第三十四話昨日の自分を捨てる
彼は相当な日本好きで知られていました。
特に京都は、彼にとって、イマジネーションの宝庫であり、心を無に戻す大切な場所だったと言われています。
1979年12月。底冷えのする京都市北区西賀茂に、彼の姿がありました。
デヴィッド・ボウイ、32歳。
比叡山を借景にした枯山水の庭を前に、静かに座る金髪の男。
この禅寺、正伝寺をCMの撮影場所に選んだのは、彼でした。
撮影中、焼酎メーカーのスタッフは、彼の異変に気がつきます。
本堂の縁側に座ったデヴィッド・ボウイが、泣いていました。
白い砂の庭に、彼は何を見たのか。
頬をつたう涙のわけは、誰にもわかりませんでした。
京都の街で、何度も目撃された彼には、さまざまな逸話が残されています。
彼が『レッツ・ダンス』で大成功をおさめる前の話。
京都の居酒屋で、ある学生が、偶然、ボウイと隣り合わせになったといいます。
「実はボクは、アメリカから大きなビジネスのチャンスをもらえることになっているんだが…」
学生が「あなたほどのひとなら、間違いなく、そのチャンスをものにできるんでしょうね」というと、ボウイは目を伏せて、こう言ったそうです。
「どんな人間だって、弱いもんだよ。ぜったい大丈夫なんてものは、この世に…ない」
世界的なミュージシャンとしてその名をとどろかせ、俳優としても才能を開花させたアーティスト、デヴィッド・ボウイ。
彼が怖れたものとはいったいなんだったのでしょうか?
そして、彼が自らに言った、明日へのyesとは?
デヴィッド・ボウイは、1947年1月8日、イギリス・ロンドンの南部に生まれた。
父親は音楽好きで、エルヴィス・プレスリーなど、アメリカのポピュラー音楽のレコードを買ってきた。
9歳のボウイは、ベッドの中、布団にもぐり、米軍放送AFNを聴くのが好きだった。
トップ10の発表以外に、「スプリングタウン・USA」を舞台にしたラジオドラマをやっていた。
彼はそれを聴きながら、物語の街に暮す自分を想像した。
ソーダを飲み、キャディラックを運転し、リトル・リチャードのバンドでサックスを吹く。
ワクワクした。
鳥が、緑が、自分を祝福してくれた。
やがて、14歳のとき、母親にプラスティック製のアルト・サックスをプレゼントしてもらい、本格的にレッスンに通う。
初めてバンドを組んだ。
この時期、彼は大怪我をする。
友達とガールフレンドを取り合い、ボウイは殴られ、左目に重傷を負う。
視力が失われるほどのダメージだった。
でも彼はなぐった相手も、バンドのメンバーに入れた。
それは彼の優しさ?懐の広さ?
おそらくそうではない。
彼はいい音楽を創りたかった。
そのためなら、彼は何にでもなれる、何でもできる、そう感じていたに違いない。
最高のものを創るために、あるときは自らを壊し、変わり続けること。
幼くして彼は知っていた。
昨日の自分を捨て去ってはじめて、明日の自分に出会うことができることを。
デヴィット・ボウイは、メタモルフォーゼを繰り返した。
留まらない。振り返らない。昨日の自分を模倣しない。
最初のシングルは、
「デイヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ」
という名前で出した。売れなかった。
名前を変えようと思った。
19世紀のアメリカの開拓者、ジェームズ・ボウイから、ボウイという名前をもらうことにした。
ジェームズ・ボウイは、テキサスの独立のために戦い抜いた英雄だ。
荒ぶる魂を抱え、ナイフを持ち歩く様は、敵を恐れさせた。
彼が愛用したナイフは、ボウイナイフと呼ばれた。
その名も『デヴィッド・ボウイ』というニューアルバムで再びデビュー。
このころ、2つの出会いがあった。
チベット仏教と、リンゼイ・ケンプ。
リンゼイ・ケンプは、パントマイム・アーティストで日本の文化に精通していた。
歌舞伎、能、着物。
ボウイはそれらの存在を知って衝撃を受ける。
特に彼が興味を持ったのは、女形、いわゆる、おやま。
性別を越えた美に、強く魅かれた。
と同時に、日本、特に京都への想いが強く根付いた。
歌舞伎の早変わりも、彼には刺激的だった。
境界線を越える。境をものともせずに行き来する。
それこそ彼が、明日へのyesを得るために身に着けた、心の在り方だった。
デヴィッド・ボウイは、1999年、52歳の時に出したアルバム、『hours…』のリリースに寄せて、あるインタビューを試みた。
53歳の自分が、23歳の自分と語り合うという設定。
53歳のボウイが言う。
「ヘイ、23歳のオレ、疲れているね。最近は何してるの?」
すると、23歳のボウイは、答える。
「ありがとう。あんたのほうこそ、働き過ぎという感じだぜ。ボクは今、『スペース・オディティ』って曲をレコーディング中なんだ。『2001年宇宙の旅』の続編のつもりだ。あの映画、最高にクールだね。ガールフレンドと観にいったんだ」。
こうしたやりとりには、いつも冷静な目で自分を見つめるデヴィッド・ボウイの視点がうかがえる。
53歳のボウイが言う。
「いまさ、もったいないくらいに幸せだよ。」
23歳のボウイが「どうして?」と尋ねると、こう答えた。
「人と暮していくことの意味に気づくまで、おまえは、ずいぶん長いことかかったんだ。結婚は2度した。最初は何も考えず。2度目は深く考えすぎて。でも、いまやっと、人生が見えてきたところなんだよ」
そう言いながらも、デヴィッド・ボウイは、変わり続けることをやめなかった。
2000年代に入って、大規模なワールドツアーを敢行。
動脈瘤の痛みで緊急入院して、創作意欲が衰えたかに見えたが、2013年、復活。
亡くなる2日前にアルバム『ブラックスター』をリリースした。
53歳のボウイは、23歳のボウイにこんなふうに語りかけた。
『大丈夫、キミは、生き延びるよ』
変わることで生き続けた男は、最後まで歩みを止めなかった。
生き延びるために必要なのは、完成することではない。
明日を恐れず、昨日を捨てることだ。
【ON AIR LIST】
Move On / David Bowie
Changes / David Bowie
Heroes / David Bowie
I Can't Give Everything Away / David Bowie
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