第四百話直感を信じる
ジョージ・ガーシュウィン。
1924年2月12日、ニューヨークのエオリアンホールに集まった聴衆は、今まで聴いたことがないような旋律に驚きます。
若干25歳の青年が作曲した、『ラプソディ・イン・ブルー』。
ガーシュウィンは、この作品をわずか2週間で書き上げました。
ボストンに向かう列車の走行音から着想したと言われる楽曲で、彼は一夜にして、富と名声を得るのです。
専門的な音楽学校に通うこともなく、独学でオーケストレーションを学び、ミュージカルや映画音楽だけではなく、クラシックの作曲家として、世界的にその名を知られるようになりました。
さらに自分を高めるため、当時、一世を風靡していたモーリス・ラヴェルに教えを請うたのですが、こう言われます。
「ガーシュウィンさん、あなたはもうすでに一流のガーシュウィンなのだから、今更、二流のラヴェルになる必要はありません」
東欧系のユダヤ人の移民の子として、ブルックリンに生まれた彼は、決して裕福な環境に恵まれたわけではありませんでした。
やんちゃで粗野だった彼の、その人生を変えるきっかけになったのは、6歳の時の直感でした。
場末のゲームセンターから流れてくる音楽を聴いて、思わず立ち止まったとき、ガーシュウィンの音楽人生が始まったのです。
彼は、こんな言葉を残しています。
「人生は、ジャズととてもよく似ている。
直感に従った即興のときほど、全てうまくいく」
アメリカ音楽の新しい扉を開いたレジェンド、ジョージ・ガーシュウィンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
作曲家、ジョージ・ガーシュウィンは、1898年9月26日、ニューヨーク州ブルックリンで生まれた。
父はロシア、母はベラルーシからの移民だった。
父は、靴工場の職人、パン屋、葉巻店、ビリヤード場、さまざまな仕事を始めてはやめ、やめては、また新しく始めた。
そのたびに、一家は引っ越しを繰り返す。
裕福ではなかったが、食べるものに困るほどではなかった。
ユーモア好きな両親のもと、家にはいつも笑い声があふれていた。
ガーシュウィンは、幼い頃から、ニューヨークの街を歩き回るのが大好きだった。
街を行きかう、手押し車や馬車。
露店で売られる果物の香り。
頭上を走る電車の爆音。
喧騒の中を走り回る。
いたずらに喧嘩。
手がつけられない子どもだった。
それは、6歳のときのこと。
当時、一家が住んでいたハーレムの125丁目。
ガーシュウィンが歩いていると、ゲームセンターから音楽が聴こえてきた。
自動ピアノが演奏する、ラグタイムの曲。
音がやむ。
もっと聴くには、5セント硬貨をいれなくてはならない。
急いで家に帰り、お金を持ってくる。
硬貨を入れると、流れて来たのは、アントン・ルビンシュタインの2つのメロディ第1番。
体を雷が通り抜けたように、しびれて、動けない。
穴の開いた紙のロールが溝に沿ってすべり、鍵盤が叩かれるのをじっと見つめる。
機械仕掛けの楽器が、まるで生きているようだった。
「なんて美しい音楽なんだろう…」
その旋律は、少年の心に深く根をおろし、彼はいつまでもメロディの中にいた。
「音楽って…すごい」
演奏がやんでも、ガーシュウィンはその場に立ち尽くした。
ジョージ・ガーシュウィンは、12歳のときにも、不思議な音楽体験をする。
講堂で1学年下のマキシーという生徒の演奏会があると聞いていたが、興味がないのでサボるつもりだった。
こっそり講堂を抜け出しているとき、ヴァイオリンの音が響いてくる。
ドボルザークの『ユーモレスク』。
6年前と同じように、体が動かなくなるほど感動した。
誰のなんという曲か知らなかったが、直感的に、マキシーと友だちになりたいと思う。
その日の夕暮れ。学校の校門でマキシーを待つ。
雨が降ってきた。
雨脚はどんどん強くなり、全身ずぶぬれ。
マキシーは、別の通用口から帰ったようだった。
諦めきれず、彼の住所をたよりに、自宅に行く。
彼は不在だったが、マキシーの家族は、濡れネズミの少年が「マキシーに会いたいんです、ボクは彼のファンです!」というのを聞いて、家に通した。
やがて、帰ってきたマキシーに、ガーシュウィンは、素直に感動を伝えた。
そうして、仲良くなった二人。
マキシーは、クラシックのことを丁寧に教えてくれた。
ガーシュウィンは、兄のために父が買ったピアノを弾くようになる。
兄はすっかり興味をなくしていたので、両親はガーシュウィンの熱心さを、これ幸いと受け入れた。
いつしか彼は、マキシーがヴァイオリンで奏でた曲を自宅で再現できるようになる。
こうして、ガーシュウィンの音楽人生が始まった。
ジョージ・ガーシュウィンの音楽への熱の入れようは、尋常ではなかった。
ただ、彼はピアノ以外のことをやめることはしなかった。
ローラースケートに、路上での野球やバスケットボール。
相変わらず喧嘩をして怪我もする。
学校をサボって街を歩き回ることも続けた。
彼は自分の直感だけを信じた。
ワクワクすることは、全部やる。
あまりの入れ込みように、父もピアノの教師を雇ったが、感覚的に合わないと、すぐに変えてもらうようお願いした。
体が震える瞬間。
全ての思考が停止するほどの感動。
音楽の素晴らしさは、決して頭で理解できるものではない。
そうならば、自分の感じ方を守らないかぎり、いいものを作れないはずだ。
譜面の書き方や基本的な技術は一生懸命学んだが、最後に頼るのは、己の直感だけだった。
ジョージ・ガーシュウィンは、38年の生涯で、舞台音楽を50曲、歌曲を500曲、ミュージカルを50曲、管弦楽曲を7曲、作曲するなど、数多くの作品で聴衆を魅了し続けた。
彼の曲を聴いて、作曲家を目指す少年がいることを想像しながら。
【ON AIR LIST】
ラプソディ・イン・ブルー / ジョージ・ガーシュウィン(作曲)、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団、レナード・バーンスタイン(指揮、ピアノ)
アイ・ガット・リズム(映画『巴里のアメリカ人』) / ジーン・ケリーと子供たち
ストライク・アップ・ザ・バンド / オスカー・ピーターソン(ピアノ)、バーニー・ケッセル(ギター)、レイ・ブラウン(ベース)
サマータイム / エラ・フィッツジェラルド(ヴォーカル)、ルイ・アームストロング(トランペット)、ラッセル・ガルシア・オーケストラ
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