第二百三十四話強い思いだけが、ひとを動かす
故郷ドイツのボンだけではなく、世界中で記念コンサートが開催され、彼の作品を耳にする機会が増えることでしょう。
自身のデビュー55周年のリサイタルのひとつに、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を全曲演奏することを選んだピアニストがいます。
山梨県出身の、中村紘子(なかむら・ひろこ)。
2014年7月19日、横浜みなとみらいホールで彼女は、およそ5時間かけて1番から5番までのピアノ協奏曲を弾きました。
会場の拍手はいつまでも続いたと言います。
69歳という年齢もさることながら、このとき中村は病に侵されていました。大腸がん。
彼女は、このコンサートの2年後に永眠します。
抗がん剤の副作用に苦しみながら、彼女は最後までピアノに向き合いました。
「私は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の中で、特に、第4番の第2楽章が好きです。
この楽章のピアノの独奏は、とっても弱い音、ピアニッシモなんです。
オーケストラは、フォルテ。ピアノを威嚇するように迫ってきます。
でも、一見、頼りなげで哀しく、弱そうに見えるピアノが、結局、オーケストラを最後まで引っ張っていくんです。
この楽章を演奏すると、耳が全く聴こえなかったベートーヴェンの思いをすぐそこに感じるんです。
どんなに辛かっただろう、孤独だったろう、それでも彼は闘いを続けた。倒れる、その日まで…」
彼女は、まるで自分の魂を重ね合わせるように、ベートーヴェンの思いを鍵盤に刻みました。
中村は、練習の鬼でした。
ピアニストであり続けることを大切にしたからです。
がんが見つかったとき、医師にこう言いました。
「治っても、ピアノが弾けないのは困ります」
技巧だけではなく思いを伝えるピアノにこだわったピアニストのレジェンド、中村紘子が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
ピアニスト、中村紘子は、1944年7月25日、山梨県塩山、現在の甲州市に生まれた。
父は陸軍少佐。塩山は疎開先だった。
ほどなく、東京の世田谷区等々力に移転。
3歳でピアノを習った。
きっかけは、親が幼稚園と間違えて入れた「子供のための音楽教室」。
第一期生だった。
同期に小澤征爾(おざわ・せいじ)もいた。
先生は、井口愛子(いぐち・あいこ)。
「手は、生卵を握るようにそうっと丸めなさい。手首がしなやかに動くように」と言われても、うまくできない。
クラシックのコンサートなど、一度も行ったことのない中村。
練習はわけがわからなかった。
かのフレデリック・ショパンは、「音楽家にとってブレスはいちばん重要です。声楽家は肺で呼吸し、ピアニストは手首でブレスするのです」と言った。
のちに、ピアニストにとって手首がいかに大切か知ることになるが、幼い中村は、こう思っていた。
「先生の手は、ちっとも丸くなっていないじゃない」。
毎日毎日、ドレミファソラシドの反復練習。
あっという間に体得して、グレード試験はどれも合格。
気がつけば3年も経たないうちに、最上級クラスに進んでいた。
楽典の授業は退屈だったので、楽譜にお絵かきをして遊ぶ。
自由だった。
ただ自由な中で、ひとつだけ、中村は学んだ。
「練習をサボる子は、ゼッタイうまくならない」
幼い中村紘子にとって、「子供のための音楽教室」は、他人と触れ合う初めての「社会」だった。
ひとりっ子。幼稚園にも行っていない。
たくさんの子どもたちと集う日々は、興奮の連続だった。
校内の敷地には、東京大空襲で破壊された瓦礫があちらこちらに転がっている。
それは子どもたちにとって、格好の秘密基地になった。
竹の物差しで、チャンバラごっこ。
中村は男子に負けていなかった。
毎日、泥だらけで遊んだ。
彼女は歌もうまく、教室3周年のコンサートでは、『フィガロの結婚』を独唱。絶賛の拍手を浴びた。
ピアノの基礎練習。
ハノンは正直、退屈だった。
1番から31番。
命じられたテンポでパッと弾けるかどうか。
井口先生からは、指ならしのために毎日1時間はハノンをやりなさいと言われた。
まわりの子どもたちは、毎日1時間の練習もサボる。
でも、中村は、8時間から10時間やり続けた。
さすがに飽きてくると、譜面台に本を置き、読書しながら、練習は欠かさなかった。
幼心に、彼女は知っていたのだ。
ひとが嫌がること、ひとが退屈だとやめてしまう練習にこそ、上達の近道がある。
おかげでどんどんうまくなる。
ただ、ピアノは、うまくなるだけではダメなことを思い知る日が、やがて来る。
中村紘子は、幼くして思った。
「どうして自分の音色は、外国のピアニストのように、ふわっと柔らかく美しい霧に包まれるように豊かに響かないんだろう…」
自分は、ガンガン弾いている。バリバリ奏でている。
違う…何かが違う。
16歳でジュリアード音楽院に入学したとき、そのわけに気づいた。
情感だった。
間違えないように、うまく弾くこと。
そればかりに気をとられ、作曲者の思いに辿り着いていなかった。
音楽は、音を楽しむもの。
来てくださるお客様に届けるのは、演奏者の技巧ではない。
それは…思い。
自分のしなやかな手首が繰り出す音という無数のシャボン玉が空中にふわりと浮かび、やがて会場に満ちる。
そのシャボン玉には、作曲者の、そして演奏者の哀しみや喜び、人生が映っている。
だから、感動する。だから、涙が出る。
優れたピアニストとは、完璧に弾く力と、情感あふれる演奏の微妙なバランスをとれるひと。
中村紘子は、国際的なコンクールの審査をしながら、いつも、若い演奏者に対して思っていた。
「うまく弾かなくていいのよ、あなたの思いを大切にしなさい。いま感じている、哀しさ、喜びを、鍵盤にぶつけなさい」
抗がん剤の副作用の苦しみを、ベートーヴェンの難聴の哀しさに重ね合わせ、ピアニスト、中村紘子は、最期まで鍵盤に己の思いを刻み続けた。
【ON AIR LIST】
ピアノ協奏曲第4番 第2楽章 / ベートーヴェン(作曲)、ピーター・ゼルキン(ピアノ)、小澤征爾(指揮)、ボストン交響楽団
子犬のワルツ / ショパン(作曲)、中村紘子(ピアノ)
ピアノ協奏曲第24番ハ短調 第3楽章 / モーツァルト(作曲)、中村紘子(ピアノ)、東京交響楽団、飯森範親(指揮)(最後のライブ録音アルバム『中村紘子 フォーエバー』より)
ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」より第3楽章 / ベートーヴェン(作曲)、中村紘子(ピアノ)、オーケストラ・アンサンブル金沢、ギュンター・ピヒラー(指揮)
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