第三百五十六話好きなものを手放さない
上村松園(うえむら・しょうえん)。
毛筆で繊細に描かれた、気品ある美人画は、今も人気が高く、今年開催された山種美術館での企画展には、あらゆる世代の多くのひとが訪れ、「美人画の大家」という称号が健在であることを証明しました。
奈良市にある「松伯美術館」は、上村松園、その息子の松篁(しょうこう)、孫の淳之(あつし)の三世代にわたる作品が、保管・展示されている稀有な美術館です。
現在は、「熱帯への旅―極彩色の楽園を求めて―上村松篁展」が開催されています。
上村松園が画家を志した封建的な明治時代は、女性が画家になって身を立てるというのは、かなり難しいことでした。
男性ですら、絵で成功することなど、至難の業。
保守的な画壇にあって、女性が絵で食べていくなど、到底かなうはずのない夢のまた夢だったのです。
それでも、松園は諦めませんでした。
男性の中にたったひとり混じり、どんなに陰口をたたかれ、時には罵詈雑言を受けても、絵を画くことを手放さなかったのです。
弱冠15歳の時、第3回内国勧業博覧会で一等褒状を受賞。
上野公園に集まったおよそ100万人のひとたちが絶賛、しかもその作品を、イギリス皇太子コノート殿下がお買い上げになったことで、さらに話題になりました。
松園の波瀾万丈の生涯は、多くの作家の創作欲を刺激し、宮尾登美子は、松園をモデルにしたとされる『序の舞』で、第17回吉川英治文学賞を受賞。
映画化もされ、松園ブームを加速させました。
彼女の人生の、何が私たちの心をうつのでしょうか。
「西の松園、東の鏑木清方(かぶらき・きよかた)」と称された美人画のレジェンド・上村松園が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
美人画を得意とした女流画家・上村松園は、1875年4月23日、京都市四条御幸町に生まれた。
父はすでに他界。松園は次女。
母は、女手ひとつで二人の娘を育てた。
母は、夫が生業としていた、お茶の葉を売る、葉茶屋を引き継いだ。
店の常連客は、近所のひとたち。
通りに暮らしていたのは、儒学者や能楽師、瓦版をつくる絵草子屋など、文化や芸術に関わる面々が多かった。
商いをする母の横で、いつも半紙に絵を画く女の子。
それが松園だった。
店にやってくる客は、幼いながら、集中して絵に向き合う松園を面白がった。
「お嬢、なかなか面白い絵を画くじゃないか」
「よくもまあ、そんな方向から人間を描いたねえ」
あるひとは、古くなった筆をゆずってくれ、あるひとは、余った紙を持ってきてくれる。
分厚い図案集を抱えてきて、貸してくれるひともいた。
母もまた娘のために、なけなしのお金で、錦絵や芝居絵を買った。
ふかした芋より、絵を喜ぶ松園。
「まったく、おかしな子だねえ、誰に似たんだろう」
母は、不思議な面持ちで、我が娘を見つめる。
顔中、墨だらけの松園の笑顔は、天使のように輝いていた。
美人画の大家・上村松園は、幼い頃から、絵に対する情熱を持っていた。
母は、その熱の入れ方がだんだん怖くなっていく。
茶の葉の配達を頼んでも、なかなか帰ってこない。
心配してあたりを探すと、たいてい、物語本を売る本屋の前にしゃがんでいる。
松園が見つめるのは、挿絵だった。
物語と、挿絵。
お話のいちばん盛り上がる場面を切り取る術をどうにか会得できないかと思案しているようだった。
小学校に入ると、図画の中島先生に見いだされる。
「上村の作品を、京都市の連合展に出品しておいたよ」
まさか、いきなり賞をもらうとは思わなかった。
副賞でもらった硯(すずり)が、うれしくてうれしくて、もったいなくて使えなかった。
母と姉と三人で、壁に張り出された受賞作を観に行く。
母には正直、絵の良しあしがわからない。
ただ、父もなく苦労をかける娘たちが、たった一枚の絵の前ではしゃいでいるのを見ると、涙が出るほど幸せな気持ちになれた。
「お母さん、すごいね、すごいね」
姉も妹の功績を素直に讃えている。
二人ともいい子に育ってよかった。
母は、心に誓った。
松園が望むなら、この子に、とことん絵を習わせてあげよう。
小学校を卒業した上村松園が美術学校に進むことを、親戚一同、反対した。
でも、母は、盾になった。
「この子が、どうしても絵が習いたいというんです。どうか、許してやってください! お願いします!」
親戚の家をまわっては、頭を下げた。
そんな母の姿を、松園は終生、忘れなかった。
当時、絵で身を立てることなど、夢のまた夢。
まして女性ともなると、封建制の強い時代に、不可能だと言われた。
それでも、松園は諦めなかった。
自分に得意なものは、絵を画くことしかない。
自分が寝食を忘れて没頭できるものも、絵を画くことだけ。
ならば、選択の余地はない。
どんなに茨の道でも、この道を行くしかない。
たとえ、誰も歩んだことのない道でも、この道しか見えない。
上村松園の祖父は、役人でありながら飢えに苦しむひとのために乱を起こした、大塩平八郎の血筋だという。
頑固で一徹。
言い出したらきかない松園の負けん気は、祖父ゆずりと言われた。
ただ、絵が画きたい。ただ、いい絵が画きたい。
その願いこそ、彼女のたったひとつの武器だった。
晩年、上村松園は、こう書き記した。
「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ、私の念願とするところのものである。
その絵をみていると邪念の起こらない、またよこしまな心を持っている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる…といった絵こそ、私の願うところのものである」
【ON AIR LIST】
ユー・ガッタ・ビー / デズリー
ベスト・パート / H.E.R. Feat.ダニエル・シーザー
DREAMING GIRL / 矢野顕子
★今回の撮影は、奈良市の「松伯美術館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
松伯美術館では、2022年8月28日(日)まで【熱帯への旅―極彩色の楽園を求めて―上村松篁展】を開催中です。
開催中の企画展など、詳細は松伯美術館公式HPでご確認ください。
松伯美術館 HP
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