第三百七十六話次の世代につなぐ
山本時男(やまもと・ときお)。
米代川の中流域、秋田県二ツ井町に生まれた山本は、幼少の頃から自然豊かな河畔で遊び、昆虫や魚など、さまざまな生物への関心を深めていきました。
メダカ博士、あるいはメダカ先生と呼ばれる山本の最大の功績は、「メダカの人為的な性転換実験」。
1950年当時、脊椎動物の性は、遺伝子で決まり、生涯、変わることがないと考えられていました。
しかし、山本は、性ホルモン処理で、オスをメスに、メスをオスに転換させることに成功。
発生の過程のさまざまな要因で、性転換が起こりうることを実証したのです。
この研究は、人間にとって、男性とは何か、女性とは何かを考える、根源的な問題につながるものになりました。
山本のメダカ研究の道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
戦争により研究室は全焼。
ほとんどの研究資料を失い、失意のどん底に叩き落される。
それでも山本は、また一からコツコツと、性を分けるものとは何かに向き合い続けたのです。
その信念を裏打ちしていたのは、何だったのでしょうか?
あるむ発行『めだかの学校 山本時男博士と日本のメダカ研究』という本によれば、山本の心の背景には、蓑虫山人(みのむしさんじん)の存在が色濃くあると書かれています。
蓑虫山人とは、蓑虫のように生活用具一式を袋につめ、全国を放浪した、幕末の絵師です。
絵画だけではなく、造園や土器の収集など、その活動は多岐にわたり、孤高の精神と独特のユーモアは、後の世に語り継がれています。
自分が生まれる前、山人が我が家に立ち寄ったことがある、という話を聞いてから、山本は、山人に夢中になりました。
その自由奔放な生き方、他人のために奉仕する精神、そして地位や名誉にこだわらず、次の世代に功績をつなぐ心を、山本は蓑虫山人から学んだのです。
己の研究を貫く信念を伝説の絵師に重ねた、世界に冠たる生物学者・山本時男が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
メダカ博士・山本時男は、1906年2月16日、秋田県二ツ井町に生まれた。
山本家は、江戸時代中期から続く長百姓。
農家の中でも位の高い、名家。後に刀を持つことを許された。
明治天皇が東北を巡幸される際には、休憩所に指定されるほどだった。
山本家5代目庄蔵は、旗本として、米代川の護岸工事を完成させたり、善光寺という庭園墓地を蓑虫山人に造園させたりした。
我が家に、蓑虫山人が来たことがある。
そのときの話を、幼い山本時男は祖母から聞かされた。
「山人さんはね、3度、ウチに来たんだよ。山小屋にこもってねえ、食事は、米と味噌と干したニシンだけ。暑い時期だったから、米代川で泳いだりしたけど、ふんどしもしないでねえ、村のもんは、みんな笑って大変だったよ。酒が好きで、いつも三尺くらいの煙管をくわえてた。重い石を工夫(こうふ)に担がせて、そのまま配置を迷うもんだから、もう大変だったよ」
子ども心にワクワクした。
蓑虫山人ってどんなひとだったんだろう。想像が膨らむ。
自然の中で、おおらかに、のびのび生きている姿が目に浮かぶ。
「そんなふうに、好きなことだけをして生きていけたら、どんなに幸福だろう…」
米代川に踊る、陽の光に目を細めながら、山本少年は思った。
メダカの研究者として世界的に名を知られる山本時男は、秋田中学を卒業する直前、17歳で母を亡くす。
そのとき、大好きな蓑虫山人も、14歳で母親を亡くし、放浪の旅に出たことを思い出す。
「そうか…敬愛する山人先生も、この哀しみを抱いて、旅に出たのか…」
山本も、家を離れ、官立弘前高等学校に進学。
のちに東京帝国大学 理学部 動物学科に進む。
小学5年生のときに、フナの子だと言われていたメダカのお腹に、たくさんの卵があったのを思い出した。
不思議だった。メダカに何が起こっているのか、知りたくなった。
あのときの純粋な思い。またしても、山人が重なる。
研究者は、頭でっかちになりがちだ。
大人は、なんだって理路整然と解決したがる。
でも、わからないから、面白い。
ワクワクするから、知りたくなる。
そんな思いが、科学の進歩を促すのではないか…。
山人は決して、誰かを驚かそうとか、褒めてもらおうとか、そんなことで動かなかった。
今、自分はワクワクしているか、この仕事は次の世代につながっているか、それだけが、彼の動く指標だったに違いない。
山本時男は、たくさんの教え子を持った。
あるひとは言う。
「山本先生はメダカもたくさん育てたが、後輩もたくさん育てた」
自分がやっていることは、単独の、単発のレースではない。
リレーだ。
自分は限界まで走る。
走って走って、息が切れるまで頑張って、やっとバトンを渡す。
バトンをつなぐこと。
それこそが、科学者の使命だ。
人生の師匠、蓑虫山人が、なぜ、土器を集め、博物館をつくり、あるいは、今、起きていることをそのまま絵に残したか。
それは、次世代を思ったからではないか。
たったひとりの人生が成し遂げられることには、限りがある。
ならば、次につなげればいい。残せばいい。
己の功績など、どうでもいい。
メダカは、教えてくれた。
真摯に、愚直に対峙さえしていれば、いつか答えは見つかる。
たとえ、答えにまで至らなくても、次の世代が見つけてくれる。
それが進歩であり、それが万物に対する究極の愛だ。
山本時男は、71年の生涯を終えた。
彼の遺骨は、蓑虫山人の墓がある名古屋市内の長母寺に一部、埋葬された。
長母寺。長い、母の寺と、書く。
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