第三百三十三話全身全霊で生きる
中川一政(なかがわ・かずまさ)。
「真鶴町立中川一政美術館」は、現在休館中ですが、2月3日再開予定。
中川が亡くなる2年前につくられました。
豊かな森に抱かれた美術館の立地や設計も彼自身が選び、晩年、好んで画いた薔薇や駒ヶ岳の絵が数多く展示されています。
エネルギーがほとばしり、躍動感あふれるタッチは、多くのひとを魅了し、今もなお、観るひとの心を激しく揺さぶります。
俳優の緒形拳は、中川の絵画だけではなく、書や陶芸にも感動を覚え、「真鶴の巨人」と呼びました。
脚本家の向田邦子も中川の作品を愛し、代表作『あ・うん』の単行本の装丁には、彼の書いた字が印象的に躍っています。
おのれの人生を全てぶつけられるものを探していた中川は、10代の後半に、ゴッホの絵を見て衝撃を受けます。
「いつか、こんな絵を画いてみたい…。一生をかけて画いていけば、いつか画けるようになるかもしれない…」
21歳のとき、独学で描いた『酒倉』という作品が、岸田劉生(きしだ・りゅうせい)の目にとまり、画壇デビューのきっかけになったのです。
彼の創作スタイルは、極めてシンプル。
画材を持って外に出かけ、ひたすら同じモチーフを画き続けるのです。
真鶴の福浦港を、何枚も、何年も描き、晩年気に入った駒ヶ岳は、実に20年以上に渡り、ほぼ毎日描き続けました。
彼が大切にしたのは、「まずくてもいい、生きているか、それが大事だ」ということ。
テクニックに走り、うまく画こうとすると、対象は逃げていく。
キャンバスに命を吹き込むのは、うまさではない。
中川は、こんな言葉を残しています。
「我はでくなり つかはれて踊るなり」
自分はたいした人間ではないと常に謙虚な心でいると、何か大きな力に動かされる自分を感じる。
そのときこそ、命が宿るのだと。
「魂の画家」中川一政が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
日本画壇のレジェンド・中川一政は、1893年、明治26年、東京・本郷で生まれた。
兄がいたが、生まれてすぐ亡くなってしまう。
兄の名は、政一(まさかず)。
今度生まれた男の子には、長生きしてほしいと、字をひっくり返して、一政とした。
父は、金沢出身。
刀剣を扱う鍛冶職人の家系だった。
東京に出て、交番で働く巡査になる。
家の前には、生活用水が流れる溝があった。
近所の銭湯の残り湯も流れてくる。
ある日、幼い一政は、その溝の向こうに手が届くのではないかと思った。
そっと手を伸ばす。届いた。
でも、体はまるで橋のようになって動けない。
戻すことも、向こう岸に行くこともかなわない。
泣いた。近所のひとが助けてくれた。
9歳のとき、その溝にウナギを見つけた。
弟や妹と大騒ぎして、やっとの思いで捕まえる。
意気揚々と家に帰って父に自慢すると、「すぐに溝に放せ!」と怒られる。
その神妙な面持ちのわけは、すぐわかった。
母の命が絶えようとしていた。
枕元に呼ばれる。
母は小さな声で、でもハッキリ言った。
「かたいものになろうぞ」
しっかりした人間になりなさいという最期の言葉だった。
「生命の画家」と称される中川一政は、幼少期、再び肉親の死に直面する。
4つ上の姉。
母の代わりに、炊事洗濯、幼い弟や妹の世話をした。
学校に通いながら、寝る間もない。
やがて体を壊してしまう。
14歳の姉は、医者に「私の病気は治りますか?」と尋ねる。
医者が「ええ、きっと治ります」と言うと、「嘘をいってはいけません」ときっぱり返した。
「ああ、どうしよう」と大声を発したあと、姉は逝ってしまう。
ショックを受けた父は、仕事を辞めてしまった。
「これからは、父さんが全部やるから」
家でできる仕事を試すが、うまくいかない。
貧乏が始まった。
一政は雑誌に俳句や文章を投稿して小銭を稼ぎ、学費のたしにした。
なんとか中学を卒業。
歌を詠み、詩を書き、短編の小説をつむいだ。
でも、何か物足りない。
全てをぶつけるものがほしい。
それが何かはわからないが、いつも脳裏によぎるのは、母が亡くなった日、溝に放ったウナギが勢いよく逃げ去っていった様子と、姉が亡くなる寸前に発した「ああ、どうしよう」という声だった。
そんなあるとき、『白樺』という雑誌を開き、衝撃を受けた。
絵が載っていた。
荒々しい筆遣い。
決してうまいとは思わない。
でも、魂が揺さぶられる。
「なんだ、これは…この絵はいったい、なんだ?」
それが、後期印象派の巨匠・ゴッホとの出会いだった。
真鶴を愛し、薔薇や駒ヶ岳を描き続けた画家・中川一政は、90歳を越したある誕生会の席で、スピーチをうながされ、こう話した。
「とにかく生きているうちは、生きていないといけません」
会場内から、笑いがもれる。
中川は、不思議そうにみんなを見る。
「生きているんだから、生きているのはあたりまえ」
果たして、そうだろうか。
みなさん、ちゃんと生きていますか?
おのれの全生命力をかけて、何かにぶつかっていますか?
中川は、常に自分に問うてきた。
初めてゴッホの絵を見たとき、ゴッホにそう問いかけられたような気がしてから、ずっと。
真鶴に住みながら、毎日、駒ヶ岳の絵を画くため、箱根に通った。
有料道路の料金所の係員にはいつも手土産を持参した。
曇りのときは、クルマの窓を開けて、「ふーふー」と息を吐く。
「先生、何をしているんですか?」と同行したひとが尋ねると、「雲がどっかいってくれないかなって思ってさあ、吹き飛ばしているんだよ」と真剣な表情。
「ああ、悔しいなあ、今日は駒ヶ岳が画けないじゃないか…ああ、悔しいなあ…」
本気で悔しがった。
大切なひとの死を体験した中川にとって、生きるとは、全身全霊で生きるということ。
そこに妥協も迷いもない。
「私は、幸せものですよ、全身でぶつかれるものを見つけましたから」
たとえそのあと身動きができなくなっても、向こう岸に手を伸ばす。
そんな心が、ひとに感動を与える。
【ON AIR LIST】
アレグリアス / サンティアゴ・ドンダイ(歌)
Mama, You've Been On My Mind / ジョージ・ハリスン
Pomegranates / ヴァハグニ(ギター)
生きる。 / クレイジーケンバンド
★今回の撮影は、真鶴町立中川一政美術舘様にご協力いただきました。ありがとうございました。
令和4年2月2日まで展示替えなどの都合で休館しています。
開館時間など、詳しくは公式HPよりご確認ください。
真鶴町立中川一政美術舘
https://nakagawamuseum.jp/
閉じる