第三百八十九話泰然と事態を見守る
秦佐八郎(はた・さはちろう)。
当時、不治の病だった梅毒の特効薬「サルバルサン」を、ドイツのパウル・エーリッヒと共に開発。
世界中の患者の命を救ったレジェンドです。
受賞には至りませんでしたが、1911年から3年連続でノーベル賞にもノミネートされ、我が国だけでなく、世界の医学の発展に貢献しました。
秦が生まれた島根県都茂村には、彼の記念館が建てられています。
記念館には、恩師・北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)や、友人・野口英世(のぐち・ひでよ)の写真や、帝国学士院会員に選ばれたときに着用した大礼服などが飾られ、サルバルサンの標本など、医学的に貴重な文献も展示されています。
20世紀を迎えたばかりの頃。
産業革命に代表される技術革新は、世界を席巻し、人類は今まで経験しなかった未曾有の発展を経験しますが、ただ一点、頭を悩ませた問題がありました。
それは、伝染病・感染症。
たとえば、ペスト、コレラ、結核、それに、梅毒。
どんなに便利で快適な世の中になっても、感染の恐怖は、人々の心までむしばんでいったのです。
感染する細菌だけを攻撃し、人体には危害を加えない薬品。
それこそが、近代医学の最大課題になったのです。
島根のとある村に生まれた秦が、いかにしてその課題に果敢に取り組む細菌学者になったのか。
そこには、彼の持って生まれたある性格が、大いに影響していると思われます。
それは、何事も泰然と見守る癖。
島根から岡山の学校に行ったとき、岡山から東京の大学に進学したとき、日本からドイツに留学したとき。
彼は、いつも思っていました。
「ここで一番になったからといって、もっと広い世界があるんだ。どこに行っても、井の中の蛙であることに変わりはない」
そんな冷静な目線があったからこそ、彼は偉業を成し遂げたのです。
島根県出身の細菌学者・秦佐八郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
梅毒の特効薬「サルバンサン」を開発した細菌学者・秦佐八郎は、1873年、明治6年3月23日、現在の島根県益田市に生まれた。
石見の国、都茂村、海があり山があり、14人兄弟の8番目だった秦は、自然児としてのびのび育つ。
家は、裕福な農家。酒もつくっていた。
水がよく、米もお酒も高値で取引された。
秦は、物心ついた頃から、ひとつ上の兄とつるみ、わんぱく三昧の日々を送る。
喧嘩に、いたずら。
父に怒鳴られ、母には蔵に閉じ込められた。
それでも、蔵の中で、兄と次の悪だくみの相談をする。
秦少年の原動力は、好奇心。
知らないことがあると、知るまで大人に質問した。
わからないことがあると、夕ご飯を忘れて観察。
この世の中はわからないことだらけで、毎日ワクワクして過ごした。
やんちゃだったが、勉強も一生懸命だった。
学問も遊びも同じ。
好奇心が自分を引っ張ってくれる。
気づけば、クラスどころか、学校で一番の成績になっていた。
15歳になったある日、父に呼ばれる。
「佐八郎、おまえ、どうかな、養子にいかないか?」
世界的な細菌学者・秦佐八郎は、15歳のとき、いきなり父に養子をすすめられた。
当時、仮に父に相談されたとしても、それはすでに決定事項。
拒否することは許されない。
11代続く医学者の家系の親戚が、跡取りを失い、佐八郎を欲しいと願い出た。
佐八郎の成績は、けた違い。
都茂村では、神童とあがめられた。
しかし、彼はいっこうに自慢するふうでもない。
学問を知れば知るほど、上には上がいることを察知していた。
養子に行く家は、岡山にあった。
都茂村からすれば、岡山はびっくりするくらいの都会。
でも、臆することはなかった。
佐八郎が唯一苦手なのが、語学だった。
英語、ドイツ語。
言葉に意味があるのだろうかと思う。
思っていることと話す言葉には、大きく乖離(かいり)がある。
だから、言葉を信じていなかった。
自己主張を言葉でするなど、論外。
結果が全てだと思っていた。
ただ、新しい家の父に言われる。
「医学を学ぶには、英語とドイツ語は、はずせない。
佐八郎君、君には期待しているんだ。ぜひ、岡山第三高等学校医学部に入ってくれたまえ!」
無事に入学を果たした佐八郎は、クラスメートのふるまいに唖然とする。
山陽・山陰地域において、確かに岡山三高は超エリート。
でも、彼らの選民意識に、げんなりする。
「どうしてみんな、いばったり、偉そうにしたりできるんだろう。
学問の基本は、自分がなにものでもないことに気づくことなのに」
世界初の抗生物質をつくった細菌学者・秦佐八郎は、岡山第三高等学校、現在の岡山大学医学部時代、発言の少ない、自己主張のない学生だった。
でも、成績はいつもトップクラス。
同級生たちは「どうしてあいつは、自分たちの輪に入らないんだ?」と扱いづらい存在として、疎んじていた。
秦は、孤高のひと。
誰ともつるまない。
自慢や傲慢とは無縁。
あるテストのとき、指導教官が、秦の机の傍で立ち尽くす。
答案用紙をのぞきこむ。
クラスメートは、「ああ、きっとカンニングがばれたんだ」と思った。
「秦は、ズルをして成績がいいから、自慢しないんだ」と考えた。
後日、指導教官は言った。
「私が、秦君の席で立ち止まった理由ですか?
それはですねえ、感動したんですよ。
彼の解答は、すごかった。
私も知らないドイツの文献を読み解き、完璧な答えを書いていたんです」
その日以来、秦のことを悪く言うひとは、いなくなった。
秦佐八郎は、いつも忘れない。
自分など、ちっぽけな存在であることを。
都茂村で経験した、野山に生きる暮らし。
草や生き物の生態、移ろう景色、解明できないことがあふれているこの世界で、人間だけが傲慢になっていいはずがない。
そのためには、いつも、泰然と世界を見守るべきである。
謙虚な姿勢が、偉業を生んだ。
【ON AIR LIST】
MEDICINE FOR MY SOUL / Juan Luis Guerra Feat.Taboo of The Black Eyed Peas
OPEN MIND / Jack Johnson
なにもない Love Song / 浜田真理子
★今回の撮影は、「秦記念館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
営業時間など、詳しくは島根県益田市観光ガイドの公式HPよりご確認ください。
益田市観光ガイド HP
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