第三百三話悔しさを忘れない
先月末に公開された映画『HOKUSAI』は、青年期の北斎を柳楽優弥、晩年を田中泯が、それぞれ熱演。
謎に包まれた孤高の絵師の生涯を、スクリーンに焼き付けました。
宮本亞門演出の舞台『画狂人 北斎』も今年再演され、どんなことがあっても、くじけず、筆を置くことのない北斎の姿は、私たちの心に大切な何かを投げかけているようです。
葛飾北斎が、初めて長野県の小布施という町に足を踏み入れたのは、83歳だったと言われています。
当時はもちろん電車もクルマもなく、老体に鞭打って、命からがら遥か彼方を目指した理由。
そこには、彼の絵に対する、決して消えない情熱の証がありました。
その頃、江戸は、天保の大飢饉で混乱を極め、ひとびとは不安にさいなまれていました。
そんなときこそ、娯楽、歌舞伎や音楽が必要であるはずなのに、幕府は、天保の改革と称し、綱紀粛正の名のもとに、文化芸術を贅沢だと弾圧。
浮世絵を描くこともままならない世の中になっていました。
「画きたいものを、自由に画けない」。
それは、北斎にとって「死」を意味していたのです。
小布施で父のあとを継いでいた豪農、高井鴻山(たかい・こうざん)は、まだ三十半ばすぎでしたが、そんな北斎に、自由に絵を画く場を与えました。
「北斎先生、どうか、好きな絵を好きなように描いてください。こんな世の中だからこそ、どんなものにも囚われていない、先生の常識を突き破る絵が必要なんです。」
鴻山の言葉に、北斎は泣きました。
そうして、ふところから筆を取り出し、一心不乱に、砕け散る浪、怒涛図を画いたのです。
おぼろげな視力、ふるえる右手で。
時代が悪いと、ひとは言います。
ですが、それに抗って闘った先人も、確かにいました。
葛飾北斎が今の私たちに教えてくれる、明日へのyes!とは?
レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』に匹敵する、日本人画家とは、そしてその作品とは?
海外のひとたちにそう問うと、こんな答えが返ってくる。
葛飾北斎の『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』。
大胆な構図。
荒れ狂う波に翻弄される小舟は、あたかも儚い人間を写したように見える。
そして、それを静かに見つめる、霊峰・富士山。
1870年代にヨーロッパに渡り、モネやゴッホなど、印象派の画家たちに多大な影響を与えた作品。
この絵を画いたとき、北斎はすでに72歳を迎えていた。
圧倒的な絵は、誰が見てもいい、感動を与える。
絵の完成から190年経った今でも、迫りくる波は、人々の心をつかんで離さない。
それでも、北斎は納得しなかった。
「まだだ、俺の目指す絵は、まだ先にある」。
北斎の若き弟子が、絵が少しも上達しないのを嘆いていた。
それを聞いた北斎の娘、お栄は、こう言った。
「あれを見てごらんよ、ほら、私の父の姿を」
弟子が絵描き場の隅に目をやると、天下の北斎が、軒先の猫を描こうと悪戦苦闘し、ついには、床に額を打ち付けて泣いていた。
「ああ、俺はダメだ、ダメだ、ダメだ! たった一匹、猫も満足に画けやしねえ! ああ、ああ、俺は情けねえ! どうしようもねえ絵師だ!!」
70を越えてもなお、北斎は、己に腹を立てていた。
「お栄、俺は悔しいよ、画けねえことが悔しいよ」
弟子は口をつぐみ、再び筆を取り、真っ白な紙に向き合った。
江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の青年期は、度重なる屈辱に満ちていた。
幼い頃から、絵が好きで好きで仕方がない。
親は商人か職人になることを望んだが、絵師になること以外、考えられなかった。
ようやく、人気浮世絵師の勝川春章(かつかわ・しゅんしょう)に弟子入りすることができた。
喜んだのもつかの間、言いつけられた仕事は、雑巾がけに炊事。
おまけに先輩の弟子たちにいじめられる。
北斎は弟子の誰よりも絵がうまかったので、先輩に目をつけられた。
理不尽に殴られ、叩かれ、絵筆を持たせてもらえない。
それでも北斎は信じていた。
「もし、正しいものが、真面目に頑張っているものが、そして、まことに才のあるものが日の目をみない世の中ならば、こっちからおさらばしてやる」
先輩にくってかかる。
先輩の絵のひどさを徹底的にこき下ろす。
悔しかった。どうして自分の才能を認めてくれないんだ、哀しかった。
使い走りの帰り道、春陽(しゅんよう)という先輩に呼び止められた。
彼は唯一、北斎を攻撃しなかった。
「なあ、おめえ、男は、可愛がられねえと上にあがれねえ。おべんちゃらなんぞ言うことはねえが、年上の兄さんたちをあそこまで追い詰めちゃあいけねえ。悔しさをぐっとこらえて笑うんだ。笑っちまいな。おめえは、世の中、変えるかもしんねえ。無駄な喧嘩はするんじゃねえぞ」
それ以来、北斎は口答えをしなくなった。
目の前で自分の絵を破られても、必死にこらえた。
春陽の言葉を思い出して。
「おめえは、世の中、変えるかもしんねえ」
83歳の葛飾北斎は、江戸を出て、長野の小布施に向かっていた。
杖をつき、風雨に耐え、一歩一歩、山道を歩いた。
時に足をとられ、空腹に気を失いかけながら。
すでに世間的な成功は手に入れていた。
誰からも「先生」と崇められる存在。
でも北斎には、そんなことに興味はなかった。
「いかに、いい絵を画くか」
それ以外、心を砕くことはない。
道中、思い出すのは、青年時代の悔しい思い出。
生涯の師匠を持たず、一貫した流派に属さず、ただひたすら、転がる石のように生きてきた。
修業時代、唯一、信頼した春陽という先輩に尋ねられた。
「おめえは、何を画きてえんだ?」
若き北斎は、しばらく考えて言った。
「俺は…目に見えないものが画きたい」
春陽は、それを聞いて笑った。
「こいつはいいや、目に見えねえものを画くか、はははは、こいつはいいや、おめえは、浮世絵師なんてやめちまえ。旅に出ろ、旅に出て、世界を見ろ、見れば見るほど、見えねえもんが見えてくる」
見たものをそのまま写すのは嫌だった。
風景の、その向こうに見えるもの。
人物の、奥深く眠るもの。
そこに辿り着くことができれば、その絵は、きっと永遠を手に入れる。
小布施に辿り着いたとき、葛飾北斎は、迷わず絵筆をとった。
永遠に向かって。
【ON AIR LIST】
CRAZY / Seal
(I CAN'T GET NO) SATISFACTION / The Rolling Stones
I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FOR / U2
★今回は、曹洞宗梅洞山 岩松院、髙井鴻山記念館にご協力いただきました。ありがとうございました。
閉じる