第二百二十一話苦しい時こそ自分を保つ
果てしなく拡がる大海原。
風に揺れる松の樹々たち。
ここ、茨城県の五浦海岸で最も苦しい12年間を過ごした、日本画の大家がいます。
横山大観(よこやま・たいかん)。
大観は、師匠・岡倉天心を追って、この地に来ました。
明治31年3月、岡倉天心を誹謗中傷する怪文書が出回り、結果、岡倉は東京美術学校の校長職を追われてしまいます。
岡倉に心酔していた大観も、学校を辞め、新しく日本美術院を創設します。
日本美術院、第一回目の展覧会に大観が出品したのが、有名な『屈原』という日本画です。
画面左側に立ち尽くす屈原は、古代中国の詩人。
彼はあらぬ疑いをかけられ、やがて自ら命を絶ってしまう不運の賢人です。
岡倉と屈原を重ね合わせ、悔しさを絵に込めました。
大観が描いた屈原の目は、苦難にもめげず、真っすぐ前を見据え、鋭さを失っていません。
しかし、この絵の評価も惨憺(さんたん)たるものでした。
何をしても、うまくいかない。誰にも認められず、落ち込む。
親しいひとは自分から去っていき、孤独の淵に立たされる。
大観にとって33歳から45歳までの12年間は、悲嘆にくれ、苦しみから逃れられない、まさに厳しい冬の時代。
彼自身、悲しく愁うと書いて「悲愁12年」と後に振り返りました。
なぜ大観は、苦しみを乗り越えることができたのか?
苦しい時にこそ、己の生き方を曲げず、自分を保ち続けることができたのか?
絵にひたむきに向き合う、その後ろ姿は、私たちに勇気を与えてくれます。
近代日本画壇の巨匠・横山大観が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
日本画の大家・横山大観は、1868年、明治維新とともに、水戸藩の藩士のもとに生まれた。
父は測量士。
細かい図面を書く。
幼いながら大観は、父が書いた地図や図面を眺めるのが好きだった。
一本の線をなぞって、遊ぶ。
くねくねと曲がり、二度ともとには戻らない。
それが楽しくて不思議だった。
彼が10歳のとき、一家は水戸から、東京・湯島に引っ越すことになる。
優秀な成績で小学校、府立中学校を卒業。
建築家になりたいという夢を胸に抱き、大学予備門を受けるが、掛け持ち受験でまさかの失格。行き場を失う。
失意の中、仕方なく入った英語学校だったが、時間に余裕があったことが彼の人生を変えた。
鉛筆画を習う。
面白かった。
時間を忘れ、鉛筆で絵を画く。
気がつくと、朝になっていることもあった。
トラブルに遭遇すると、ひとはあたふたと元の道に戻ろうと焦る。
でも、道を外れれば外れた分だけ、違う風景を見ることができるのではないか。
そんなふうに思えれば、きっと人生を楽しむことができる。
そう、大観は思った。
横山大観は、絵を画くことで身を立てたいと思い、出来たばかりの日本美術学校、現在の東京藝術大学の受験を考えた。
受験者数およそ300人。そのうち、200人が鉛筆画で臨んだ。
まわりを見て、大観は驚く。
「う、うまい…ボクとは雲泥の差だ…」
聞けば、みんな幼い頃から有名な師匠に習い、明らかに自分とはレベルが違った。
瞬時に鉛筆画ではなく、毛筆画での受験に切り替える。
なんとか、合格。晴れて一期生になった。
技術的に拙かったが、その分、妙な癖がない。
謙虚で何事にも貪欲。
先生に可愛がられた。
それでも自分のあまりの下手さ加減に落ち込む。
校舎の隅のベンチでうなだれていると、声をかけられた。
「どうした、この世の果てみたいな顔をして」
一生の師匠となる岡倉天心だった。
わけを話すと、こう言われた。
「いいかい、絵なんてもんはねえ、手で画くんじゃない。心で画くんだよ。どんなに技術があっても、心が空っぽで濁っていては、いい絵なんてもんは描けない。まずは心を磨きなさい。思想を持ちなさい。誰にも負けない信念を築きなさい」
こうして天心との交流が始まった。
天心は、大観にこんなお題を出した。
「キミ、空気を描いてごらんなさい。空気が画けたら、すごいと思わないかい?」
日本画の巨匠・横山大観は、空気を描いてみようと思った。
そうしてたどり着いた技法が、輪郭を黒い線で描かない、無線描法。
批評家はそれを「朦朧体」と呼んだ。
「朦朧」という言葉には、揶揄や侮蔑の響きがあった。
ぼんやりして、ふわっととらえどころがない。
それは幽霊のように得体が知れず、気味が悪い。
でも、大観はこの技法をさらに進化させることはあっても、決して変えなかった。
突然降りだした雨。
地面と空の境目が消えていく。
そんな自然の淡い一瞬を、墨をぼかし、絵にした。
日本では認めてもらえない。
大観は思った。「ならば外遊だ」。
資金をかき集め、向かった先は、インドだった。
ガンジス川の流れを、輪郭を描かずに表現する。
インドに横山大観の絵を大絶賛するひとがいた。
ラビンドラナート・タゴール。
インドの詩人でノーベル文学賞を受賞した英雄は、異国からやってきた失意の日本人に、賛辞を惜しまなかった。
「素晴らしい絵だ。このガンジス川には、思想がある。希望がある。愛があるよ。ありがとう。我が故郷をこんなに優しく描いてくれて、ほんとうにありがとう」
大観とタゴールの友情はお互い死ぬまで続いた。
海外での評価を受け、大観は思った。
「そうか、辛いときこそ、ブレてはいけないんだ。自分に戻る。自分を保つ。そうすれば、きっと光は見えてくる」
【ON AIR LIST】
悲しみの果て / エレファントカシマシ
PUT ON A HAPPY FACE / Stevie Wonder
ONLY FROM THE HEART / The Stylistics
KEEP ON BELIEVING / Bobby Oroza
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