第二百二十話仕事に熱を込める
深作欣二(ふかさく・きんじ)。
そのアクションシーンは破天荒で痛快。
クエンティン・タランティーノやジョン・ウーなど世界に名立たるアクション映画の巨匠にリスペクトされています。
深作は、バイオレンスばかりではありません。
女優の奥に秘めた才能を開花させる天才でした。
『蒲田行進曲』や『火宅の人』でも手腕を発揮して、日本アカデミー賞の最優秀監督賞を受賞しています。
とにかく映画が大好き。
映画に関わるひとには、自分と同じような熱を求めました。
あっという間に主役に切られ、出番がなくなってしまう大部屋の俳優たちにも愛情を注ぎました。
通常、「おい!」「そこのおまえ!」などとしか呼ばれないエキストラの役者たち。
深作はひとりひとり、ちゃんと名前で声をかけました。
さらに彼らにも、熱心に演技をつけたのです。
「映画ってさ、ああいう、シナリオのセリフをしゃべらないひとが大事なんだよ。スターさんがいくらアップでいい表情しててもさ、スクリーンの片隅にいるやつが遊んでたら、映画は途端に死んじゃうんだよ」
あまりに熱心なため、撮影はいつも深夜にまで及び、深作組は苗字の漢字をもじって、深夜作業組と呼ばれました。
彼の熱意の底辺には、戦争の体験がありました。
目の前で友人たちが一瞬で亡くなる。
そのときの恐怖、喪失感、不条理は、生涯、彼の心に残り続けたのです。
そして、「暴力を描くことで、暴力を否定したい」という思いが強くなりました。
どんなに批判を受けても作風を変えなかった原点には、彼の深い哀しみがあったのです。
今も若き映画人から尊敬を集める誇り高き巨匠、深作欣二が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
映画監督・深作欣二は、1930年7月3日、茨城県の緑岡村、現在の水戸市千波町に生まれた。
父は旧制高校から東大農学部に入ったインテリ。
農業を教える技師で、のちに村長になる村の名士でもあった。
村に映画館はなく、父もめったに町の映画館に連れていってくれない。
こづかいをくすねて、友だちと町に行った。
鞍馬天狗に興奮する。
暗闇の中、スクリーンに釘付けになった。
映し出される、ここではない世界。
ワクワクする躍動感。
帰り道、まだ自分が物語の世界にいるような高揚感を味わった。
父の教育方針で小学校から水戸に通う。
片道歩いて50分。
でも苦にならない。
なぜなら学校をさぼって映画館に行けるから。
ときどき校内でも白いシーツを張って上映会があった。
教師が弁士を務める。
野口英世の母の話を涙ながらに語る。
深作は、お母さんの声色を使う教師をどこか冷めた目で見ていた。
「嘘をつくなら、余計に本当っぽく見せなきゃダメなんだ」
深作少年は、映画に熱中しつつ、こう考えるようになった。
「みんなを巻き込む大きな嘘をつくには、どうしたらいいんだろう」。
映画『バトル・ロワイアル』の監督・深作欣二は、中学に入るとすぐに太平洋戦争が始まり、学校ではなく兵器工場に通った。
勤労動員。ひたすらネジを削り、軍事教練を受ける。
そんな環境でも、暇を見つけては映画館に行った。
ほとんどが『加藤隼戦闘隊』などの戦意高揚映画。
中には夢中になるものもあった。
『姿三四郎』。面白かった。
「やっぱり、映画はいいな。いつか、こういうものをつくってみたいな」
ささやかだけれど、夢の種はしっかり根付いた。
空襲は激しさを増していく。
そのたびに防空壕に駆け込んだ。
それは深作がたまたま工場での深夜勤務ではなく、家で寝ていたときのことだった。
突然、雷が落ちたような、すさまじい音が聴こえる。
海にいる敵の戦艦からの艦砲射撃だった。
海岸線から4キロ離れていた工場は、壊滅状態。
翌朝、その惨状を目にする。
たくさんの友人の遺体。
上官が言った。
「それ、運べ」。
一夜にして、一緒に笑い、泣き、騒いだ友人たちが、「それ」になっていた。
この体験が、映画『バトル・ロワイアル』を生むことになる。
映画監督・深作欣二は、中学生活の終わりを焼け跡の闇市時代とともにおくる。
学校は屋根が吹き飛び、焼け残った兵舎での授業は面白くなかった。
映画館では外国映画を上映していた。
理屈っぽい日本の映画より、アメリカの西部劇のほうが楽しい。
かつて敵だったが、映画に関しては関係なかった。
面白いものは、面白い。映画は、それでいい。
そのために、作り手が命を削っている。
ただひとつ、日本映画で度肝を抜かれたものがあった。
小津安二郎の『晩春』。
みんなが焼け野原にキャメラを持ち出し、新しい戦後をどう描くか必死になっていたとき、父が再婚するかどうかだけの映画を撮る。
すごいと思った。
これだ。
人間の真の営みに触れるものじゃないと、映画はつまらないんだ、それがわかった。
「映画監督になりたい」心底、思う。
ちゃんとそこに存在するひとを、フィクションとして留めたい。
フィルムに焼き付けたい。
そのためには、熱量が必要だ。
全く何もないところから、リアルを生み出す作業。
中途半端なエネルギーでは達成できない。
深作欣二は、妥協を嫌った。
深作欣二は、持っているのに出し惜しみするひとを叱った。
「熱を込めないでいると、やがて人間は衰弱し、作品は枯れ果てる」
【ON AIR LIST】
蒲田行進曲 / 松坂慶子、風間杜夫、平田満
里見八犬伝 / ジョン・オバニオン
レクイエム(プロローグ) / ヴェルディ(作曲)、ポーランド国立ワルシャワ・フィルハーモニック・オーケストラ
吹き溜まりの詩 / 菅原文太
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