第二百八十八話ひとに優しく
野村胡堂(のむら・こどう)。
彼の生まれ故郷、岩手県紫波町にある「野村胡堂・あらえびす記念館」には、彼の著作や原稿、蒐集したレコードが数多く展示されています。
記念館の屋根は、岩手県の代表的な建築様式「南部曲がり家」。
丘の上に立つ壮麗な建物の北には、岩手山が悠然とそびえています。
彼の名を一躍有名にした『銭形平次捕物控』は、27年にもわたり書き続けられ、383編もの物語が産み出されました。
なぜ、それほどまでに銭形平次が愛されたのか。
そこには、作者・胡堂の心を投影した平次の優しさがあったのです。
「罪を憎んで、ひとを憎まず」
「行為を罰しても、動機は罰しない」。
平次はわけありの罪びとの多くを、許してしまいます。
反対に、罪を犯していなくても、偽善者や、義に反するものには厳しい。
それがたとえ体制側の役人であっても容赦ありません。
常に庶民の味方でした。
吉田茂や司馬遼太郎など、多くの著名人が、愛読書に『銭形平次捕物控』をあげました。
胡堂が平次を書き始めたのは、49歳のとき。
新聞社に勤めながら、二足の草鞋を履いていました。
この作品でようやく作家だけで食べていけるようになっても、会社を辞めず、結局、退社したのは60歳になってからでした。
生活は質素を貫き、ひとに借金を頼まれれば、決して断らない。
学費が払えず、東京帝国大学を中退せざるをえなかった経験ゆえ、亡くなる直前、一億円を基金に財団を設立、学資援助の奨学金を交付することを目的に掲げました。
「ひとに優しく」。
口に出すのは容易いが、行動に移すのは容易ではないその精神を、生涯守り抜いたのです。
岩手が生んだ稀代の偉人、野村胡堂が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
銭形平次を世に送り出した時代小説家・野村胡堂は、1882年10月15日、岩手県紫波郡彦部村、現在の紫波町に生まれた。
汽車も通っていない、電気もない農村。
父は、村長で、村の顔役だった。
当時では珍しく、読書家、蔵書家で、蔵にたくさんの書物があった。
どこかぼんやりといつも夢を見ているような少年。
それが幼い頃の胡堂だった。
9歳のとき、彼の後の人生を変える、大きな出来事が起こる。
「火事だ!」
夜中、大きな声で目が覚めた。
あたりは、炎で包まれている。
昼間でも見えない家の隅々が、くっきり見える。
父は、「逃げろ!逃げろ!」と言いながら、水をかけていた。
火の手を食い止めることはできない。
やがて、バリバリと納屋が崩れ、母屋も音を立てて沈んだ。
蔵は残ったが、木造部分は全て焼け落ちてしまった。
胡堂少年が、すすで黒くなった顔であたりを見渡すと、驚くほど多くの村人が集まってきてくれていた。
住み込みの奉公人が、泣きながら残り火を消している。
父と母は茫然と立ち尽くし、煙が立ち上る天を仰いだ。
空が、白み始めてきた。
9歳の野村胡堂が、体験した火事。
そのときの一部始終を、彼は脳裏に刻んだ。
49歳で書き始めた『銭形平次捕物控』には、火事の場面が多い。
その臨場感は、読者の心を大いに揺さぶった。
胡堂少年が驚いたのは、焼け落ちた家の再建に関してだった。
村人たちが、毎日やってくる。
自宅の庭にある大切な樹齢何百年もの木を切って、運んでくる。
大工の棟梁は寝る間も惜しんで、屋敷を再現しようと頑張ってくれる。
みんな貧しいはずなのに、家財道具を分けてくれるひと、米や野菜を持ち運んでくれるひと、お金やものを出せないひとは、片付けや子どもたちの世話を買って出た。
子ども心に、胡堂は思う。
「どうしてここまでしてくれるんだろう」
何人かに尋ねると、みんな同じ答え。
「お父さんにねえ、世話になったんだ。お父さんがいなかったら、いま、どうなっていたか…。せめてもの、恩返しなんだよ」
火事の原因は、住み込みの奉公人の煙草の火の不始末だと思われた。
奉公人は、火が消えるのと同時に、姿も消した。
でも、父も母も、いっさい奉公人を悪く言わなかった。
悪く言わないどころか、彼を哀れみ、「可哀そうなことをした」と涙を流した。
そんな両親を見て、胡堂は思った。
「ひとに優しくすることは、とても清々しく、綺麗なことだ」
野村胡堂は、小学校から帰ると、焼け残った蔵に閉じこもり、父の蔵書を読み漁った。
『水滸伝』、『三国志』、『鉄仮面』。
さらに家を建て直してくれる大工のひとりが、昔話を面白おかしく語るのが上手だった。
お話の世界に引き込まれる。
ワクワクした。
想像する世界で遊んでいると、時間を忘れた。
小学校までの道のりは、一里半。
胡堂はぼんやりと物語の世界に心をゆだねる。
そんな姿に、いじめっ子がやってきて、いたずらをした。
胡堂は抵抗することもなく、頭の中に浮かんだ世界を話し始める。
いじめっ子たちは、つい話に聞き入ってしまった。
先がもっと聴きたくなる。
いつの間にか、胡堂はいじめられなくなり、座談の中心にいた。
ラジオもテレビもない時代。
胡堂が語る話に、同級生は釘付けになった。
自分の話に、笑い、興奮する友だちの顔を見て、彼は思った。
「物語は、ひとを幸せにするのかもしれない」。
銭形平次は、決して弱いものを追い詰めない。
どんな罪にも動機がある。
その動機に同情すれば、知らぬふりをして逃がしてやる。
父や母が、奉公人を責めなかったように。
晩年、野村胡堂は、ソニーを創業した井深大(いぶか・まさる)にお金を用立てた。
胡堂の妻と井深の母が同じ日本女子大の同窓生という縁で、父を早くに亡くした井深は、胡堂を父のように慕っていた。
井深を支援する思いで買ったソニーの株。
亡くなる直前それを売り、財団を作った。
持っていたレコードや、時代小説を書くための資料本は、全て東京都や東京大学に寄贈。
胡堂亡きあと、胡堂の妻は、ひとまえで語ることは一切なかったが、ある学生が「財団の奨学金のおかげで無事に大学が卒業できました。ありがとうございました!」と涙ながらに話すのを受けて、こう答えた。
「いいえ、何をおっしゃるんですか、ありがとうを言うのはこちらのほうです。草葉の陰で、野村も喜んでおります」
【ON AIR LIST】
銭形平次 / 舟木一夫
無伴奏チェロ組曲 第1番ト長調BWV.1007 第一楽章 / J.S.バッハ(作曲)、パブロ・カザルス(チェロ)
弦楽四重奏曲 ヘ長調「セレナード」より第二楽章 / ハイドン(作曲)、レナー四重奏団
野ばら / シューベルト(作曲)、エリー・アーメリング(ソプラノ)
閉じる