第百三十二話命をかけて遊ぶ
駅舎を出ても、いくつもの漫画のヒーローたちが姿を現します。
仮面ライダー、ロボコン、人造人間キカイダー、佐武と市捕物控。
それらのキャラクターを産みだしたのは、石ノ森章太郎。
彼は宮城県登米市に生まれ、自転車でこの石巻に通いました。
大好きな映画を、観るために。
石ノ森にとってここは、漫画への夢を育んだ大切な場所だったのです。
東日本大震災の記憶を伝え、つなぐ活動が、石巻でもありますが、その拠点となる「震災伝承つなぐ館」に、震災で流され傷ついた、あるキャラクターが展示されています。
石ノ森章太郎が石巻のヒーローとして世に送り出した『シージェッター海斗』。
シージェッターは、無言で立っています。あの日起こったことを、ただ静かに受け入れているようにも見えます。
石ノ森は、漫画の漫という字に、萬(よろず)という字を使いました。
「マンガはねえ、萬画なんです。なぜそう名付けるか、それはねえ、あらゆる事象を表現できるから。それから、万人に愛され、親しみやすいメディアだからです。萬画は、無限大の可能性を秘めているんですよ」。
そんな彼の思いが詰まった宇宙船のような建物が、石巻にある『石ノ森萬画館』。
入口では、萬画の王様、石ノ森章太郎の大きな写真と、こんな言葉が目を引きます。
「遊びをせんとや 生れけむ」
彼はこの言葉を好み、色紙に書きました。
マンガは本来、落書き遊びの延長で進化したもの。
子どもが遊ぶように、夢中になって生きたい、そんな思いが伝わってきます。
60年という決して長くない生涯を、命を削って生き抜き、今も石巻の、いや、日本中の子どもたちを励まし続ける漫画家・石ノ森章太郎が、私たちに教えてくれる明日へのyes!とは?
漫画家・石ノ森章太郎は、1938年、宮城県登米郡石森町で生まれた。
彼のペンネームは、ふるさとの地名から来ている。
家は、雑貨屋を営む、古い造りの大きな屋敷だった。
厳格な祖母、真面目な公務員の父、暗がりの多い家。
シーンと静まり返った雰囲気が、最初の記憶だった。
母屋から遠く離れた便所に行くのが、怖い。庭の井戸が不気味だった。
仏壇のある部屋にはよだれを垂らした虎がいると信じていた。
堀でおぼれそうになったり、2階から階段を落ちたり、何度も死を近くに感じた。
弟がいた。石ノ森が親戚の家に遊びにいくと、ついてくる。
手をつないで一緒に連れていってやればいいものを、走って逃げる。
3歳にも満たない弟は必死で追いかける。
やっと追いつくと、こちらは意地悪をしているのに、息をぜいぜいさせながらニッコリ笑った。
どんな仕打ちをしても、いつでもどこへでもあとをついてくる。
そんな弟は、4歳で亡くなった。
消化不良。物資や食料が乏しい時代の犠牲者だった。
もっと優しくしてやればよかった。もっと一緒に遊んでやればよかった。
どんなに後悔しても、取り返しがつかないことがある。
その事実は、幼い石ノ森の心に深い影を落とした。
3歳上の姉は、美しく聡明で近所でも評判だったが、ひどい喘息に苦しんでいた。
一晩中、響く姉の咳。石ノ森は、辛かった。代われるものなら、代わってあげたいと思った。
広い家、弟の死、姉の病。彼の近くには、常に死の影があった。
石ノ森章太郎は、幼い頃、原因不明の湿疹に悩まされた。
顔だけではない。体中にできる。季節の変わり目には激しい痒みがやってきた。
寝るときは、引っかかないように手袋をする。
全身に薬を塗られ、包帯を巻かれることもあった。
醜い姿を見せたくない。学校を休む。
家には、やはり外に出られない喘息持ちの姉がいた。
苦しそうだった。石ノ森は、なんとか姉の気をまぎらそうと、絵を画いたり、話をつくって聞かせた。
姉が、笑う。自分の考えた、たわいない話を喜んでくれる。
嬉しかった。どんどん描く。ついには、姉のために世界でたったひとつの雑誌を作ってしまった。
どこかで、弟のことがあった。もう後悔はしたくない。
大好きなひと、大事なひとのために、精一杯やれることをしたい。
やがて…自分の画く漫画がどれほどのものなのか、懸賞に応募してみる。
毎日中学生新聞の4コマ漫画公募。見事、入選。
自分の名前が印刷されているのを見た。
自分の作品が、新聞に載っている。感動した。
このときの気持ちが、やがて彼を漫画家へと押し上げていく。
「お父さん、ボクは漫画家になりたい」
石ノ森章太郎がそういうと、父は厳しく言い放った。
「漫画家?冗談じゃない、大学を出てちゃんとした仕事につくんだ!」
それでも諦めきれない。姉だけが味方だった。
「章太郎、あなたはあなたの信じる道をおいきなさい。でも、そう決心したのなら、どんなに苦しくても、途中で投げ出したらダメよ」
家を飛び出し、東京で暮らす。姉も一緒についてきてくれた。
画いた漫画を持ち込んでも、採用されない。落ち込む。
「誰もボクが画いた漫画をわかっちゃくれないんだ!新しすぎる漫画は、いらないっていうんだ!」
姉は言った。
「江戸時代に、写楽っていう浮世絵師がいたわ、新しすぎるって、当時はちっとも人気がでなかった…でも、今では日本で最大の世界的な画家って言われているわ…」
「いいんだよ、お姉ちゃん、ボクはお姉ちゃんにだけわかってもらえばいいや。これからはお姉ちゃんのために画くよ」
「いいえ、章太郎、それは間違ってる。どうしてあなたは漫画を画くの?自分が感じたこと、感動したことを、絵を通してたくさんのひとにわかってもらいたいんじゃないの?」
姉だけが理解者だった。その姉も、23歳でこの世を去ってしまう。
石ノ森を襲った喪失感を支えてくれたのは、同じ志を持つトキワ荘の仲間だった。
特に、赤塚不二夫は、石ノ森を励まし続けた。
「なあ石ノ森、いい漫画を画いて、お姉さんを笑顔にしてあげよう」
石ノ森章太郎は、辛い別れを胸に秘め、死ぬ気で遊び切った。
萬画に命を吹き込み、生き抜いた。
【ON AIR LIST】
明日天気になれ / ハナレグミ
Creep (feat. Haley Reinhart) / Scott Bradlee's Postmodern Jukebox
Somewhere Only We Know / Keane
春風 / くるり
【写真協力(©石森プロ/街づくりまんぼう)】
石ノ森萬画館
http://www.mangattan.jp/manga/
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