第四百一話水のように
ブルース・リー。
1973年7月20日、32歳の若さでこの世を去ったレジェンドは、多くの名言を残しました。
「私が恐れるのは、1万通りの蹴りを一度ずつ練習した人ではない。
たった一つの蹴りを、1万回練習した人だ」
この言葉の通り、地道な日々の努力を絶やさないひとでした。
何不自由なく育ち、街で札付きの不良になった青年は、ある日、喧嘩に負けます。
ショックでした。
自分が負けるとは、思わなかった。
その悔しさから、本気で武術を学ぼうと決意したのです。
決して大柄な体格でなく、人種的な差別にも耐え、彼は、スーパースターへの道を一気に駆け上がりました。
『燃えよドラゴン』の監督、ロバート・クローズは、撮影現場に現れたブルース・リーの体を見たとき、驚きます。
鍛え抜かれた鋼のような筋肉は、今まで一度も見たことがないほど、輝いていたのです。
ブルース・リーが目指した体は、鉄でも木でもコンクリートでもありませんでした。
彼が目指したのは、水。
宮本武蔵の『五輪書』に通じる、思想。
「心をからにしなさい。
形を捨て、形をなくすのです、水のように。
コップに注げば、コップの形になり、ボトルに注げば、ボトルの形になる。
そんな変幻自在な水は、ときに、とてつもないチカラを持つ。
わが愛しき友よ、水になりなさい!」
今も愛される唯一無二の武術家にして、ムービースター、ブルース・リーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
今年、没後50年を迎えるブルース・リーは、1940年11月27日、アメリカ、サンフランシスコに生まれた。
父は、広東オペラの俳優、母は、中国人とドイツ人の混血。
のちに香港に移り住むが、基本、英語を話すようになる。
この出自が、彼のアイデンティティをつくった。
自分は、いったい何人なのか。
容姿は背の低い、華奢なアジア人。
でも、中国語は話せない。
移り住んだ場所は、当時イギリス領の香港。
広東語の授業に、ついていけない。
クラスメートから、発音を笑われる。
「どこで生まれるか、どこで育つか、何語を話すか、別に、自分で決めたわけじゃないのに、そんなことだけでバカにされるなんて、おかしい、理不尽だ!」
憤りは、病弱な少年を喧嘩に駆り立てた。
父に教わった太極拳は、リズムが遅くて性に合わない。
自己流で相手に向かっていく。
喧嘩をして帰ってきた我が息子を、父は静かに諭した。
「喧嘩は、際限がない。
相手をやっつければ、怨みを買い、もっと強いやつがやってくる。
いつかとことん負けて、人生は台無しだ」
ブルース・リーは、思った。
「じゃあ、イチバン強くなればいいんじゃないのか」
父のすすめで、8歳から子役スターとして映画に出るが、全く面白くない。
それよりも、街をさまよい歩き、喧嘩をしていたほうが、生きている実感があった。
香港は、混乱していた。
終戦後、中国からの移民が大量に流れ込み、治安は、悪化の一途をたどっていた。
いつしかブルース・リーは、その界隈で知らぬものがいない、札付きの不良になっていた。
ブルース・リーが少年時代を過ごした香港は、日本からイギリスに統治が変わり、学校でも、イギリス人と香港人の争いが絶えなかった。
イギリス人があきらかに優位に立ち、香港人が出世し、裕福に暮らせる望みはなかった。
ブルース・リーが、12歳で中学に進んだときのことだった。
ある日、ひとりで九龍のネイザンロードを歩いていたら、対立する不良グループに囲まれた。
「大丈夫、これくらいの相手なら、勝てる」
そう思ったが、結果は、惨敗。
自己流の技は、通用しなかった。
相手は、武術の達人だった。
突き、蹴り。
全ての技に無駄がない。
初めて、中国の武術の深みに触れる。
腫れた顔で、ブルース・リーは、すぐさま香港武術の道場に入門する。
彼が入ったのは、葉っぱに問うと書く、葉問。
別名、イップマンの道場だった。
このイップマンが、ブルース・リーにとって、生涯唯一の師匠となることを、そのときはまだ彼自身、知る由もなかった。
ブルース・リーが入ったイップマンの道場。
そこは、春を詠むと書く、「詠春拳」を教えるところだった。
女性拳闘家の名をとったと言われる詠春拳は、主に、護身術に重きを置いていた。
「相手を倒すことより、相手の力を利用して、争い自体をしなくてすむようにしむける」
自分の身を守るのは、何も相手を打ちのめすことだけではない。
この道場に通ったことが、ブルース・リーを変えたと言っても過言ではない。
「そうか、チカラでねじ伏せなくても、相手の力を借りて倒せばいいのか…」
香港時代の彼の喧嘩は、徹底的に相手を叩きのめすことしかなかった。
高校に進んでも、イギリス人で3年連続優勝のボクシングチャンピオンを、マットに沈めた。
強くあること、負けないこと。
それが正義だった。
でも、師匠は言った。
「この世で一番強いのは、水です。
相手に合わせ、自分の姿を変えられるもの。
どんな器にも対応できるのが、真の武術なのです」
ブルース・リーは、強さを誇ることをやめた。
怒りを覚えると、常に、こう心に念じた。
「水になれ」
【ON AIR LIST】
燃えよドラゴン / ラロ・シフリン
アウトロー / ウォー
プラ・ヴィーダ / ホジェー
水のように / 佐野元春 & THE COYOTE BAND
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