第五十三話振り返らない
これは、1964年に行われた東京オリンピックで、陸上競技唯一のメダルを獲得した、マラソンランナー円谷幸吉のタイムです。
1964年、昭和39年10月10日から2週間にわたり開催された、第18回夏季オリンピック。
戦後の日本が復興を遂げ、再び世界の舞台に躍り出る象徴的なセレモニーでした。
そんな大会の、終盤。
陸上競技最終日。10月21日、午後1時。
世界のトップランナーたち68人が、東京・代々木の国立競技場を飛び出していきました。
2時間が経過し、やがて再びトラックに戻ってきた選手たち。
先頭は、エチオピアのアベベ。
そして2人目に入ってきたのが、円谷でした。
日本人としては、ダークホース。
マラソンにおいて、日本人でメダルに最も近いのは、君原健二か、寺沢徹だと言われていました。
決して美しいとはいえないフォームで黙々と走る円谷。
彼の後ろから、イギリスのヒートリー選手が近づいてきます。
円谷は振り返らない。ただ前だけを見つめる。
やがて、バックスタンド前で、抜かれてしまう。
抜かれた瞬間、「あっ」という表情を浮かべ、追走するが再び抜き返すことはできなかった。
それでも、銅メダル。快挙だった。
ゴールして、すぐに芝生に倒れる。
両手をつき頭を垂れる。
彼はレース中、一度も後ろを振り返らなかった。
それは父に言われていたからだ。
「どんなことがあっても、後ろを振り返ったりするな!」
27歳でこの世を去った孤高のランナー円谷幸吉が、人生で守り続けた明日へのyesとは?
円谷幸吉、本名・つむらやこうきちは、1940年、福島県の須賀川に生まれた。
幸吉は、父に厳しく育てられた。
父は言った。
「私の眼の黒い間は、私が父であり、子は子です。いくつになろうと私が正しいと信じて教えたことは必ず守らせます」。
幸吉が小学生のとき。運動会の徒競走で先頭を走っていた。
後ろから誰か追いついていないか、ときどき、振り返る。
ああ、来ないと安心して、そのままゴール。
一等賞を喜んでくれると期待して父のもとに駆け寄ると、烈火のごとく、怒られた。
「バカヤロー!男が一度こうと決めて走り出した以上、どんなことがあっても、後ろを振り返るなんてことをするじゃねえ!いいな!」
以来、幸吉は、振り返らない。
たとえそれが、オリンピックの最後の一周であっても。
振り返ったら、負けてしまう戦いがある。
振り返らないとわからない自分もいる。
ただ幸吉は、走った。前だけを見つめて。
1964年の東京オリンピックで銅メダルに輝いたマラソンランナー円谷幸吉は、幼い頃から陸上の才能に恵まれたわけではなかった。
体育の成績は、中くらい。
ただ、目上の人のいいつけを愚直なまでに守る、礼儀正しい子供だった。
高校のとき、陸上部の先生が注目する。
「あれだけ走っているのに、円谷は、汗ひとつかいていない」
走ることが日常になっていった。
コーチのいいつけを守り、最初は飛ばせと言われればそのとおりに走って、周囲を驚かせた。
卒業後、就職しようとしたが、世は鍋底景気。
幸吉は、自衛官になる道を選んだ。
これが彼の人生を分ける大きな選択になる。
訓練を終えたある夕暮どき。
幸吉が自分で考えたメニューでトレーニングをしていると声をかけられた。
5つほど年上の斎藤という先輩士官だった。
「おまえ、なにやってるんだ?」
幸吉は答えた。
「はい。ここには陸上部がないので、自分でトレーニングをしています」
斎藤はこの瞳が綺麗な少年を少し不憫に思い、
「一緒に走るか」とうながした。
「はい!」
喜びを隠そうとしない幸吉の笑顔を斎藤は忘れなかった。
こうして、斎藤と2人のランニングが始まった。
毎日20キロ以上、雨の日も風の日も、2人は休むことなく走り続けた。
幸吉の人生で、走ることが楽しくて仕方なかった唯一のときかもしれない。
自分が自分でいられる場所をやっと見つけた。
こうして2人だけの陸上部ができた。
斎藤は気づいた。
「目標のためなら、どんな無理もいとわないこいつは、もしかしたら、とんでもない場所に上り詰めるかもしれない」
円谷幸吉は、素朴な青年だった。
決められたこと、守るべきことは何がなんでもやりとおした。
腰に持病を抱えて走れなくなっても、諦めない。
治療後、あっという間にもとのタイムに戻してみせた。
オリンピック強化選手として、ニュージーランドに遠征した際、同じマラソン選手の君原健二らがそれなりに異国を楽しんでいるのに、いつも背筋をピンとはる彼の姿があった。
遊びがない。真っすぐ前だけを見つめる。
人生においても、後ろを振り返ったりよそ見をすることはなかった。
1964年、東京オリンピックで銅メダルの快挙。
地元須賀川でのパレードでも、どこか芯から楽しめていない幸吉がいた。
期待される次のオリンピックの重圧。
それをはねのけるためのハードな練習は、腰を悪化させ、アキレス腱断裂という最悪の結果を生んだ。
27歳で自ら命を絶つ。
遺書には、うらみごとも、自戒も、未練もなかった。
『父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。おすし美味しうございました。ブドウ酒 リンゴ美味しうございました』
そう、つづられたあと、
『父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒、お許しください』
と続いた。
感謝と詫びだけの遺書。そこに幸吉の生き方が見える。
振り返ることを知っていたら、この結末はなかったのかもしれない。
ただ、振り返らずに前だけを見たからこそ、たどり着いた場所があった。
人生にはおそらく、振り返るべきときと、振り返っては先に進めないときが、ある。
【ON AIR LIST】
Run, Baby, Run / Sheryl Crow
Running On Empty(孤独なランナー) / Jackson Browne
Straight From The Heart / Bryan Adams
YES-YES-YES / オフコース
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