第八十話笑いを借りてくる
魯迅(ろじん)、島崎藤村、真山青果。
仙台がそんな文学的な土壌を育んできたことを記念して建てられたのが、仙台文学館です。
この文学館の初代館長は、劇作家の井上ひさし。
彼は、中学3年から高校卒業までの最も多感な時期を、仙台で過ごしました。
「仙台で人間としての栄養をもらった」
そう語った井上ひさしにとって、仙台一高時代は、まさしく自由にしてバンカラな時代でした。
彼は家が生活苦だったので、カトリック修道会の児童養護施設に預けられていて、そこから高校に通いました。
新聞部に属して仲間をひっぱり、読書や映画にあけくれ、野球にも熱中したそうです。
そのせいで成績は落下の一途をたどり、志望大学に落ちてしまいます。
かろうじて早稲田に補欠合格を果たし、あるいは慶応にも受かりましたが、学費が払えず通うことはできませんでした。
結局、カトリック修道会の推薦で上智大学にすすみます。
井上にとって、仙台という町には、青春そのものがつまっていたのでしょう。
『青葉繁れる』という小説には当時の様子が生き生きと描かれています。
仙台文学館の館長として彼は、忙しいスケジュールの合間を縫って、精力的に文学の振興に努めました。
自らが、文章講座を主催。彼本人が赤ペンで添削しました。
最終日には参加者全員で朗読会。
優秀者には井上愛用の辞書がプレゼントされたといいます。
また、戯曲講座や、講演、座談会など、仙台市の方々とのふれあいを大切にしました。
それはまるで仙台という第二のふるさとへの恩返しにも思えます。
波乱の人生と、優れた作品群。
小説家で戯曲家、井上ひさしが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
小説家にして劇作家・井上ひさしは、1934年11月17日、山形県に生まれた。
父・修吉は、実家の薬屋を継ぎながら、農地解放運動に参加、また、地元で劇団を主宰していた。
その劇団の名前は「小松座」。
のちに井上が主宰することになる劇団名は、ここから来ている。
父は文学青年だった。
新人賞ももらう腕前で、かつて、作家・井上靖と文学賞を争ったという逸話もある。
病院で下働きをしていた母・マスと知り合った父・修吉は、駆け落ち。やがてひさしが生まれた。
しかし、父は井上ひさしが5歳のとき、この世を去る。
母はなんとか実家の薬屋を切り盛りするが、旅芸人と一緒に暮らし始める。
この義理の父に、井上は虐待を受けた。
そのストレスから、うまく話すことができなくなる。
円形脱毛症にもなった。
ある日、義父は、家の有り金全部を持っていなくなる。
赤貧の時代がやってきた。
生活は苦しく、母はやむなく、井上を宮城県仙台市にあるカトリック修道会の児童養護施設に預ける。
さみしかった。自分は捨てられたのだと思った。
でも、ここで生きていくしかない。
そんな中、彼は想像力で生き延びた。
本を読み、日本語を貯えることで自分を保った。言葉に救われ、言葉に泣いた。
彼はのちの作品『日本人のへそ』でこんなセリフを書いている。
「言葉こそ、人間を他の動物と区別する、ただひとつのよりどころなのであります」
作家・井上ひさしが、中学3年生だったときのこと。
季節は秋だった。
仙台の養護施設にいるカナダ人の修道士が、ある一篇の短い詩を教えてくれた。
エラ・ウィーラー・ウィルコスという名の女性詩人。
「この地球は涙の谷。悩みごとや悲しいことでいっぱいだ。そこで喜びはどこからか借りてこなくてはならぬ。その借り方は…。あまり有効な方法ではないが、しかしこの方法しかないので、あえていうが…とにかく笑ってみること。笑うことで喜びを借りてくることができるのだ」。
この詩を知って、井上は変わった。
いや、変わらなければならないと感じた。
最初からある哀しみに対抗するには、何かを借りてこなくてはならない。
それが笑いだとするならば、笑いを作り出すことを生涯の務めとしよう。
世界の涙を1グラムでも減らすことができるなら、こんなにうれしいことはない。
ユーモア。彼はそこに自らの生きる意味を見出した。
井上ひさしの「ロマンス」という作品にはこんな一節がある。
「笑いというものは、ひとの内側に備わってはいない。だから外から…つまりひとが自分の手で自分の外側でつくり出して、たがいに分け合い。持ち合うしかありません」。
作家・井上ひさしは、大学時代から浅草のストリップ小屋、フランス座で台本を書いた。
ショーをつなぐ幕間に、喜劇を上演する。
そこには渥美清など、のちの日本の喜劇文化を支える役者たちがいた。
とにかく笑いにこだわった。
それは劇作家になっても変わらなかった。
天下国家を論じ、戦争の愚かさなど社会派的作品であっても、必ず人間の弱さ、カッコ悪さを笑いというフレーバーで描いた。
後年、井上ひさしは、娘に夜中、電話してこう語ったという。
「いい芝居を観た後、『自分の人生はそんなに捨てたもんじゃない』と思い、さらに自分の人生が、何だかキラキラしたものに感じられる。どうか、どうか、そんな芝居を作り続けてほしい。いいね?」
井上は、時間があれば劇場に足を運んだ。
自分が書いたセリフに笑うひとがいる。泣くひとがいる。
いい芝居を観たあと、ひとはなかなかロビーから去ろうとしない。
すぐに家に帰りたくない。
そんな観客たちの横顔に、彼はかつての自分を重ね合わせていたのかもしれない。
さみしくて、生きているのがつらかったころ。
たった一篇の小説に救われた。
たったひとつの笑いに、明日も生きてみようと思った。
言葉を届けることで、誰かを励ます。
笑いを見せることで、誰かに希望を示す。
人生はきつい。うまくいかないことだらけだ。
だからこそ、ひとは優しくなれる。
優しさを受け、与えることができる。
作家・井上ひさしは、幼いときから、この世に自分が生まれた意味を見出そうとしたのかもしれない。
「言葉をつむぎだす」ことを生業(なりわい)にできたとき、ようやく彼の人生が始まった。
今も、彼の言葉は、多くのひとに響いている。
彼は言う。
「一番大事なのは想像力。相手の立場になって考える癖を徹底的に身につけること」。
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