問なんかさせたって無駄なのに」
そう揶揄された。
それでも父は、娘たちにやりたい学問をやらせた。
まるで自分の人生に復讐するかのように…。
ただ房枝は、尋常小学校のときから、学校が嫌いだった。
野山を駆け回る、おてんば。
授業中も窓の外を見て空想にふけった。
お弁当を持って家を出ても、隣の納屋に隠れ、サボる。
ひとりの時間が好きだった。草木と語らい、本を読む。
サボっているのがバレて、こっぴどく母に叱られる。
父も怒ったが、ぼそっと、こう言った。
「学べるっていうのはなあ、有難いことなんだ」
房枝は不思議な子どもだった。
農家の仕事は、他のどの子どもよりテキパキ手伝う。
水やり、肥やり、ニワトリの世話。
的確で、効率的。
ジャガイモを荷車に積んで、名古屋の料理店までひとりで運んだ。
泥だらけの顔でニコニコ笑う、房枝。
店主は、少女の行動力と笑顔に感動した。
市川房枝の行動力は、両親も驚くほどだった。
14歳で計画したアメリカ行きは叶わなかったが、15歳で上京。
しかし、病魔が彼女を襲う。
実家に戻り、療養。
朝露に濡れると治る、と信じられていたので、あぜ道を転びながら歩いた。
泥だらけになりながら、彼女は思った。
「私は、もう永くは生きられないんだろうか…」
この数か月の体験が、彼女を変えた。
人生は、短い。
人生には、後悔している時間も、自分の心に嘘をついている時間もない。
思ったことは、やってみる。
違うと思ったことには、とことん闘いを挑む。
病を治し、師範学校の女子部に復学。
4年生のとき、名古屋の師範学校に統合される。
そこで、校長の訓辞に違和感を覚えた。
「女子は、良妻賢母となるべきです」
良妻賢母?
それって、夫にとっての良き妻、子どもにとっての良き母でいろってこと?
それだけ?
女性の生き方、幸せは、それだけ?
校長の偉そうな態度に、憤りを覚える。
市川房枝は、仲間を募ってストライキを敢行。
校長に、28箇条の改善要求を突き付けた。
この経験は、市川に、ある手ごたえを与える。
正しいことを正しいと主張すれば、必ず賛同してくれるひとはいる。
自分の憤りから逃げずに、自分の心に正直になれば、必ず道は開ける。
市川房枝は、常にこう言い続けた。
「平和なくして、平等なし。平等なくして、平和なし」
【ON AIR LIST】
NO EXCUSES / Meghan Trainor
RESPECT / Aretha Franklin
FRIDAY / Chris Thile(マンドリン)、Edgar Meyer(コントラバス)
GOOD TIMES~あの空は何を語る / 原 由子
★今回の撮影は、「公益財団法人 市川房枝記念会女性と政治センター」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
施設案内など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
公益財団法人 市川房枝記念会女性と政治センター HP
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