第三百一話自分にyes!と言い続ける
昨年、生誕80年、没後40年を迎え、展覧会やイベントが数多く企画されました。
その流れは今年も続き、彼のファースト・ソロ・アルバム『ジョンの魂』が発売から50周年になることを記念して、初のマルチ・フォーマットでリリースされるなど、今もなお、ジョン・レノンは私たちの傍らにいます。
昨年出版された、藤本国彦 著『ジョン・レノン伝』は、日本人による初めての本格評伝として話題になりました。
その本の帯には、こう記されています。
―「ジョン・レノン現象」は続いている―
マスコミの至る所で叫ばれる「SDGs」のほとんども、いち早くジョンが唱えていました。
ジョンが、日本の軽井沢で過ごした時間こそ、「おうちじかん」の先駆けだったのかもしれません。
そして何より、今こそ注目すべきが、yes!のひとこと。
まわりのひとやモノ、社会や他人の言動に、「NO」と声高に言う声ばかりが目立つ昨今。
自分にyes!と言い、他人にyes!と言わなくては、先に進めない世の中になってきたような気がします。
ジョン・レノンが、後に伴侶となるオノ・ヨーコの個展を初めて訪れたとき、彼の精神状態は決してよくありませんでした。
世界的な名声を手に入れたビートルズ。
誰もがうらやむ富を得ても、ツアーに次ぐツアーで、彼の心は疲弊していたのです。
まるで富むことだけを目標に置いた資本主義の権化のように。
ニューヨークの個展会場。
黒髪の日本人の女性は、まず、ジョンにあるカードを渡します。
そこには「呼吸しなさい」と書かれていました。
会場を進むと、大きな脚立が置かれ、天井に絵があったのです。
虫眼鏡でのぞいたその額の中には、たったひとつの単語がありました。
小さく、小文字で、「yes」。
ジョン・レノンはオノ・ヨーコに、yesをもらったのです。
おそらく、生まれて初めて。
ジョン・レノンが初めて日本を訪れたのは、6月だった。
1966年、日本武道館での5回の公演を終えると、わずか4日後には日本を離れた。
おそらく、日本の6月の湿った風を感じる暇もなく。
彼が本当に避暑地の空気を味わえたのは、1977年の夏かもしれない。
ジョン、35歳の誕生日の日に生まれたショーンは、2歳。
来日の前には、日本語を勉強した。
練習帳を作成。
得意の絵を加えながら、長い文章を覚えた。
「知っていればいるほど、話したがらない。知らなければ知らないほど、話したがる」
そんな構文を写した。
ショーンが生まれ、彼は役割を変えることにした。
子育て、家事、自分がやる。
パンを焼き、スタッフにもふるまう。
最初はよかった。驚きの連続。達成感もあった。
でも、やがて全てがルーティンになると、飽きてくる。
朝食を作ると、昼食の心配をして、夕食の買い出しに出かけた。
全てをこなしても、ゴールド・レコードをもらえるわけじゃない。
「そうか、世の中の主婦は、みんなこれをやっているのか」
大切なことは、賞をもらうことでもレコードが売れることでもなく、今作った目の前の料理を家族が笑顔で食べてくれるかどうかだけ。
子どもも黙ってはくれない。
あれがほしい、これは嫌だと泣く。わめく。
気に入らないと、ものを壊す。
そのとき、ジョンは思い出した。
10代の頃の、自己破壊的だったあの日々を…。
ジョン・レノンは、10代の頃、リヴァプールの美術学校に通っていた。
母が亡くなってから、さらに自己破壊衝動を抑えられない。
喧嘩にあけくれ、自分を痛めつけることならなんでもやった。
美術学校に、ジェフ・モハメッドという同級生がいた。
父親か母親が、インド系アラブ人。
彼は、いつもジョンをかばってくれた。
かなわない相手にも向かっていくジョンをなだめる。
「やめなよ。そんなことしても、いいことないよ。もっと、自分を大切にしなよ」
あるときは、ボディーガードのように守ってくれる。
それが同情に思えて、かえって反発した。
抑えられない怒りで、学校の電話ボックスのガラスを割ったときは、真っ先に駆けつけてくれた。
血だらけの拳。
介抱してくれる。
「なんで、オレにかまうんだよ!」
ジョンが叫ぶと、ジェフ・モハメッドは言った。
「そんなのは、シンプルなことさ。キミが大切だからだよ」
ジョン・レノンは、軽井沢が大好きだった。
息子ショーンを自転車に乗せて、別荘から旧軽井沢銀座通りの「フランスベーカリー」にパンを買いにいった。
自転車の前のカゴに、顔を出すバケット。
木々を吹き抜ける風が、優しく傍らを過ぎていく。
万平ホテルのカフェで、アップルパイとロイヤルミルクティーを楽しむ。
雑木林の中にたたずむ喫茶「離山房」で、ブルーベリージュースを飲んだ。
ハンモックに揺られ、木漏れ日に目を細める。
軽井沢では、彼は、ただの主夫。
細やかで優しいディスタンスが、ジョンには心地よかった。
軽井沢のひとたちの心遣いが、胸に沁みた。
少しずつ、回復していく。
人間らしさに気づいていく。
自分にyes!と言うための闘いが、終わろうとしていた。
ニューヨークに戻ったジョンは、ある夜、悪夢に飛び起きる。
すごい寝汗。
ヨーコが、どんな夢を見たの?と尋ねると、彼は答えた。
「ヨーコとショーンが辛い目にあっているのに、僕が助けに行けないんだよ」
自己破壊にばかり夢中になっていた少年は、自分以外のひとを幸せにするための詩を書いた。
2019年の大ヒット映画『イエスタデイ』。
もしこの世にビートルズがいなかったら…というモチーフで描かれた世界で、ジョン・レノンは78歳になっていた。
映画の中で、幸せになる秘訣を訊かれ、彼はこう答える。
「愛するひとに、愛を伝えなさい。それから、嘘をつかずに生きなさい」
【ON AIR LIST】
NOBODY TOLD ME / John Lennon
I'M STEPPING OUT / John Lennon
STAND BY ME / John Lennon
WOMAN / John Lennon
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