第百十八話独自のスタイルを貫く
柔らかい曲線と独特の色使いで描かれた美人画は、オリジナリティにあふれ、ひと目見ただけで、それが東郷青児の作品であることがわかります。
彼は、わかりやすさを大切にしました。
夢見るように目を閉じる女性の絵は、本や雑誌の表紙を飾り、包装紙や喫茶店のマッチにまで採用され、「この絵は、芸術なのか?」と揶揄されたこともありました。
それでも彼は、独自のスタイルを貫き、生涯、確立した作風がブレることはありませんでした。
二科会のドンとして君臨、「帝王」の異名をとる一方で、数々の女性とのスキャンダルは新聞を賑わせました。
特に有名なのが、作家・宇野千代との情事。
宇野は、東郷から聞いた話をもとに『色ざんげ』という小説を書きました。
そんな浮世の出来事を全く感じさせない、静謐で純粋な、彼の作品。
それはまるで、深い深い海の底に光る石のように、見るひとの心に沈黙の感動を呼び起こします。
懐かしい記憶のような、胸の奥のうずき。
鹿児島藩士の名家に生まれ、幼少時代から並外れた才能を持ち、ひとめを惹く端麗な容姿まで手に入れた、稀代の画家。
手に余るものを持ちながら、彼はそれらを投げ捨て、画壇の道に進み、誰もやったことのない画風に挑戦しました。
批評は常に、芸術と通俗の間で揺れ、そのどちらからもバッシングを受けたのです。
それでも、彼は自分のスタイルを曲げませんでした。
独自の画風を貫き続けた画家・東郷青児が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
今年、生誕120周年を迎える画家・東郷青児は、1897年鹿児島市に生まれた。
鹿児島で記憶に残っているのは、桜島の噴煙。
そのもくもくとあがる煙のすさまじさ。石の仁王像。
そして、黒砂糖のほろ苦い甘さ。
すぐに神戸に移り、やがて、一家は東京に転居する。
母は生涯、鹿児島弁を話した。のちに青児は、思春期を迎えたころ、母の鹿児島弁が気恥ずかしかったと、述懐している。
青児が最初に絵に触れたのは、姉の絵だった。姉は、「マリア像」や「ミレーの晩鐘」を模写して、部屋に飾っていた。
さらに青児を絵画展に連れていき、絵葉書を買ってくれた。
両親は、いわゆる手慣れぬ武士の商法で、いくつも仕事で失敗を重ねる。そのたびに、家を移った。
神田猿楽町、麻布の仙台坂、牛込若松町。
家財道具を差し押さえになるとき、姉が「子どもたちのものには、いっさい手をつけさせません!」と頑として動かなかった姿を、青児は覚えている。
彼の心の奥底にある女性像に、姉の存在があるのかもしれない。
絵を描く、細く白い繊細な指。弟や家族を守るための強いまなざし。
姉の相反する二つの部分に、女性の優しさと強さを見た。
やがて、彼の中にある、絵画の才能の華が開く。
画家・東郷青児は、小学校に入るとすぐに、図画工作でずば抜けた才能を見せた。
ちょうど本間という熱血教師の指導もあり、彼のスケッチは、いつも廊下に貼りだされるようになった。
同じクラスにいた、のちにやはり画家になる林武、のちに運輸次官になる平山孝が、東郷と同じく類まれな絵を画き、三羽烏と呼ばれた。
三人の絵は、いつも注目の的だった。
美少年だった東郷は、特に上級生や下級生、ほかの学校の生徒からも人気を集めるようになった。
肩で風を切るように歩く、東郷。
そんな彼が、ある日街角で足を止めた。
それは同級生の土屋という、ちょうちんやのせがれの店先だった。
彼の家は、ひどく貧しかった。
狭い店先で父親と並び、ちょうちんに絵を画いている。
ずらりと並んだどんぶりには、さまざまな色の絵の具が入っている。
それを器用に筆ですくいとり、ちょうちんに、跳ね上がる魚や、花とたわむれる獅子を描いていく。
その速さ、圧倒的なテクニックに、東郷は驚いた。
クラスでは、大人しく、目立たない土屋に、こんな才能があったなんて…。
ショックだった。そこそこの絵が画けて、いい気になっている自分が、恥ずかしく思えてきた。
東郷は、その店先に通った。
来る日も来る日も、土屋の描く絵を見ていた。
学校で、東郷は土屋に言った。
「あんなにうまく画けるのに、学校の絵が下手なのは、おかしいよ」
土屋は、消え入りそうな小さな声で言った。
「ちょうちんに画いているのは、絵じゃないんだよ。ボクのは、絵じゃないんだよ」
東郷青児の小学生時代は、日露戦争の直後。
世の中は軍人の天下だった。住んでいたのが牛込界隈。
陸軍士官学校があり、軍人の家族が多く住んでいた。
子どもたちは、戦争ごっこや陣取りゲームに明け暮れた。
東郷もそんな世の中の風潮にのり、士官学校にすすむものだと思っていた。
ところが、姉が猛反対した。
ミッションスクールに進学することになる。
もともと母方は、島津藩士時代からのクリスチャンだった。
青山学院では聖書を学び、「なんじ殺すべからず」と聖書を唱えたあと、代々木の練兵場で突撃の演習を受けた。
軍事練習に身が入るわけもなく、東郷はやがて、絵描きになりたいと思うようになった。
両親は大反対。このときばかりは、姉も反対し、学校の美術教師に自ら出向いた。
「画家になんかなれないと諦めるように言ってください!」
しかし、その男性教師は言った。
「いや、青児くんは、なれますよ。彼には他のひとにない煌めきがある」
東郷は、数々のコンクールに応募した。そこでいくつか賞をとり、まわりも認めざるを得ないようになっていった。
画家として歩むとき、彼の心には、いつもちょうちんで躍動する土屋の絵があった。
うまい絵で、ひとは感動するんじゃない。
あの狭い店先で体が震えた、その正体が知りたい。
画法への探求が始まった。パリに出かけ、ピカソの影響も受けた。
さまざまな素材、いくつもの画風を試し、やがて、美人画に辿り着く。
一度手に入れた独特の作風は、誰になんと言われようとも、変えなかった。
ジャンルにこだわらない。前例を壊す。
そんな覚悟を持ったことで、彼の絵は、今もひとびとの心を揺り動かす。
【ON AIR LIST】
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