第三百二十五話不屈の精神を持つ
大黒屋光太夫(だいこくや・こうだゆう)。
彼は、自分が見てきたことを政治家や学者に話すことで、蘭学の発展に貢献しました。
光太夫の生まれ故郷、三重県鈴鹿市には記念館があり、彼がサンクトペテルブルクで書いた漂流記や、ロシアから持ち帰った物などが展示されています。
光太夫の冒険談は、井上靖が小説『おろしや国酔夢譚(おろしやこく・すいむたん)』に描いたり、漫画やオペラ、浪曲の題材にもなりました。
彼の人生がなぜ、これほどまでに人々の心をうつのでしょうか。
それはおそらく、どんなに過酷な運命に翻弄されても常に希望を捨てなかった生き様に、「逆境を生き抜くためのヒント」が隠されているからに違いありません。
光太夫は、冒険家でも野心に満ちた学者でもなく、伊勢国に生まれた、ごく普通の船頭でした。
彼の廻船が江戸に向かう途中、嵐に巻き込まれ、アリューシャン列島に漂着したのです。
乗組員たちを待っていたのは、極寒のシベリアでした。
日本に戻りたいと願いながら、命を落としていく仲間たち。
鎖国下の当時、同じように漂流しても、帰国を許された例は一件もありませんでした。
船員の中には、帰国を諦め宗教に生きるもの、ロシア人の女性と結婚するものなどがいましたが、光太夫は、ひとりでも帰りたい者があるうちは諦めません。
つてをたどり、最終的には、女帝エカチェリーナ2世に謁見したのです。
光太夫が日本に帰国したのは、1792年10月2日。
三重の白子港を出てから、実に10年近くの年月が経っていました。
なぜ、彼は無事帰国することができたのでしょうか?
日露交渉に多大な影響を与えた伝説の船乗り、大黒屋光太夫が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
江戸時代に初めてロシアに行き、エカチェリーナ2世に謁見した日本人、大黒屋光太夫は、1751年 伊勢国白子、現在の三重県鈴鹿市に生まれた。
実家は、白子の港の廻船問屋。
江戸に米や水産物を運ぶ船を持ち、木綿の商いもやっていた。
7歳のとき、父が亡くなる。
本家は、姉が婿をとって継いだ。
次男だった光太夫は、江戸小網町の木綿問屋に奉公に出される。
江戸に出たばかりの頃は、母が恋しくて毎日泣いたが、やがて、活気ある街になじんでいった。
寺子屋で熱心に学ぶ。
読み書きは大好きだった。
浄瑠璃に魅せられ、芝居小屋にも足しげく通う。
問屋での修業を終えると、ふるさと白子に帰るが、ひとであふれる江戸で幼少期を過ごしたことは、光太夫に多大な影響を及ぼした。
文化、芸術で感性を磨き、行き交う大勢の人間に会うことで、さまざまな境遇のひとと触れ合う術を知った。
木綿の取引のため、船に乗り、何度も江戸を往復する。
船の旅を気に入り、航海術を懸命に勉強した。
彼の勉強の仕方は、ひたすら書くことだった。
わからないことは、誰彼かまわず尋ね、紙に書き留めた。
20代後半の頃、白子でいちばんの廻船問屋、大黒屋から養子として迎えたいという話が来た。
こうして光太夫は、多くの船員を従える船頭になった。
1782年12月13日、巳の刻。
31歳の船頭、大黒屋光太夫と16人の船員たちは「紀州御用」と書かれたのぼりを立て、江戸に向け、出航した。
光太夫は、いつも船に浄瑠璃の本を積み込んでいた。
夜、月明かりで読む物語の世界は格別だった。
しかし、出航してしばらくはおだやかだった海が、駿河沖で急変。
今まで経験したことがない暴風雨に遭遇した。
帆は吹き飛ばされ、舵は木っ端微塵に壊れてしまった。
自力で動くことができない船。
それから7か月間、漂流した。
積んでいた米と雨水で飢えをしのぐ。
数名が命を落とした。
ようやくたどり着いたのは、アリューシャン列島の島だった。
ここは、どこか?
日本でないことはわかった。
光太夫は、そこにいたロシア人となんとかコミュニケーションをとろうとする。
「エト・チョワ」という言葉が、どうやら「これは何ですか?」だということに気がついた。
彼は、ことあるごとに「エト・チョワ」と質問し、紙に書き留めていった。
その様子が微笑ましく、警戒心を解いた現地のロシア人は、食べ物や眠る場所を与えてくれるようになる。
そこで暮らすこと、実に4年。
光太夫は、完璧なロシア語をマスターしていた。
船が壊れてしまって困っていたロシア人のために、船を修理してあげたりもした。
どうしても日本に帰りたいと、船員たちが涙ながらに訴える。
光太夫ら一行は、シベリアの州都、イルクーツクを目指した。
マイナス20度。
極寒のシベリアは、またしても船員たちの命を奪う。
それでも光太夫は、残った仲間と共に前に進む。
帰ることだけを信じて。
大黒屋光太夫は、シベリアのイルクーツクに到着して、驚いた。
日本語学校があった。
これまで漂着した何人もの日本人が、帰国を許されず、日本語教師として働いていたのだ。
ロシアは、アジアへの足掛かりとして、日本との交易を望んでいた。
住むところも、生活するお金も領事館が与えてくれたが、それは日本語教師をするという条件付きだった。
「このままでは、我らも一生帰国することはできない…」
焦る光太夫に、ある出会いがあった。
地元の博物学者ラクスマンが、光太夫が読んでいたボロボロの浄瑠璃の本に興味を持ち、近づいてきた。
二人は、すぐに仲良くなる。
光太夫には、物おじするところがなかった。
むしろ知らないことを子どものように質問する。
ラクスマンもまた、少年のような輝く瞳で、日本への憧れを語った。
光太夫は、なんとしても日本に帰りたいと伝えた。
領事館に訴えの訴状を渡しても、いっこうに返事がない。
あっと言う間に、数年が過ぎてしまった。
あるとき、ラクスマンが言った。
「これから、サンクトペテルブルクのエカチェリーナ2世にフィールドワークの報告に行くんだが、どうだろう、直接、帰国の思いを訴えてみたら?」
一世一代の勝負の瞬間がやってきた。
エカチェリーナ2世との謁見。
光太夫は、気負わず、おそれず、ただ、思いを伝えた。
「たくさんの仲間を失いました。彼等のためにも、私は帰りたい、日本に帰りたいんです」
エカチェリーナ2世は、涙して言った。
「可哀そうに…よくここまで耐えましたね」
こうして、光太夫は帰国を許された。
彼の、幼い頃に培った人間力と、決して諦めない不屈の精神が、奇跡を起こした。
【ON AIR LIST】
ソフィアの歌(映画『おろしや国酔夢譚』サウンドトラック) / ソフィア(歌)
アリョー イルクーツク(映画『おろしや国酔夢譚』サウンドトラック) / 星勝(作曲)
ザ・プレイヤー(Duet with セリーヌ・ディオン) / アンドレア・ボチェッリ
ネヴァー・サレンダー / コリー・ハート
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