第三百十二話人のやりたがらぬことをなせ。人の嫌がる所へゆけ
その医師とは、2019年、アフガニスタンで凶弾に倒れた、人道支援NGO「ペシャワール会」現地代表、中村哲(なかむら・てつ)。
写真展のポスターには、こんな言葉が添えられています。
「平和とは観念ではなく、実態である」。
その言葉どおり、常に行動のひとでした。
日本から、西におよそ6000km、中近東のアフガニスタンは、ヒマラヤ山脈の西の果てに位置する乾燥地帯です。
40年前は、国民の8割が自給自足の農民としてつつがなく暮らしていましたが、気候変動の影響とも言われている日照り、干ばつで、多くのひとびとが飢餓に苦しみながら命を落としました。
医療活動支援を行う医師として現地に入った中村が直面したのは、汚い水を飲まざるを得ず、病気になり、命を落とす子どもたちの多さです。
中村は、患者が増え続ける根源打破に、水源確保という鉱脈を見つけました。
彼は、アフガニスタンに1600本あまりの井戸を堀り、25kmに及ぶ用水路と、9つの堰(せき)をつくり、65万人もの人命を救ったのです。
自然を無視して、経済力や軍事力だけで世の中が変わると錯覚しているのではないかと、全世界に向けて警鐘も鳴らしました。
中村哲は、アフガニスタンのひとたちが、自分たちで補修、再生できる灌漑(かんがい)対策を伝授していきました。
自らの名前が残ることなど、露とも思わずに。
それでも、いまだに現地のひとたちは、緑の大地を指さし、大声でこう叫びます。
「ナカムラのおかげで、砂漠に草木が生えた、ナカムラのおかげで、いま、オレたちは生きている。ナカムラのおかげで…」
彼の棺は、アフガニスタンの国旗に包まれ、搭乗する飛行機まで、ガニ大統領が自ら担ぎました。
一国の長が、血縁でもない他国の人間の棺を肩に置く。
彼がいかにアフガニスタンのひとびとにとって英雄であったかがしのばれます。
常に「あなたが生きる意味とはなんですか?」と問い続けた医師・中村哲が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
アフガニスタンの復興に一生を捧げた医師・中村哲は、1946年9月15日、福岡に生まれた。
母方の祖父は、映画の主人公として石原裕次郎や高倉健が演じた伝説の男、玉井金五郎(たまい・きんごろう)。
北九州 若松の港湾労働者を一手に仕切っていた。
若松は遠賀川の河口にあり、石炭の積み出しで栄えた町。
金五郎は、弱き者を助け、守った。
中村は、この祖父の家で過ごした時間を覚えている。
わさわさと、たくさんのひとがうごめいていた。
祖父は、住む場所がないひと、貧しいひとを、一つ屋根のもとに住まわせた。
子ども心に、思う。
「なんだってこんなにいっぱいひとがいるんだろう」
中村は、まわりの友だちと遊ぶというより、日がな一日、昆虫を見ているのが好きな子どもだった。
特に、蝶が好きだった。
担任の先生は、そんな中村を受け入れてくれた。
「そうか、昆虫が好きなんだな、いいぞ、昆虫は、彼等はなあ、オレたち人間より先輩なんだ。この地球には、数えきれないほどの昆虫がいるんだ」
朝から晩まで昆虫図鑑を見て過ごす。
蝶の名前は、全て暗記した。
モンシロチョウを見つけると、彼等に話しかけた。
このモンシロチョウが、彼をアフガンの地にいざなうことになるとは、このとき、知る由もなかった。
中村哲は、6歳の時、福岡県の古賀町に引っ越す。
父が事業で失敗してしまった。
朝晩と言わず、借金取りが来る。
でも両親が不安な顔を見せないので、中村少年も「まあ、大丈夫だろう」と思う。
中村家には、祖父からの教えがあった。
「職業に貴賤はない」。
「弱きものを助けよ」。
そして「人が嫌がることをすべし」。
幼いときにはピンとこないが、この教えは中村の心に深く根付いていった。
父は家を改築して、旅館業を営む。
土木関係のひとたちが長期滞在し、夜は宴会。
哲が勉強をしたいのに、彼等は軍歌を歌い、盛り上がる。
父は言った。
「あのひとたちはね、戦争でなんとか生き延びて帰ってきたんだよ」。
哲は、なぜか厳粛な気持ちになった。
彼の夢は、昆虫博士。
ファーブル昆虫記をボロボロになるまで読んだ。
大学に進学する際、農学部昆虫学科を選択しようと思ったが、父にそれを言ってもとりあってくれないだろうと考え、医学部希望を伝えた。
「医学部に入ってから、農学部に転部すればいいや」と簡単に思っていたが、いざ、医学部に入ると、たくさんの参考書を購入しなくてはならない。
それらを借金して買ってくれる父を見ていたら、ちゃんと医者になろうと決意した。
高校時代から極度のあがり症。
人前に出ると、顔が赤くなり、うまく話すことができなかった。
こんな自分だからこそ、精神科の医師になろう…。
そう、思った。
たくさんの患者さんの話を聴いた。
自分の価値観を押し付けず、まずは相手を受け入れる。
そうして初めて、対話が生まれることを知った。
中村哲は、医師としての生活を続けていた。
趣味は、登山と昆虫採集。
32歳の時、福岡の登山の会から、パキスタンのヒンズークシュ山脈へ、医師としての登山同行を依頼される。
二つ返事でOK。
ヒンズークシュ山脈一帯は、モンシロチョウの原産地と言われている。
氷河期時代の伝説の蝶、パルナシウスも生息しているという。
行かない選択はない。
ベースキャンプでの滞在中、観察できるに違いない。
蝶が、彼を運命の地にいざなった。
パキスタンに魅せられた中村は、やがて、日本キリスト教海外医療協力会から、ペシャワール赴任の打診を受ける。
アフガニスタンの国境に最も近い、パキスタンのペシャワール。
そこで中村は「らい根絶計画」に尽力する。
現地がやりたくてもやれない、どうしてもゆきとどかない、それを支えるから、協力だ。
最も困難な道をあえて選ぶ。
そんな指標は、祖父から受け継いだ財産だった。
パキスタンでの活動に心を砕いているときに、アフガニスタンから、たくさんの難民が来た。
子どもたちが、泣いている。
戦争と干ばつ。
最も苦しめられるのは、弱いものたちだった。
彼は黙っていられない。
さっそく行動を起こす。
こうして彼は、アフガニスタンの復興に一歩踏み出した。
軍事的にも経済的にも困難な場所に、あえて向かった。
中村哲は、いつも、自分に似た祖父の写真を持ち歩いていた。
写真の祖父は、言う。
「人のやりたがらぬことをなせ。人の嫌がる所へゆけ」
【ON AIR LIST】
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