第七十七話日常から逃げない
その作品の多くの脚本を書いたシナリオ界、伝説のひとがいます。
野田高梧(のだ・こうご)。
彼は、北海道・函館に生まれました。
父親は、函館税関に勤めている役人でした。
野田が、今から65年前の1952年に書いた『シナリオ構造論』は、のちの脚本家たちに多大な影響を及ぼしました。
彼が紐解いた脚本の構成、セリフ、プロットの組み立て方は、時代に色あせることはありません。
その証拠に昨年、復刊されました。
彼は本の中で言っています。
作家がある出来事に感動したのであれば、その原因がどこにあるか探求し、真実としての普遍性を見いだせ、と。
彼自身の言葉をもってすれば、こうです。
「事実から真実へ、真実から空想へ、空想からさらにそれの具象へと。この心的経過が遺漏なく成し遂げられていないかぎり、すぐれた作品とはなり得ないであろう」。
野田は、物語の種になる、事実を大切にしました。
日常を丁寧に見ました。
毎日、判で押したような日々を送る役人の父親の行動に、ささいな変化を見出していたのかもしれません。
日本人の平凡な日常の中の、悲哀や愛情を繊細に描いた小津作品の根幹を担ったのは、野田高梧という脚本家だったと言っても過言ではないでしょう。
小津と野田は、いつも二人で脚本をつくりました。
蓼科の山荘で、酒を酌み交わしながら、脚本づくりに熱中した二人の男。
彼らが格闘した相手は、「日常」でした。
大きな事件は起きない。大それたアクションもない。
でも静かな反乱や革命、出会いや別れは、日常に潜んでいることを知っていたからです。
脚本家・野田高梧が、生涯を通じてつかんだ日常の凄み、そして、人生のyes!とは?
映画監督・小津安二郎が生涯を通じて、全幅の信頼を置いた映画づくりのパートナー、脚本家・野田高梧は、1893年、函館に生まれた。
父は函館の税関長だったが、野田が3歳のとき、長崎に転勤。
そこで彼は初めての活動写真『月世界旅行』を観た。
面白かった。絵が動く、それを観て人々が驚き、笑う。
隣の父親が視線はスクリーンに残したまま、言った。
「活動は、いいなあ」。
10歳のとき、名古屋に引っ越す。
母親は、芝居好きだった。
家では、映画、芝居は公認。
いつも連れられていたが、しまいには、授業をさぼって、自分ひとりで行くようになった。
それが学校にばれて、停学処分をくらう。
それでも、映画や芝居はやめられない。
「こんなに面白いお話を、いちばん最初に考えたひとは、誰なんだろう」。
そんな素朴な疑問が、脚本家・野田高梧の始まりだった。
小学5年生になる頃には、仲間と同人誌をつくった。
「文章世界」という文芸誌に作品を応募して入選もした。
大学は迷わず、文学部。早稲田にすすんだ。
最初は映画より、芝居にのめり込む。
少ないセットの中、限られた役者で演じる舞台が好きだった。
たったひとつのセリフで、観客の想像力をかきたてる魔法。
それを手に入れたいと思った。
派手なもの、奇想天外な作風ではなく、淡々とした日常を描く作品に魅かれた。
「日常にこそ、絶望と希望がある。毎日どう生きるか、それは人生も舞台もおんなじだ!」
脚本家・野田高梧は、大学を卒業後、雑誌の記者になった。
ペンネームで映画批評も書いたが、収入は安定しない。
それを見かねた義理の兄が、役人になることを勧めた。
東京市役所に就職。
しばらく、父と同じような役人暮らしを体験して、結婚。
このまま、つつがなく生きていくのかと思われた。
そんなとき、1923年9月。関東大震災が起きた。
なんとなくこのまま続くと思われた日常は、もろくも壊れた。
人生に何の保証もない。日常に何の約束もない。
たった一日、いやたった一瞬で、フィクションのようなありえない現実が押し寄せてくる。
野田は、思った。
「どうせ一度の人生だ。悔いのないように、生きよう。それには、好きなことのそばにいるのが、いちばんだ」。
松竹蒲田脚本部に、小学時代の同級生がいた。
見よう見まねで、脚本を書いた。タイトルは『櫛(くし)』。
脚本部に正式に採用された。
野田は、30歳になっていた。
33歳のとき、運命的な出会いがあった。
のちに日本を代表する映画監督になる、小津安二郎の監督第一作の脚本を書いた。
以来、小津の作品は、ほとんど野田が書いた。
小津もまた、日常にフォーカスしていた。
小津と野田。二人は車の両輪のように、御互い、なくてはならぬ存在になった。
脚本家・野田高梧について、小津安二郎は、こんなふうに語った。
「僕と野田さんの共同シナリオというのは、もちろん、セリフひとつまで二人して考えるんだ。セットのディテールや衣装まで二人の頭の中のイメージがピッタリ合うというのかな、話が絶対にチグハグにならないんだ。セリフの言葉尻を『わ』にするか『よ』にするかまで、合うんだね。これは、不思議だね」。
蓼科の山荘での二人だけの合宿。
ときには、意見が合わないこともあった。
そんなときは、二日も三日も口をきかない。
話すことといえば、
「野田さん、白樺の葉が散り始めましたね」とか、
「小津さん、ゆうべは夜半に谷間のほうで、クイナが鳴いていましたね」
とあたりさわりのないことをしゃべった。
でも、どんなときも二人には、ブレない共通項があった。
それは、日常から逃げない。真実は日常の細部に宿る。
だから、日々、感じるもの、見たものをおろそかにせず、丁寧に生きる。
そうすれば、ほんのささやかな所作で、哀しみが見える。
喜びが表現できる。
野田は思い出していた。
毎日、判で押したような日々を送る、役人だった父のひとこと。
「活動は、いいなあ」。
ふつうに暮らしているひとに届くものを創りたい。
脚本家・野田高梧は、日常から終生、逃げなかった。
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