第二百一話55歳から新しい人生を始める
伊能忠敬(いのう・ただたか)。
昨年、没後200年を迎えた伊能は、現在の千葉県香取市佐原で酒造業を中心とした商いで身を立て、地域の発展に大きく貢献しました。
50歳で家督をゆずり、江戸に発ちます。
そこで、天文学、暦学、測量学を学び、55歳のとき、東北に向かい、日本地図の作成を始めるのです。
最初の測量の旅から、実に17年あまりをかけて、史上初めての実測による日本地図を完成させました。
歩いた距離は、およそ地球を一周半。
一回目の測量は、自分の歩幅を40センチに定め、愚直なまでにただ歩いて測るというものでした。
体はボロボロ、精神的にも、いますぐやめてしまいたいという自分の心との闘いの連続でした。
それでも彼は前へ前へ、一歩一歩進んでいったのです。
千葉県香取市には、伊能の足跡を知る「伊能忠敬記念館」や、住んでいた旧宅、銅像などが点在しています。
なぜ、そこまでして、測量に命をかけたのか…。
どうして、55歳になって、もう一度人生を生き直そうと試みたのか。
そこには彼が過ごした、厳しい少年時代の記憶が関係しているのかもしれません。
傾きかけた、伊能家を見事に復活させた商人としての手腕には、彼の人生に対する思いがありました。
「この世に役立つことをしたい。自分が生まれてきた意味を残してから死にたい。」
のちに、彼が偉業をたたえられ、どうして成し遂げられたと思いますか?と尋ねられたとき、こう答えたといいます。
「私は、私がほんとうにやりたかったことをやっただけです」
日本地図を作った男、伊能忠敬が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
日本地図を作った偉人、伊能忠敬は、1745年、上総国山辺郡小関村、現在の山武郡九十九里町に生まれた。
九十九里浜が近く、いつも潮の香りがした。
家は漁業の網元。村の名主を務めていた。
3人兄弟の末っ子。上2人は兄だった。
父は婿養子。
商売より、本を読んだり、何かを研究することが好きなタイプで、肉体労働をしなかった。
7歳のとき、母が亡くなる。
突然、父の立場が危うくなる。
当然自分が継ぐと思っていた家業。
当主から、暗に出ていくよう、言われた。
仕方なく、父は家を出る決断をする。
しかし、上2人の兄は連れて行くが、忠敬には、こう言った。
「おまえは、この家に残りなさい」
「いやだ!ボクも連れていって!」
泣いてすがっても、ダメだった。
理由を聞かされることもなく、たったひとり、捨てられるように置いていかれた。
忠敬は思った。
「そうか、お父さんは、ボクがいらないんだな。ボクなんか、どうだっていいんだな」
日本地図を作った男、伊能忠敬は、幼い頃、大人の醜い争いを襖の影で聞いていた。
家に残りたい父が、土下座をして懇願する。
「どうか、ここに置いてください」
当主は、ろくに働きもしない娘婿を追い出す。
「とっとと出ていけ!」
忠敬は、そんな大人たちの都合で自分の人生が決まる理不尽を感じた。
ひとり家に残された彼の立場は厳しかった。
食事はいちばん最後。
風呂にもめったにいれてもらえない。
朝早くから漁場に駆り出され、冬場はあかぎれで手がはれ上がり、いつも血がにじんでいた。
「なぜ、こんなにつらい目にあうんだろう」
他の子どもたちは、みんな幸せそうに見えた。
この世にいてはならない存在。生まれてきたことが許されない人間。
そう思うしかなかった。
勉強はできた。特に計算が得意で、先生も驚くほどだった。
11歳になったとき、どういう心変わりか、ようやく父が引き取ってくれた。
でも、父は後妻をもらっていて、ここでも微妙な立場。
余計者がやってきたと、後妻は露骨に態度に出した。
こうして、1年も経たぬうちに、忠敬は家を飛び出す。
あてもない放浪生活。
親戚の家に泊まったり、寺に住みこませてもらったりした。
噂で、茨城の土浦のある寺に数学が得意な住職がいると聞く。
握り飯を自分でつくり、歩いて訪ねた。
住職は驚く。
どろどろで、服もボロボロの少年は、いきなりやってきて、こう言った。
「ボクに、数学を教えてください」。
伊能忠敬に数学を教えた住職は、その頭の良さに感服した。
結局、半年間寺に住み、数学を教えてもらった。
数学は、いい。そこには醜い争いも、ひどいいじめもなかった。
あるのは、問題と答えだけ。シンプルで明解。
彼がとらえる人生と真逆の世界だった。
放浪の果て、17歳で、伊能家への婿養子の話が持ち上がる。
彼の学業の優秀さ、人格の確かさには定評があった。
伊能家は、佐原で酒造業を営んでいたが、経営は逼迫していた。
それをなんとか建て直すため、忠敬は、寝る間も惜しんで奔走した。
自分がいることで、誰かの役にたつ。それがただただ、うれしかった。
数学の知識、計算の確かさも武器になる。
農地用水を整備、川の氾濫を無くすための地域開発など、村のためにも尽くした。
気がつけば、地元になくてはならない名主になっていた。
このままいれば、安定した老後が待っている。
でも、忠敬の脳裏をかすめるのは、放浪して関東平野を歩き回っていた少年時代のこと。
苦しくてきつかったが、自由だった。
土地の大きさ、広さを、体で実感できた喜びがあった。
「もう一度、あの少年時代にけりをつけたい」
そんな思いを抱くと、それは膨らみ始め、あふれだした。
55歳で、初めて測量に出かけるとき、彼は家族にこう言った。
「確かめてくるよ、自分が、この世にいていい人間なのか」
【ON AIR LIST】
SO MANY STARS / Sarah Vaughan
THE SAME OLD TEARS ON A NEW BACKGROUND / Stephen Bishop
DAYS ARE NUMBERS (THE TRAVELLER) / Alan Parsons Project
STARTING OVER / John Lennon
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